告訴状2013(作成途中)_27

Last-modified: 2021-04-11 (日) 06:41:28

上記記事の引用→) このようにある意味で糾弾的な争いの場に少年を投げ込むことは、少年が非行事実を振り返り、自身のあやまちを認め、被害者に対する贖罪の気持ちを育てるために必要な、静かに内省する機会を奪うことになります。

上記記事の引用→) これは少年の立ち直りにとって長い期間にわたる障害となるでしょう。こうした情報のリテラシーの観点から見ても、世間の耳目を集める重大な少年事件を公開の刑事裁判にかけることは、少年法の根本理念を大きく裏切ることになります。

上記記事の引用→) こうしたプロセスの中で、自身の過去や事件についても振り返りが起こり、やがて内面からの気づきが訪れます。究極の目的は、人間性の回復であり、この人間性の回復のプロセスには、全人格のぶつかり合いが必要です。大変な時間とエネルギーがかかります。

上記記事の引用→) また家庭裁判所・少年院・保護観察所は、それぞれ当該少年の立ち直りのために全力を尽くすと共に、その処遇過程における担当者の判断や評価、立ち直りの過程を詳しく記録する社会的使命があると考えます。

上記記事の引用→) そうした記録は、まず被害者遺族に対して開示される必要があるでしょう。刑事裁判でなく少年審判が選ばれたことによって、被害者遺族に知るべき情報が渡らず、不遇感をつのらせることのないよう配慮する必要があります。

上記記事の引用→) また、ある一定の時間をおいたうえで、事件の起こった背景、子育てや教育に応用できる教訓などを広く公開し、事件から学んだものを社会に還元することで、社会不安を払拭し、同じような事件を再発させないための啓蒙活動をするべきです。

少年事件に限らず、刑事裁判と被害者の関係という部分も見受けられたので、より多くの引用にてご紹介をしました。

割と最近、この佐世保の事件より前だったと思いますが、何かの機会に少年審判では、被害者家族は蚊帳の外におかれ何も知ることが出来ない、ということを読んだ憶えがあります。

少年の更生にもっともふさわしい専門家に全面的に任せ、そちらを通じてご遺族のも社会の人々にもご納得、ご理解いただく、というのがその目的、趣旨とも受け取れそうです。また違いもあるでしょうが、成人による刑事事件の更生にも重なる部分と方向性がありそうです。

成人による一般の刑事裁判は公開ということになっていますが、PC遠隔操作事件など世間の耳目を集めた事件を別にすれば、公開となってはいても公判を傍聴する人はわずかで、求刑や判決でさえ報道されない事件が多いのではないかと思われます。

そういえば2,3日前に紹介ししておきたいと思いながら、忘れていたツイートがありました。誰のツイートだったのかもはっきりと思い出せなくなっていますが、今であれば探し出せそうです。

見つけることが出来ましたが、モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)のツイートでした。検察のことかとも思っていたのですが、マスコミのことでした。次のツイートです。

投稿者:motoken_tw(モトケン) 日時:2014/08/13 20:51 ツイート: https://twitter.com/motoken_tw/status/499523743996059648
マスコミが裁判の後の被告人の生活や人生を考えていることは絶対にない。>RT

数年前からマスコミを批判するインターネット上の発言を見かけることが多くなりましたが、近頃はその数も減ったようには思っています。以前は憎まれ商売でやり過ぎの非もあるのかと漠然と思っていましたが、最近は弁護士がそういう風潮も煽りつけてきたのではと考えるようになりました。

佐世保女子高生殺害事件ですが、テレビでは佐賀県内の病院に鑑定留置のため移送されたという当日のニュースを見て依頼、報道はぴたりと止んでいるように思います。

先ほどの要望書のことですがなかには、「外形的に特異な事象が報道されていることから、世間の耳目を集めており、社会的不安も大きく広がっているものと推察されます。またインターネット空間では、当該少年の情報を含むさまざまな噂話が拡散しています。」という部分もあります。

引用での紹介に抜けていたようですが、最高裁に提出した要望書とのことです。最高裁に対する要望書というのもあまり聞いたことがない気がしました。法律上も裁判官の独立というのは保障されていたように思いますので、それ故の要望という表題なのかもしれませんが、指揮権もなさそうです。

検察庁の場合は、最高検や検事総長の指揮権や通達が地方の検察庁に影響を与える余地はありそうに思いますし、検察官一体の原則とかもあるので、検察庁法など法律上の根拠もありそうです。

逆送を決めるのは家裁の裁判官のようなので、全国の裁判所を統治する最高裁ということになるのでしょうが、少年事件ならではの問題としてもこれまでには見たことも聞いたこともなかったように思います。

あれほどの事件をやった以上、この先社会生活を送っていくのは困難な面も大きいと思いますが、治療も大事でしょうが周りの世間の社会の納得の出来る理解が不可欠に思えます。過去のひた隠しに生きるという方法もあるのかもしれませんが、問題が大きすぎるのでバレた時の影響も大きそうです。

弁護士である父親の情報も事件が起こってから2週間も経たないうちにさっぱりと見かけなくなりましたが、本人は自殺するような気持ちと覚悟で、いわば仲の良かった被害者を道連れにするように事件を起こしたようにも思えます。

この佐世保女子高生殺害事件ですが、父親が弁護士だったためか、弁護士の発言が少なかったり、表面的になぞったような当たり障りのない、具体性のない発言がほとんどであったようにも思えます。

弁護士の家庭事情に関しては私の事件にも似たような問題性が含まれています。被告訴人多田敏明が被害者AAさんの父親を弁護士だと、事実に反する発言を行っていたことです。

既に本書でも書いているように思いますが、金沢西警察署の留置場の担当のような立場であった藤井という定年も近いらしい警察官と一緒にいた坂井という25歳とかの若い警察官の二人にもその話をしました。坂井さんは酒井ではなかったと思います。何かの機会に漢字の名前を見た気がします。

藤井さんと坂井さんはまさに担当という感じで、二人一緒にいることが多かったです。すぐに驚いたような反応で、机の横の壁の前の棚の上のようなところから、帳簿のようなものを即座に取り出し、被害者の苗字での弁護士の登録はないと言っていました。

これも既に何度か書いていることと思いますが、金沢西警察署に出頭した当日夜だけが、自首調書も作成した刑事の取り調べでした。また、その時だけ取調室で二人の刑事がいました。翌日の4月2日からは、ずっと谷内孝志警部補だけの取り調べで、それも一対一による取り調べと供述調書の作成でした。

時刻は8月17日10時19分になっています。早朝には土砂災害警戒の告知放送もあり、昨夜から雨が降り続いていましたが、今は雨もあがっているような感じです。項目を新しくして続きを書きます。

2014-08-17 日 10:21> [ ←これまでの記述範囲の終了時刻]]

* DONE 宇出津あばれ祭りでの被告訴人KYNとの再会と、モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)に対する刑事告訴について 2014年8月17日 :gblog:

    CLOSED: [2014-08-25 月 18:53]

2014-08-17 日 10:23> [ ←これからの記述範囲の開始時刻]]

投稿者:kk_hirono(告発-金沢地方検察庁御中_ツイッター) 日時:2014/08/16 18:29 ツイート: https://twitter.com/kk_hirono/status/500575089281081346
これも既に何度か書いていることと思いますが、金沢西警察署に出頭した当日夜だけが、自首調書も作成した刑事の取り調べでした。また、その時だけ取調室で二人の刑事がいました。翌日の4月2日からは、ずっと谷内孝志警部補だけの取り調べで、それも一対一による取り調べと供述調書の作成でした。

昨日は18時29分からの中團になっていたようです。そのあとAコープ能都店に買い物に行ったのですが、出掛けた頃から雨が降り出し、帰りは強い雨になっていてずぶ濡れになって帰って来ました。寝るまではテレビを見て過ごしていました。

投稿者:hirono_hideki(廣野秀樹) 日時:2014/08/16 21:13 ツイート: https://twitter.com/hirono_hideki/status/500616264377974784
土曜プレミアム・ほんとにあった怖い話 15周年スペシャル 2014年8月16日(土)  21時00分~23時10分  の放送内容 http://t.co/Zw92Mb3QbN

投稿者:hirono_hideki(廣野秀樹) 日時:2014/08/16 21:14 ツイート: https://twitter.com/hirono_hideki/status/500616592750039040
土曜プレミアム - Yahoo!テレビ.Gガイド[テレビ番組表] http://t.co/dKxjicgDWm 15周年記念実録心霊ドラマ7本!▽怪奇!悪霊タクシー▽工場に霊の大群▽犯人見える女▽ボットン便所の呪い▽廃銅山のたたり▽止まぬ心霊着信▽腕をちょうだい

