推しを大事