上記の番組ですが、初めに「一般のかたが実際に体験した事実をもとに」というような説明が大きく表示されていました。7つあるので1つぐらいは、本当なのかと思えるものがあるのかと期待したのですが、今まで見てきた似たような番組より、フィクション性が高かったように思います。

私の場合、福井刑務所で殺人や傷害致死で服役している人と直に接触していたという特異な体験もあるのですが、現実とのギャップというのは大きく感じます。ただ、子供時代は今よりはるかにお化けや祟りなど信じられやすい環境であったとは思います。

昨夜のオムニバスのドラマには会社や工場を舞台にしたものもありました。平成4年の私の事件ももう少しで傷害致死事件、あるいは殺人事件にもなっていたという大きな経験もあるので、多くの人とは違った見方もしているように思います。

殺人未遂に関しては、金沢西警察署の取り調べを受けた谷内孝志警部補に、被害者を放置して逃げていれば殺人未遂や、とはっきり言われました。

谷内孝志警部補には取り調べが始まってすぐに、正直に話せ、と繰り返し言われ、「被害者が浮かばれんぞ」とも言われました。私が動揺すると失言を取り繕うような態度も見せていましたが、後になると動揺を狙いダメージを与えるため、意図的に発した言葉で会った可能性が高いと思うようになりました。

時刻は8月25日18時11分です。思ったより長い間、中断をしていたことになりそうです。本書の構成及び情報の公開方法に対する大きな方針転換を決めましたので、新たな項目でご説明から始めたいと思います。

2014-08-25 月 18:29> [ ←これまでの記述範囲の終了時刻]]

金沢弁護士会所属の弁護士らの対応について

原告側訴訟代理人になった長谷川紘之弁護士について

* TOD自宅が強盗被害に遭ったという長谷川紘之弁護士と福井刑務所での伝聞による受刑中の犯人の話

平成4年傷害・準強姦被告事件の控訴審私選弁護人木梨松嗣弁護士に関して

* 石川県輪島市曽々木海岸に行って思い出したこと。平成4年傷害・準強姦被告事件の顛末に関して_2014年6月15日

2014-06-15 日 11:39> [ ←これからの記述範囲の開始時刻]]

見出しのタイトルを考えるのにも時間がかかりましたが、顛末という言葉について調べてみました。

《「顛(いただき)」から「末(すえ)」までの意》事の最初から最後までの事情。一部始終。「事件の―」 ← てんまつ【顛末】の意味 - 国語辞書 - goo辞書 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/154488/m0u/

終末という言葉は人生の終わりを意味する言葉であったと思いますが、終末医療という言葉もあったと思います。その人生の終末が近づいている私の母親ですが、1992 - 1929で計算すると、平成4年当時はまだ63歳だったようです。改めて感慨深くもあります。

2014 - 1929で計算すると85歳になりました。63歳とは22年の違いですが、こうやってみるとはるかに大きな違いに感じられます。その母親も2009年の8月31日以来、病院にいます。その朝、脳出血を起こし以来半身不随で寝たきりの状態です。

ちょうど選挙で歴史的な政権交代があった翌朝のことでした。救急車を呼んで向かった先は珠洲市の珠洲市総合病院でした。救急隊員の人は症状を見て脳に問題があると判断し、脳外科の専門設備がある珠洲の病院に向かったとのことです。

2014年6月14日に行った宇出津から珠洲市野々江・大谷パーキング・真浦海岸・曽々木海岸・旧柳田村で宇出津に戻るルート https://mapsengine.google.com/map/edit?authuser=0&hl=ja&mid=zWXtOqvyZ-Jo.k3kRxu-OiDaA

上記リンクはGoogleマップのマイプレイスで作成したものです。

時刻は6月16日9時43分になったところです。中断したままになっていました。昨日は買い物に行ったり、草刈りをしているだけでも時間が潰れてしまいましたが、食事をして後片付けをするだけでも、馬鹿にならない時間がかかります。外食に出るというのもめったにしなくなりました。

珠洲市総合病院には翌年(2010年)の1月の20日ころまでいたように思います。受け入れ先の養護施設が決まって、旧柳田村の病院に転院しました。珠洲市の病院にいた時の方が、用意するものが多くて頻繁に病院に行っていました。

珠洲市の中心部は飯田町で、地元では単に飯田と呼ぶことが多いのですが、珠洲市総合病院のあるばしょも住所は野々江で、昔、鉄道の珠洲駅があったのもそうだと思います。

昨日、飯田町が正確なのかと調べていたところ、珠洲警察署も飯田ではなく住所が上戸になっていて、ちょっと驚きました。昔、そういう名前の駅があったということで知っている地名ではありますが、あまり意識したこともなくひと括りに飯田だと思っていました。

母親が脳出血で倒れる前、5月から3ヶ月間、私は飯田の方で職業訓練に通っていました。この時もバスで通っていましたが片道で千円近い料金でした。停留所も多いので時間もけっこうかかっていました。

宇出津新港にある職業安定所から職業訓練に行くことになったのですが、ワープロ検定と表計算検定のいずれも2級をとることが出来ました。合格証書のようなものをとりに、久しぶりに飯田に行き、その一週間ほど後に母親が倒れ、また頻繁にバスで珠洲に通うことになったのです。

Picasaウェブアルバム) ファイル名: 珠洲市飯田の用事・大谷パーキング・真浦海岸・曽々木海岸_2014年06月14日13時55分46秒.jpg https://picasaweb.google.com/114099790846205945578/20140614#6024949516283978754

上が先日撮影した珠洲市総合病院の写真です。「すずなり」という道の駅から歩いて行ったので、空き地のような場所からの撮影になっていますが、すぐ上は病院の駐車場になっているようです。

Picasaウェブアルバム) ファイル名: 2014-06-14_13.54.31.jpg https://picasaweb.google.com/114099790846205945578/20140614#6024957234034086242

駐車場は上記の写真の方がわかりやすいかと思います。ほぼ日付データだけのファイル名ですが、こちらはデジカメではなくスマホで撮影したものです。

Picasaウェブアルバム) ファイル名: 2014-06-14_13.56.12.jpg https://picasaweb.google.com/114099790846205945578/20140614#6024957259880832370

同じくスマホの撮影ですが、こちらは珠洲市総合病院の正面で入り口です。正面から見る以上に、奥行きのあるけっこう大きな病院です。

2009年8月31日の月曜日の朝に母親は病院に運ばれ、そのまま入院することになったのですが、9月の11日ころには京都の親戚の人が見舞いと今後のことの話し合いを兼ねて車で病院に来ました。その時に車を駐車していたのもその病院前の駐車場でした。

母親は5人兄弟の長女で上から2番目でしたが、その時は京都市内に住む一番上の長男と、同じく京都市内の次女の夫婦、兵庫県に住む次男、そして末の妹の夫婦が愛知県から来ていました。

泊まりがけで来ていたので、その夜は能登町松波のラブロ恋路という旅館のようなホテルで私も一緒に泊まりました。末の妹だけは同窓会の出席を兼ねて来ていたらしく、九十九湾の百楽荘に泊まっていました。

旅館のようなところに宿泊したのは平成10年に被告訴人KYNの配管の仕事で、福井県武生市の民宿に宿泊して以来のことでしたが、それは現場で急に予定が変わって、宿探しをした上での宿泊でした。

さらに遡ると平成4年1月11日の市場急配センターのでの慰安会で、片山津温泉の「せきや」に宿泊して以来のことでした。旅行に行ったことも一度もないですし、飛行機にはまだ一度も乗ったことがなく、海外に出たこともありません。

本書において武生市の仕事のことは長野オリンピックのことなど、わりと詳しく書いたように思いますが、「五分といつつの兄弟分」というのは、あるいは書いていないかもしれません。M君に関しては他にも大事なことを書いていないので、別のところで書く予定です。

せきや、での慰安会のことも少しは書いたように思いますが、大事な時期でもあるのでまた書くことがあると思います。黒部パーキングエリアからの電話のことも書いているか、検索して確認しておきたいと思います。

% grep '黒部' ~/kk_hirono/index.org 、というコマンドで調べてみたところ該当は1件でアルミサッシのことが書いてありましたが、黒部パーキングエリアはなく入善パーキングエリアであったと思いだしました。

% grep '入善' ~/kk_hirono/index.org 、では該当がないようでした。少しは書いたような気もするのですが、まったくヒットはないようです。

「1月12日」にキーワードを変えると、次のような部分がヒットしましたが、まだ十分な説明は行っていないようです。

次に電話に出たのは年が変わった平成4年1月12日の日曜日の夜のことでした。これも日付をよく覚えているのは、片山津温泉「せきや」であった泊まりがけの新年会の翌日のことであったからです。

その時、長男のおじさんは元気そうに見えていましたが、難病を患ったと聞いたのは亡くなる一年ほど前ではなかったかと思います。自分で食事をとることもできなくなり、管を入れて体内に送り込んでいるとも聞いていました。

私は長い間、平成4年の傷害・準強姦被告事件の控訴審の弁護士費用をその長男のおじさんが出してくれたと思い込んでいたように思います。聞き違えとも考えにくいので、母親の口からそのように説明を受けたとは思うのですが、ずいぶんと前のことになってしまいました。

長男のおじさんは、兄弟の中でも余り田舎の宇出津には遊びにこないような人で子供の頃も会う機会のというのも少なかったと思います。それでも拘置所にいる時、金沢刑務所に一度面会に来てくれたことがあり、その時は意外にも思ったものです。

小学生の低学年の頃までは母親に連れられて京都の親戚の家にも遊びに行った記憶があるのですが、京都タワーのレストランで食事をしたのが京都の親戚のところに行った最後の記憶となっています。

辺田の浜の家にいた頃は、夏になると毎年、京都の妹夫婦が遊びに来ていましたが、宇出津に引っ越してからは余り来なくなり、家に泊まったという記憶も余りありません。

宇出津に引っ越してきたのは昭和50年4月のことでした。もともと母親の家族が住んでいた家らしいのですが、京都と尼崎、愛知県に他の兄弟は移り住み、宇出津に残ったのは私の母親だけでした。戦前に家族で京都から来たらしいですが、母親は京都生まれです。昭和4年1月生まれです。

祖父母に関しては私は見た記憶もなく、たぶん私が生まれる前になくなったのだと思いますが、不思議と余り話を聞いたこともなく、いつ頃になくなったのかもよくわかっていません。私が生まれて物心ついた頃には、宇出津に残っているのは母親だけでした。

京都に住む2軒の親戚は、どちらも西陣織の商売をしていました。宇出津にある家はその西陣織の織物工場でした。7,8人程度だったと思いますが、手織りの織物をやっていました。昭和57年の時点ではまだやっていたことを記憶にしていますが、その2,3年後には工場をやめていたと思います。

私の母親は機織りをすることはなかったですが、糸を紡ぐようなことをやったり、工場で仕事もしていました。工場をやめた頃は、私は金沢市で生活をしていてあまり宇出津に帰ってもいなかったので、いつのまにか工場がなくなっていたという感じでした。

記憶もあいまいなので正確には思い出せないですが、思えばちょうど宇出津新港の埋め立て工事をやっている頃ではなかったかと思います。宇出津新港の埋立地も、私の記憶ではいつの間にか出来上がっていたという感じでした。

思えば昭和58年の夏も宇出津にいることが多かったですが、織物工場をやっていたかどうかも思い出せません。その頃はよく九十九湾の百楽荘に夜、風呂だけ入りに行っていました。その夏の8月の終わりか9月の初めから金沢の観音堂の被告訴人安田敏のアパートに転がり込むようになったのです。

宇出津新港というのはちょうど子供の頃に遊んでいた浜辺の辺りを埋め立てた工事でした。家の窓からも浜辺と海が見えたと思いますが、とにかくゴミの多い、汚い感じの海でした。昔の人ほどマナーが悪く海にゴミを捨てていたのかとも思うのですが、当時はゴミの分別というのもなかった気もします。

母親の妹夫婦は毎年、夏になると遊びに来ていました。私は小学校の低学年でしたが、妹夫婦の長男は高校生になっていたようにも思います。長女の方も中学生でしたが、子供の方は毎年来てはいなかったとも思います。

一番印象に残っているのは、珠洲の三崎に連れて行ってもらっていたことです。詳しい話は聞かなかったですが、母親の妹の旦那の人が、その三崎の出身で、実家かあるいは兄弟の家とも思われました。

その三崎の家には泊まったという記憶はなく、行ったのはすべて真夏の時期で、行くと必ず近くの砂浜の海で泳いでいました。珠洲の三崎と聞いていたので、ずっと三崎だと単純に思っていたのですが、近年知ったところによると三崎は広く、地名も多いようです。

近所の辺田の浜の浜辺に比べると、はるかに広く海もきれいだったと記憶にあります。それとその家では茹でたトウモロコシを食べさせてくれたのですが、当時としては余り見ることもない珍しい食べ物に思われていました。

その妹夫婦には、ほかにも能登の観光地をあちこち車で連れて行ってもらったという記憶があります。曽々木海岸にも行っていると思いますが、当時は車に載って連れて行ってもらっているだけで、どこがどこなのかもよくわかってはいませんでした。

その妹夫婦も何回か、拘置所にいる時金沢刑務所に面会に来てくれたと思います。疎遠にもなっていたと思いますが、三崎の海に行ったことなど、子供の頃のことを思い出すこともありました。

あるいはそこで先走った勘違いも起きたのかもしれないですが、母親の妹の旦那さんの紹介の弁護士が木梨松嗣弁護士で、珠洲の三崎に縁があると思ったのです。その紹介というのを母親の口から聞いたのは間違いないことですが、三崎という部分が思い込みがあったのかもしれないと多少引っかかるのです。

もっとも昭和40年代の後半には京都に生活をしていて石川県内で生活をしたという話も聞いたことはなかったので、金沢の弁護士に知り合いがいるとなれば、同郷である珠洲市三崎のよしみかと考えるのも、自然な解釈かと思います。母の口から三崎という言葉が出たような気もするのですが、はっきりとは。

なお、三崎に関しては私の母親が一緒に行ったことはないと思います。私の母親は車酔いがひどく乗り物が苦手だったのですが、平成に入ったぐらいになると、だいぶん慣れてはいたようです。私自身も小さい頃は、バス遠足にも車酔いの不安を感じ、酔い止めの薬を飲んでいたと記憶しています。

母親は免許を持っておらず、父親は3歳ぐらいの小さい頃に亡くなっているので、車に乗る機会というのも少ないもので、バス遠足以外は京都の親戚が来たた時ぐらいだったと思います。不思議と親戚の車で酔ったという記憶はないですが、中学生の頃も車酔いは不安でした。

時刻は6月17日7時56分になりました。昨日の午後は久しぶりに小木港にアジ釣りに行ってきました。行ってやってみないとわからないもので、驚くほど少しのアジしか釣れずそれも小さいものばかりでした。

きれいな色のアジだったので持ってきて唐揚げにしたのですが、これもすごく手間と時間がかかりました。5月の連休が終わってから始めたサビキでのアジ釣りですが、これも面倒の多い釣りで、おかげで釣りに行く回数も減りました。天気もよく海もきれいで気晴らしにはなります。

母親がその後、輪島市のねぶた温泉で仲居の仕事をしていたことなど書く予定なのですが、気分の状態も変わっているので、より集中できそうな事柄について先に書いておきたいと思います。小木港に行ったのも気分転換になりました。

2014-06-17 火 08:20> [ ←これまでの記述範囲の終了時刻]]

本書の作成に伴う説明やお知らせについて

2014年4月14日の夕方に発生したデータの喪失とその復旧について

2014-04-14 月 18:56> [ ←これからの記述範囲の開始時刻]]

既に問題の起きた箇所*平成9年当時における被告訴人OKNと被告訴人KYNの関係?において取り急ぎの説明を行頭に「※」マークをつけて行い、また失われたと思われるデータをTwilogから取得してコピペで貼り付けましたが、状況の補足的な説明を行っておきたいと思います。

http://twilog.org/kk_hirono/date-140414/allasc ← からHTMLのソースコードを取得し、いったんHTMLファイルとして保存したものをブラウザで開き、その表示されている文字列をそのままコピーして貼り付けました。

幸いなことに本日14日分のデータだけが復旧できないことになっていたので、日付を指定し、それを「古い→新しい」順に並び替えると、リクエストのURLが上記のようになっていました。?に続けるパラメーターを指定しないTwilog独自の仕様のようです。

TwitterへのAPIを利用した同時投降で、このようなかたちで救われることがあるというのは、私としても予想外だったのですが、作成中のデータの消失というのも、まったく予想外であり、なおかつ経験してことがないものでした。

結局のところ「告訴の経緯」という最上位の見出しとその階層のデータのみが残り、他がいっぺんに消えてしまいました。同時にフォントのサイズも何故か大きくなりました。おかしいと思ったので保存せずに、いったんファイルを上書きなしで終了しました。「戻す」では戻せませんでした。

Undoという直前の捜査の取り消しのような働きをするのが「戻す」のはずですが、一つも戻れない状態になっていました。これ自体もほとんど経験のないことです。

キーボードのDeleteボタンを押すときに間違って他のキーをいくつか同時押しになってしまったことで、いっぺんにおかしな状態になってしまいました。

バッファの状態がおかしくなったので保存せずに終了させたのですが、ファイルの内容がおかしい状態のまま保存されていました。キー操作を誤った時点でファイルへの保存まで完了していたようです。

幸いなことにシステムが自動保存している~つきのファイルがあったので、それを開くと4月14日に編集を始める前、つまり13日の最後の上書きと思われる状態になっていました。そこから編集を再開し、Twilogのコピペも行ったのです。

なお、14日の午前中にはorg-modeのファイルをodtのファイルとしてエクスポートし、LibreOfficeのワープロソフトで開いて、多少レイアウトの変更などやっていました。思っていた以上に印刷として使うのに手間が掛からずに済みそうだと思いました。

ページにすると目次の部分をいれて327ページほどになっていました。長い時間を掛けてきた割には少ないとも思いましたが、これだけの量になってくると、正直正確に把握するのも困難です。

org-modeは見出しの部分を折りたたんだり開いたりしながら編集するという特徴もあります。いろいろと複雑な仕組みにもなっているのだと考えますが、ファイルのデータが大きくなると、今後も予期せぬ不具合が発生する可能性もあるのではと、気に掛けています。

今後、ファイルの編集や管理にはこれまで以上に気をつけたいと思っていますし、不具合が生じた場合はそのことを説明しておきたいと考えています。最悪、見出しの階層が丸ごと欠落するということもあり得ないことではないと思えてきたからです。

編集中のファイルはこまめに上書き保存をしているはずなのですが、~の自動バックアップファイルの内容が、前日の状態になっていたのも気になります。

~付きのバックアップファイルに関してはVimの場合、設定ファイルに独自の保存場所を指定しているので、Emacsの機能としてバックアップファイルが作成されているのだと思いますが、現在は作業中にパソコンが固まることもほとんどないので、ほとんど意識することなく児童に任せてきました。

そもそもEmacsは一定時間の経過か打鍵数で自動的にバックアップファイルを作っているのではと思われます。無効化も出来るはずですが、特にやったような覚えもないです。

今日も繰り返し上書き保存をしながら編集をしているのですが、確認のため~付きのバックアップの内容をみたところ、「※Twilogからコピペしたデータの終わり。」という部分が最後の編集箇所になっているようでした。

正直なところ上書き保存をした時点で上書き以前の状態が~付きのバックアップファイルになるのだと考えていたのですが、少なくともEmacsの場合は違うようです。また私のEmacsの設定ファイルも長年手を加えながら使い込んできたものなので、把握の出来ていない設定があるのかもしれないです。

インターネットで調べて、キー操作が2秒間ないときに自動でファイルを上書き保存するようにしてみました。他に問題が出てくる可能性は否定できないですが、これでバッファとファイルの同期がほぼ同時に自動で行われるかと思います。

バッファというのは編集中の作業内容の状態のことです。機械的には揮発性のメモリ上に存在するデータです。保存や上書き保存という操作をすることで、主にハードディスク上に存在するファイルの内容が変更されることになります。

今後は今まで以上に気をつけると言うことですが、データ量が増えてくると管理も難しくなったり、処理が複雑化することで不具合の発生する確率もいくらか出てくるかと思います。私自身、これだけの文字数、行数のファイルはEmacsでは余り厚かった記憶もないように思います。

不具合と復旧に関する説明はこの辺りにしたいと思いますが、何かあったときにロールバックしやすいように、また、勝利の経過がさかのぼってたどれるようにと、多少の工夫はしていますので、次はそのあたりの説明に移りたいと思います。

2014-04-15 火 15:54> [ ←これまでの記述範囲の終了時刻]]

編集作業の開始時刻と終了時刻の記載についての説明

  CLOSED: [2014-04-15 火 17:24]

2014-04-15 火 16:31> [ ←これからの記述範囲の開始時刻]]

もう結構前からになっていますが、上記のように記述範囲の開始時刻、そして終了時刻というものを記入するようにしております。どこ範囲をどの時期に作成したものかということを分かりやすく明示しておくのが目的です。

いろいろと考えたのですが、同じ項目での連続性のある記述については、なにもしていない時間を含め2,3日に及ぼうと終了時刻の記入はしませんが、別の項目に移る際にはたとえ10分間でも開始時刻と終了時刻を記入し、そして別の項目に移ってから新たな開始時刻を記入したいと思います。

編集対象は常に一つの項目と言うことになりますし、項目を移動する時間的な流れも分かるようにしておきたいと考えました。時間と状況の変化に対応して、書く内容も異なりうるからです。記憶を辿り思い出しながら書いていること多いので、経過は内容の訂正や説明の補充にもなりうるかと思います。

時刻の方は基本的にorg-modeの(org-time-stamp 1)という関数を使っています。1の部分はコマンドとして呼び出すときの前置引数になるものですが、これを入れることで時刻まで挿入されます。

日付ごとに項目を新規に作っていたらずいぶんと余計な数になってしまいますし、全体的な内容の把握もますます困難になっていくと考えました。

org-modeはアウトラインプロセッサの働きがあるので各項目は木構造の関係があります。ツリー構造とも呼ばれますが、見出しはノードという意味があります。日本語では節や結節点という意味だそうです。見出しの本体部分はブロックというかデータの集まりです。

見出し(ノード)の要旨に対応した本文をブロックとして配置していくように心掛ける積もりでいますが、見出しの内容が完結しない間は、本文のブロックをさらに、記述の時間帯によって区分けしていこうという考えで、その区切りが範囲の開始時刻と終了時刻の記入になるわけです。

org-modeには他にアジェンダという機能が備わっています。予定表とか行動計画、日程管理のような意味があるようです。各項目は特定のキーを組み合わせることで状態の推移をあらわすことができます。ごく基本的な使い方ですが、とりあえずTODOだけを使うようにしています。

TODOというのは、やらなければいけないこと、あるいは予定という意味かと思います。本来は予定を完了したときにDONEという状態にするのですが、項目の数もさほど多くはないので煩雑さをさけるため、追記の予定のないものや完了したものはなにもつけない状態にしておきたいと思います。

本当は分類としての見出しのみを書いていき、内容の編集中のものに関しては「EDTING」つまり編集中というフラグにしておこうとも考えるのですが、作業上の一時的な目印のようなものなので、最終的にはなくする印。今のところ問題になりうるのはTwitterの投稿時ぐらいとも思います。

ややこしくもなるので見出しのTwitterへの投稿時にはTODOなどをつけない状態で送信しようかとも思いますし、これまでもその方が多かったのではと思います。まあ、編集中の段階でもブログの記事として投稿することもあるので、そちらの方ではかなり意味が違ってくるかとも思います。

Emacsのorg-modeとしてはC-c C-tを繰り返す度に「TODO」「EDTING」「DONE」「印なし」と見出しの文字列の先頭に付け加わって、状態が移り変わっていきます。

ブログへの投稿に関しては、近頃はやらなくなっていますが、方針を定めて再開するときにはTODO管理の活用も含めて、またご説明の機会を持ちたいと思います。以上です。

2014-04-15 火 17:30> [ ←これまでの記述範囲の終了時刻]]

2014年4月27日、OSの入れ替え時(Ubuntu 14.04)パソコンのデータ移行に伴うファイルのタイムスタンプの喪失について

パソコンの調子が悪かったということもあるのですが、ここ数年間続けていることとしてUbuntuの最新版をクリーンインストールしました。作業自体はおおむね順調に進んだのですが、一つ自分でも信じられないようなミスをして大事なデータを失ってしまいました。

本書つまり告訴状に添付するファイルを一つのディレクトリ(フォルダ)に保存していたのですが、それをバックアップの対象から外してしまっていたのです。

ファイルのタイムスタンプを保持するため今回のデータ移行にはtarコマンドを使用しました。複数のファイルやディレクトリをアーカイブという一つのファイルにまとめ、データーサイズを小さくするため圧縮を加えることの多いコマンドです。

説明のためにパソコンの画面の画像ファイルをTwitterにアップロードしました。これから主流にしたいと考えている説明の方法ですが、これも別に項目を作って細かいことを書いておきたいと思います。次の2行に対象を示します。

Twitter / s_hirono: 告訴状の参考資料_2014-04-29_07:48:51_S ... https://twitter.com/s_hirono/status/460913869146177537

告訴状の参考資料_2014-04-29_07:48:51_Screenshot.png pic.twitter.com/eigz4HYBgB

1行目はWebページとして、タイトル名とURLを取得したものです。通常はどのWebページでも持っている情報ですが、私はブラウザで対象のページをアクティブにした状態でキーボードから@を打つだけで、クリップボードにコピーされるように設定をしています。

このタイトルはTwitterの仕様による書式ですが、事実上ほとんど予告なく変更される可能性もあるかと思います。140文字より少なく余裕を持った文字数になるように自動的に文字数を切り詰めてくれています。

Twitterの場合は、ブログのようにタイトルと本文の区別がなく140時文字という制限があるのですが、その先頭から決まった文字数分をタイトルとして使い他と判別ができるようにされているようです。

2行目がTwitterの本文というか本体のコピペです。見づらかいもしれませんが一つの半角スペースでデータが区切られています。投稿自体はAPIを使った自作のプログラム(スクリプト)で行っています。

これも具体例を示したほうがわかりやすいかと思いますので、実際にコマンドラインから投稿を行ってみます。

2014-04-29 火 10:09> [ ←これからの記述範囲の開始時刻]]

しばらく中断していたのですが開始時刻の記入を忘れていたので、再開した時点で記入しました。

Twitterで確認したところこの項目での最初のツイートは「7:29 - 2014年4月29日」になっていました。

パソコンというかUbuntu 14.04で問題があって中断をしていましたが、2時間近く時間をつぶしたことになりそうです。キーボードの設定が悪かったらしく、バックスラッシュが入力できず、円記号がキーコードとなっていたようです。

キーボードの設定の変更でしたがシステムの設定では見当たらず、結局は入力メソッドの設定で変更できることがわかったのですが、あちこち探しまわって辿り着きました。Linuxではこういう時間の潰し方もよくあることで、それだけ勉強になることも多いです。

先ほどの続きですが、写真付きでツイートするスクリプトの端末での実行をスクリーンショットしたものです。

Twitter / s_hirono: 告訴状の参考資料_2014-04-29_07:48:51_S ... https://twitter.com/s_hirono/status/460913869146177537

告訴状の参考資料_2014-04-29_10:04:05_Screenshot.png pic.twitter.com/KnknJMrrR8

ふだんはGUIからコマンドを読みだして使うことが多いのですが、端末ではこのように半角コロンのエスケープが必要になります。エスケープに使うのがバックスラッシュなのですが、これが円記号の文字コードになっていました。フォントによる見かけ上の違いもありますが、Windowsでは円記号。

告訴状の参考資料_2014-04-29_07:48:51_Screenshot.png pic.twitter.com/VUMiTsezbs のtarコマンドの説明に戻します。

8857 h > history-20140427.txt というのが最後のコマンドになっていますが、はじめの数値はコマンドの履歴番号です。hというコマンドを実行していますがこれはhistoryコマンドのエイリアス(別名定義)です。

コマンドの実行結果をリダイレクトでファイルに保存しています。Linuxではソフトというかアプリのインストールや設定もコマンドラインから行うことが多く、実行したコマンドを調べたり、コピペで再利用しています。

添付の資料ファイルはhirono_hideki.bitbucket.orgというディレクトリとして保存していましたが、gitというディレクトリの中に保存していました。gitの中には他のgitのリポジトリもディレクトリとして保存していました。

gitというのは分散型バージョン管理システムの一つです。Linuxの開発にも使われていると聞きます。「Git 分散型バージョン管理システム」と検索すれば情報が得られると思います。gitだけだと「馬鹿」と自動翻訳される例も何度か見ていますので情報は得られにくいかもしれません。

gitの理解にはリポジトリという概念が不可欠なのですが、情報倉庫というわかりやすい言葉で訳されている例も見かけています。gitはサーバ間のバックアップとしても使えるのですが、私はWeb上のサービスと連携しています。

そのWeb上のサービスのドメインと対応させたかたちでhirono_hideki.bitbucket.orgという名前を使っています。

次が具体的に利用しているサービスのURLです。めったに見かけることもないので、ほとんそ知られていないサービスではないかと思います。GitHubの方が有名で利用者も多いとは思います。

hirono_hideki / hirono_hideki.bitbucket.org — Bitbucket https://bitbucket.org/hirono_hideki/hirono_hideki.bitbucket.org

このリポジトリは次のWebサイトというかホームページにも対応しています。hirono_hideki.bitbucket.orgのディレクトリがWebサーバでのドキュメントルートにも対応しているのです。

告訴状2013(作成途中) http://hirono_hideki.bitbucket.org/

Webサーバのディレクトリでは基本的な設定として、ファイルの指定をしなかった場合、index.htmlという名前のファイルを指定したことになる、ということになっています。個人サーバを運用していたこともあるので私は知っていましたが、情報は余りみないので知らない人が多そうです。

自分自身が使っているパソコンのことをローカルとも呼びますが、Web上のサービスを含め、外部のパソコンもしくはコンピュータのことをリモートと呼びます。

gitではまずファイルを編集してもリポジトリには反映されません。編集した内容をリポジトリに反映させるにはコミットという作業を実行することになります。コミットした内容は履歴に保存され、さかのぼって変更を元に戻すこともできます。

ローカルのリポジトリの内容をリモートに反映し同期をはかるには「git push」というコマンドを実行します。事実上のアップロードに相当する操作です。

「git push」を実行することでローカルのリポジトリのの内容をリモートのリポジトリに反映できますが、リモートで変更された内容をローカルに取り込む形での同期は「git pull」を使います。ただ私自身はpullは使わないようにしてきました。タイムスタンプを保持するためです。

つまりローカルのファイルとリモートのリポジトリにあるファイルは内容は同じでもファイルスタンプを同期しない仕組みになっているようです。

なお、私自身最近になって知ったことですが、Linuxではファイルの作成日時に関する情報を保持しないようです。上書き保存をするとそれが新しい更新日時になってしまい、何時に作成されたファイルなのかは辿れないようです。

私自身以前はタイムスタンプに関して無頓着でした。そもそもコマンドで簡単に変更できるはずの情報なのでさほど意味がないとも考えていました。しかし、ファイルの作成日時がはっきりしないと、記憶が混乱するような経験もあり、不都合を感じるようになりました。

それに検察庁の信頼を根底から揺さぶったという前田恒彦検事のフロッピーデータの偽造問題もタイムスタンプの改竄が大問題になったように記憶しています。私自身、問題が報道されていた当時他のことに集中していたためか、未だに内容をよく知らない部分があります。

記憶違いで間違ったことを書いてもいけないので、次のWebページにざっと目を通しました。ほぼ記憶通りというか、だいたいのことは情報を得ていたという感じです。

大阪地検特捜部主任検事証拠改ざん事件 - Wikipedia http://bit.ly/PNnCq8

ただ時期についてはけっこうなズレがあったような気もしました。あるいは羽咋市に住んでいた頃で平成21年3月以前かとも考えていたからです。実際は、平成22年の9月頃に発覚した問題だったようです。

平成22年の9月といえば、ちょうどアオリイカ釣りのエギングを始めた頃で、よく釣れた時期でもありよく釣りに出かけていました。アオリイカは昼夜を問わず釣れるときは釣れるという釣りなのですが、当時は夜に電気のついた堤防で釣りをすることが多かったです。

やはり厚労省の村木厚子さんの事件、裁判に絡んだ問題でした。障害者郵便制度悪用事件とのことですが、わかりやすいニュース解説を見たようなこともあり、比較的単純な事件のようにも思えていました。

私の認識では部下が責任をなすりつけようとした巻き込み型という一面と、検察の見込みが外れた政財界の疑獄事件という一面があるように思われた事件、裁判でした。細かく言えば検察がいわゆるガセネタに踊らされたという可能性もあるのかもしれませんが、真相の見えづらい印象でした。

弘中惇一郎弁護士が活躍した事件、裁判としても印象に残るもので、いわゆる陸山会事件もそうではなかったかと記憶しています。ロス疑惑の時の報道では弁護士の名前も見た覚えもなく、村木さんの裁判で注目を集め、それでロス疑惑のことも含めて初めてしったのではないかと思っています。

弘中惇一郎弁護士については、佐藤博史弁護士、落合洋司弁護士(東京弁護士会)と同じ、広島県出身者ということでも注目して来ましたが、他の二人の弁護士にくらべれば、柔和な印象もありタイプも違うように見ています。

先ほどのWindowsの記事で初めて知り、とりわけ印象に残ったのは記事中の次の部分でした。落合洋司弁護士(東京弁護士会)に関する部分です。元検事長の弁護人になったようなことは本人のブログで知ってはいました。

(引用→)9月21日には、朝鮮総連本部ビル売却問題で逮捕された緒方重威の弁護団(落合洋司弁護士ら)が、逮捕された検事及び当時の東京地方検察庁特捜部副部長を、当該事件公判における偽証罪で、10月にも告発する旨を表明した

しばらく中断していました。時刻は4月30日17時59分を過ぎたところです。今日は、午前中に図書館に行き、思わぬ収穫があったのでそのことについて項目を作って記述をしたいと思います。

図書館に出かける前に、先日ご紹介したばかりのgitのWebサービスを、まるごと削除しました。次の使っていたサービスのURLも404のエラーが出て表示されなくなりました。

Oops, you've found a dead link — Bitbucket https://bitbucket.org/hirono_hideki/hirono_hideki.bitbucket.org

きっかけは次の新しく見つけたgitのWebサービスのページを読んでいて、やはりプログラムのソースコードの開発というサービスの趣旨を尊重したいと考えたからです。

Gitインストールガイド | Gitの使い方 https://codebreak.com/ja/contents/guide/#whats_git

以前もいろいろ調べソースコードに限るという趣旨を見つけることはなかったのですが、なんでもアップロードということになるとサービスに負担も掛かりご迷惑が及ぶかもしれないと考え、早い段階でやめておくことにしました。

ローカルリポジトリからのリモート設定は別のパソコンのリポジトリにに変更しました。次のようにやりました。

git remote set-url origin ssh://ログインユーザー名@リモートリポジトリのURLとパス・ファイル名

次のコマンドを実行することでgitのデフォルトのブランチであるmasterの内容がリモートに設定されたoriginに格納されるようです。

git push origin master

ブランチというのは派生バージョンを作ることができるようです。私自身gitを始めた頃は勉強も兼ねて色々やってみた経験はあるのですが、マスター以外のものを作る必要もないので、他にブランチを作るようなことはやっておりません。

リモート側のパソコンでは次のようにして中身のないリポジトリを作成しておきました。あえて一行のコマンドにしましたが、&&は、直前のコマンドが成功すれば次のコマンドを実行するというものです。同名のディレクトリがあればエラーが返るので処理は中断されるはずです。

mkdir kokuso2014.git && cd kokuso2014.git && git --bare init --shared

もう少し具体的に説明しましょう。添付のDVDにはgitのリポジトリをそのままコピーすることになると思いますので、ご自由に使っていただいてけっこうです。Windowsパソコンでもgitは使えると思いますが、UTF-8の文字コードとUNIX改行が問題になるかもしれません。

そういう場合は、別にブランチを作って文字コードと改行を一括変換されてはいかがかと思います。最近のWindowsパソコンのワープロソフトでは文字コードや改行が違っても普通に表示はできると思いますが、あとあと問題が起きてくる可能性はあるかと思います。

ローカルネットワーク内に192.168.11.3というパソコンがあるとして、それをリモートリポジトリとする仮定で説明します。先ほどの方法で、kokuso2014.git というディレクトリを作成しリモートリポジトリとして設定しました。

DVD一枚に余裕があれば、リモートリポジトリのファイルも合わせて添付しようかと思うので、そうすれば新規にリモートリポジトリを作る必要もなく、git cloneだけで事足りるかとも思いますが、ご説明のために具体例を示しておきます。

git remote set-url origin ssh://root@192.168.11.2/var/git-server/kokuso2014.git

私自身root権限でやったことはあまりないと思うのですが、独占的な管理としてご紹介してみました。mkdirで始まるリポジトリ作成の作業は、/var/git-serverのディレクトリで置こうなう必要があります。

gitはサーバとしても使えるはずですがサーバとしての設定が必要になるはずです。個人で使う分には必要ないので私は暗号化された通信手段でもあるsshを使っています。sshのサーバが動いている必要があるかと思いますが、UNIX環境では常識に近いかという前提です。

肝心なのはgit cloneです。これはリモートリポジトリの内容の複製になります。sshでログインできる環境であれば、ローカルネットワークにつながったどのパソコンからも実行できるはずだと思われます。100台、千台のパソコンからも同じ方法で実質的なダウンロードができるはず。

git clone ssh://root@192.168.11.2/var/git-server/kokuso2014.git kokuso2014_local_0001

あえてkokuso2014_local_0001という別名のディレクトリ名で保存しました。同名だと誤って上書き保存する場合や、ローカルネットワーク内の複数のパソコンで管理すると識別が困難になるだろうと予想したからです。私自身、個人以外の複数人ででサーバ管理をした経験はないですが。

gitは本来、共同作業としてのプログラム開発で使われているものかと思いますが、情報の共有、管理として様々な活用のできるツールではないかと私は考えています。よければ使ってもらいたいと思いますし、研究機関等への提供も惜しむものではありません。内容も同じです。

コミットした時点ということになるかと思いますが、作業過程での変遷もリビジョンというかたちで、必要があれば辿ることができるはずかと思います。私自身、プログラムの開発ではいので、状態を元に戻したり、確認するという必要は殆ど無いのですが、透明性は高くなるのあとは思っています。

この項目の本題に戻りますが、バックアップをし忘れたために、git cloneで内容を復活させるというはめになりました。「.git*」というのは含めていましたが、これはgitの設定ファイルを保存したことになります。どうもこのあたりで勘違いが生じていたのかもしれません。

Linuxを含むUNIX環境ではドットで始まるファイルやディレクトリは設定情報を関するもので隠しファイルという扱いにもなっています。Windowsの環境自体ではドットで始まるファイルやフォルダは作れなかったようにも思います。Cygwinだとやっていますが。

git cloneを実行すると展開されたファイルやディレクトリは、すべてタイムスタンプが実行時になるようです。これで今までのファイルの作成日時や更新日時の情報が失われてしまいました。意図せぬ大失敗ですが、取り返しはつかず仕方のないことです。以上です。

2014-04-30 水 21:29> [ ←これまでの記述範囲の終了時刻]]

Google+とPicasa ウェブ アルバムの利用方法と違い、及び本文中で使用するURLについての説明_2014年6月13日

2014-06-13 金 14:59> [ ←これからの記述範囲の開始時刻]]

Google+ と Picasa ウェブ アルバム - Google+ ヘルプ https://support.google.com/plus/answer/1361680?hl=ja

基本的なところは上記のページに書いてあると思います。中身のアルバムや写真自体は同じはずかと思いますが、両者は使い勝っても違いますし、他にも目立たないところに違いがあるように思われます。

どちらもGoogleのサービスですが、Googleのアカウントでログインしている状態としていない状態による、違いがあるはずです。その辺りの仕様に関しては、事実上告知なしの変更というのも、常に考えられるところかと私は考えています。

数年前の情報では、PicasaウェブアルバムからGoogle+の写真サービスへの移行というのもが予定され、その過渡期という位置づけかと考えていたこともあるのですが、最近の情報を見た感じでは、今後も両立する形で2つのサービスは続くのではと思われます。

私自身、今日になって初めて気がついたことですが、Picasaウェブアルバムで写真を特定したURLを、Googleにログインしていない状態で開くと、個別の写真ではなくアルバムそのもののURLにリダイレクト(転送)されるようです。

Picasaウェブアルバムの場合、選択して表示した個別の写真は次のようなURLになっています。

https://picasaweb.google.com/105782624485753679454/2007721#6024223227942978850

「#6024223227942978850」の部分がページ内のアンカーになっているようですが、初めから表示されているものではなく、非表示に設定されているID属性のブロック要素かと思われます。

試しにブラウザでJavaScriptを無効に設定してページを再読み込みさせたところ、表示が次のようになりました。本来は全ての写真が表示されるところを、JavaScriptの処理で一つだけにして見せていたようです。

2014-06-13-152441_JavaScript無効でPicasaウェブアルバムを表示.jpg pic.twitter.com/ity7shbhgd

次に、同じ写真がGoogle+だとURLは次のようになっています。

https://plus.google.com/u/0/photos/105782624485753679454/albums/6024221564962846657/6024223227942978850?pid=6024223227942978850&oid=105782624485753679454

ずいぶんと長いURLになっているので、これだけでもAPIからだと140文字を超えていて投稿は出来ませんでしたが、何度か説明しているとおり、ブラウザから投稿すると長すぎるURLの文字数分はうまく処理され、投稿することが出来ます。

上記のURLの場合、文字数のカウントを仕込んだ自作のスクリプトから投稿を試みると153文字で制限オーバーになるのですが、ブラウザからだと117文字の余裕があるようです。内部的に短縮URLを使っているのではと考えていますが、これは本当にありがたくなりました。

上記のURLをGoogleにログインしていない状態で開くと、一覧のボタンでもこの写真のみの表示ですが、リンクになっているアルバム名の部分をクリックで開くと、アルバムのURLが開くので、そちらから全体を見ることも出来るかと思います。

私が色々と試してみたところ、見落としという可能性も完璧に否定は出来ないのですが、Google+の場合、個別の写真はダウンロードできても、アルバムそのものはダウンロードする機能が備わっていないように思われます。

動作を確認しながら書いているのですが、別のアカウントだと一般公開のアルバムでも、アルバムのダウンロードボタンがグレー表示で実行できないようでした。以前はできていたような気もするのですが、そういうことになっているようです。

管理画面としてはGoogle+よりもPicasaウェブアルバムの方が使い勝手がよいので、アルバムの紹介はPicasaウェブアルバムのURLをこれからも使っていきたいと思います。

PicasaウェブアルバムのURLでも初めはGoogle+の写真にリダイレクトされ、「Picasaウェブアルバムに戻る」というような小さなリンクが表示されることも多いのではと思います。

アルバムの写真そのものはPicasaウェブアルバムで管理をしているので、やはりPicasaウェブアルバムのリンクを使いたいと思いますが、上記の事情で個別の写真の特定にはGoogle+のURLを使うようにしたいと思います。

混乱を避けるため、具体例を示しますが、Picasaウェブアルバムという名称は意味するところもわかりやすく、もともとPicasaウェブアルバムでアップロードしている写真なので、やはり次のような書式を使って、同時にファイル名を特定します。

Picasaウェブアルバム) 撮影:金沢港・金沢西警察署・金沢中央市場_2007年07月21日18時00分21秒.jpg https://plus.google.com/u/0/photos/105782624485753679454/albums/6024221564962846657/6024223227942978850?pid=6024223227942978850&oid=105782624485753679454

まだ、ご紹介していないようですが、次のYouTube動画もご用意しましたので、参考にしていただければと思います。

Googleアカウントにログインしない状態でのPicasaウェブアルバムとGoogle+の写真の閲覧における違い_2014年06月13日14時23分04秒 - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=O8P11USsyIY&feature=youtu.be

なお、何度も説明を書いていると思いますが、.jpgというのはファイルの拡張子です。Windowsパソコンではデフォルトの初期状態でファイルの拡張子は表示されないことになっていると思うので、馴染みのない人もいるかと思いますが、ファイルの種類を表すものです。

Windowsパソコンではさらに拡張子と起動するアプリが関連付けられています。Linuxを含めたUNIX環境では拡張子はさほどの意味を持ちませんが、デジカメでも使われている写真のファイル形式です。

ちなみにLinuxではfileというコマンドがあるのですが、例えば次のように結果が出ました。→ 2014-06-13_11.21.33.jpg: JPEG image data, EXIF standard

デジカメとなると写真ファイルと書いたほうが良さそうな気もするのですが、私はパソコンのスクリーンショットにもjpgファイルを使っています。pngより遥かにデータサイズが小さく収まるからですが、個人的にはその場合同じjpgでも画像ファイルと書いたほうが良さそうにも思っています。

同じくfileコマンドで今度はスクリーンショットのファイルを調べたところ結果は次のようになりました。

% file 2014-06-12-115144_それはこの落合が検察庁へ行って、動いてもらえるように、作った資料を提出して説明したからなのだよ。.jpg

2014-06-12-115144_それはこの落合が検察庁へ行って、動いてもらえるように、作った資料を提出して説明したからなのだよ。.jpg: JPEG image data, JFIF standard 1.01

デジカメのの場合だと「JPEG image data, EXIF standard」となっていましたが、やはり違いがあるようです。Exif情報というのは撮影日時から使用したカメラの機種など沢山の情報を持つものです。

ついでに書いておきますと、私がh-rename-jpg-file-Exif-no.shという自作のスクリプトを使ってファイル名を変換するとき、そのExif情報から取得した撮影日時をファイル名の中に含めるようにしています。

Windowsパソコンの場合、最初にファイルを作成した日時をタイムスタンプとして保持しているそうですが、Linuxの場合、最終更新日時と最終アクセス日時の情報しか持たず、いつ作成したものか手掛かりすら失ってしまう可能性があり得るからです。

Exif情報も簡単に書き換えが可能ですが、普通は全くやらないことです。本当はスクリーンショットは写真ではないということでpng形式にしたかったのですが、余りにもファイルサイズが大きくなるので断念しました。一つのファイルで平気で2Mを超えます。

特に区別はしないと思いますが、jpgという拡張子のファイルはデジカメ写真のものとパソコンの表示画面のスクリーンショットのものがあります。末尾に.jpgとある一続きの文字列は、そのようなファイル名だと思ってください。

さらにこれも繰り返し説明を書いてきたと思いますが、Picasaウェブアルバムで使うファイル名は、私がパソコンで使うファイル名、添付のDVDに収録予定のファイル名と同じものです。

ちなみに私は端末から画像ファイルを開く際、eogというコマンドを使うことが多いのですが、試してみると次のような調べ方も出来ました。

▶ 端末からfindコマンドで検索をかけ、まとめて画像ファイルを表示させるワンライナー_2014年06月13日17時31分03秒 - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=Wow4FFGP-a4&feature=youtu.be

あとあと調べやすいようにあれこれ工夫しています。一つのファイルを探すのに数時間かけ、それでも見つからなかったような経験もしてきたので、そのあたりは全体的な効率も重視しているつもりであり、手間暇もかけてやってきました。活用していただければ幸いです。

2014-06-13 金 17:46> [ ←これまでの記述範囲の終了時刻]]

非常上告 最高検察庁御中 ツイッター(@s hirono)に写真付きツイートする作業の紹介と記録_2014年06月23日

2014-06-23 月 10:29> [ ←これからの記述範囲の開始時刻]]

非常上告 最高検察庁御中 ツイッター(@s hirono)に写真付きツイートする作業の紹介と記録_2014年06月23日10時06分57秒 - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=hz9EnHrM6K8&feature=youtu.be

上記動画にしてYouTubeにアップロードしたものです。見ただけではわかりにくいところもあるかと思うので、補足的な説明をしておきます。

まずlocateコマンドを使ってファイルの検索をしています。バイナリデータとして検索をするのでとても高速ですが、最新の状態を反映させるにはroot権限でupdatedbコマンドを実行する必要があり、findほど汎用性はないかと思います。

ファイル名から調べたディレクトリにcdコマンドで移動。nautilus ./、を実行することでGUIのファイルブラウザで移動したカレントディレクトリを開いています。

あとは写真付きツイートをしたいファイルを探し出し、右クリックメニューのスクリプトに登録したコマンドを実行しています。端末から次のようにコマンドを実行しても結果は同じですし、端末だとエラーが出た場合、メッセージを確認することも出来ます。

% h-s_hirono-tweet-file.rb ./撮影:金沢港・金沢西警察署・金沢中央市場_2007年07月21日17時59分24秒.jpg

コマンドは自作のものでTwitterAPIを使っています。

この動画では2回、投稿の失敗をしています。たぶんすでに投稿したのと同じファイルを指定したので、ファイル名のみを書いたツイートが同じ内容だったので、エラーが出てはねられたのではと思います。

同じ内容のツイートでも一定期間経過後は投稿が出来たようにも思いますが、はっきり確認していませんし、そういうことはなるべく避けたほうがいいとも考えています。

自作のコマンドというかスクリプトでは非常上告-最高検察庁御中_ツイッター(@s_hirono)に写真付きツイートを投稿しています。

そのツイートを実際に開くのは投稿が成功したことの確認のためでもありますが、ツイートには自動で付けられた画像のURLが含まれています。本来リンクにあるはずのhttp というようなプロトコルはないのですが、Twitterの仕様で自動でリンクになるようになっています。

私が使っているパソコン環境はWindowsでもMacでもなくLinuxですが、範囲選択した文字列は、直後の操作でマウスの中ボタンをクリックすることで貼り付けることが出来ます。クリップボードとは似て異なる機能です。

それを本書を編集中のEmacsに貼り付けて、キーボードのF9に割り当てたコマンドで、カーソルのある行のテキストの内容を、告発-金沢地方検察庁御中_ツイッター(kk_hirono)にツイートしています。

プロトコルのない写真のリンクが機能して、ツイートに写真が表示され、とてもわかり易いかと思います。画像の部分をクリックすると拡大されますが、パソコンの画面が小さいと、それに応じて拡大率も小さくなりますが、風景の識別には問題のないレベルかと思います。

ディスクトップの大きな画面のパソコンだと文字の識別にも不満のない拡大が出来ると私は思っていますが、視力にも個人差があるので、それ以上の拡大が必要な場合は、PicasaウェブアルバムやGoogle+の写真を使ってもらえればと思います。

PicasaウェブアルバムやGoogle+の写真については他にもより詳しい説明を書いていると思いますが、対応するPicasaウェブアルバムのURLは併記するようにしています。

2014-06-23 月 11:01> [ ←これまでの記述範囲の終了時刻]]

DONE 本書(告訴状)の内容の取り扱いに対応させた新規ブログの開設について 2014年8月26日

  CLOSED: [2014-08-26 火 16:50]

2014-08-26 火 08:44> [ ←これからの記述範囲の開始時刻]]

昨日になりますが、Bloggerのブログの方で、新規にブログを解説しました。

本書の項目をブログの記事に対応させることは、これまでもやっていたことでありますし、お盆休みが終わってからはスタイルをそちらに戻すつもりでいたのですが、自分でもデータの管理がしづらくなっていたので急遽切り替えました。

従来のブログは次のものです。→ 非常上告-最高検察庁御中_Blogger http://hirono2013s.blogspot.jp/

こちらが新しく作ったブログです。→ 2014-木梨松嗣弁護士(金沢弁護士会)に対する告訴状(被疑事実殺人未遂)のブログ版 http://hirono2014k.blogspot.jp/

とてもわかりやすい名前にしたかと思いますが、新規にブログを作成すること自体、直前になって思いついたことでした。

ブログの記事は本書の項目に対応させます。一番の目的は過去に書いた部分をご説明に使う際に、項目の見出し名ではなく、記事のURLを使うことです。

基本的に見出し名と記事のタイトル名は同じものとして対応させますが、ブログのタイトル名としては全角のスペースが半角のスペースに置き換わったり、他にも意図せぬところに半角スペースが入り込む場合があるようです。

今確認したところ、編集画面でのタイトル名に問題の半角スペースは見当たりませんでした。表示されたブログのほうで記事のタイトル部分をコピペすると、半角スペースの問題が出るようです。

パソコンで使用されているフォントによる違いも大きいかと思いますが、見た目上、全角と半角のスペースの見分けがつきにくい場合もあるかと思いますが、問題は検索をするときのことで、通常全く異なる扱いを受けるはずなので、正しい検索結果が得られない場合があるのかと気になります。

実際はどうなのかと試した見たところ、Bloggerの検索機能は、なぜか使い物にならない精度です。BloggerはアメリカのブログサービスでGoogleに買収されたという話を5年ほど前に見かけたことがありますが、そもそも日本語での検索には対応していないのかもしれません。

Bloggerのブログの記事はGoogle+ページにリンクを投稿するようにしています。Google+には精度が高く強力な検索機能がありますので、それだと問題なく検索で探し出すことが出来ました。

私の推測になりますが、仮に半角スペースが混じった検索ワードでも、その半角スペースが「またはのOR検索」として扱われ、検索の対象を広げることになるのかもしれません。

これまでと違い項目は、簡潔にまとめ独立した内容として他の項目との関連性を示し、機能的に活用することを心掛けます。

2014-08-26 火 16:50> [ ←これまでの記述範囲の終了時刻]]

参考資料

PICSA 資料写真/若杉幸平弁護士 - 廣野秀樹 - Picasa ウェブ アルバム

データ登録日時;<2014-03-26 水 15:47>
:PROPERTIES:
:CUSTOM_ID: LINK-ID_1
:END:
- ID:
 - #LINK-ID_1
- ページタイトル:
 - 資料写真/若杉幸平弁護士 - 廣野秀樹 - Picasa ウェブ アルバム
- URLリンク:
 - https://picasaweb.google.com/105782624485753679454/NacWhC
- 参照元:
  • ページ内アンカー MARK-ID-1
    - 備考欄:
     - なし

PICSA 資料写真/能登町周辺 - 廣野秀樹 - Picasa ウェブ アルバム

データ登録日時;<2014-03-27 木 11:20>
 :PROPERTIES:
:CUSTOM_ID: LINK-ID_2
:END:
- ID:
 - #LINK-ID_2
- ページタイトル:
 - 資料写真/能登町周辺 - 廣野秀樹 - Picasa ウェブ アルバム
- URLリンク:
 - https://picasaweb.google.com/105782624485753679454/vbnroE
- 参照元:
  • ページ内アンカー MARK-ID-2?
    - 備考欄:
     - なし

PICSA 告訴状作成作業及び閲覧方法に関する説明等/画像ファイル - 廣野秀樹 - Picasa ウェブ アルバム

データ登録日時;<2014-04-04 金 13:55>
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 - #LINK-ID_3
- ページタイトル:
 - 告訴状作成作業及び閲覧方法に関する説明等/画像ファイル - 廣野秀樹 - Picasa ウェブ アルバム
- URLリンク:
 - https://picasaweb.google.com/105782624485753679454/JZZeZH
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  • ページ内アンカー MARK-ID-3?
    - 備考欄:
     - なし

ENTRY あなた自身が被害を与えた被害者その他関係者の実名を記載しており、これらの 人の名誉を侵害しており~ジェイ | 非常上告-最高検察庁御中_Blogger

データ登録日時;<2014-04-21 月 16:10>
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- ID:
 - #LINK-ID_4
- ページタイトル:
 - あなた自身が被害を与えた被害者その他関係者の実名を | 非常上告-最高検察庁御中_Blogger
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 - http://hirono2013s.blogspot.jp/2014/04/blog-post_6929.html
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  • ページ内アンカー MARK-ID-4?
    - 備考欄:
     - なし

PICSA 資料写真/平成4年4月2日付け北國新聞夕刊 - 廣野秀樹 - Picasa ウェブ アルバム

データ登録日時;<2014-05-01 木 17:28>
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- ID:
 - #LINK-ID_5
- ページタイトル:
 - 資料写真/平成4年4月2日付け北國新聞夕刊 - 廣野秀樹 - Picasa ウェブ アルバム
- URLリンク:
 - https://picasaweb.google.com/105782624485753679454/442
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     - なし

PICSA 金沢市場輸送:西念の元事務所_2013年09月05日作成 - 廣野秀樹 - Picasa ウェブ アルバム

データ登録日時;<2014-05-18 日 10:05>
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- ページタイトル:
 - 金沢市場輸送:西念の元事務所_2013年09月05日作成 - 廣野秀樹 - Picasa ウェブ アルバム
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 - https://picasaweb.google.com/105782624485753679454/_20130905
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    - 備考欄:
     - なし

PICSA 2014-木梨松嗣弁護士(金沢弁護士会)に対する告訴状(被疑事実殺人未遂)のブログ版: 写真資料> 一件記録・写真/H05_精神鑑定書_金沢大学教授山口成良.html

2014-木梨松嗣弁護士(金沢弁護士会)に対する告訴状(被疑事実殺人未遂)のブログ版: 写真資料> 一件記録・写真/H05_精神鑑定書_金沢大学教授山口成良.html http://hirono2014k.blogspot.jp/2014/09/h05html.html

PICSA 一件記録・写真/2014年作成/訴状 原告訴訟代理人 弁護士 長谷川紘之 平成6年7月5日付 金沢地方裁判所御中 - 廣野秀樹 - Picasa ウェブ アルバム

一件記録・写真/2014年作成/訴状 原告訴訟代理人 弁護士 長谷川紘之 平成6年7月5日付 金沢地方裁判所御中 - 廣野秀樹 - Picasa ウェブ アルバム https://picasaweb.google.com/105782624485753679454/2014675

Footnote

Footnotes

[fn:1] Footnotes(脚注)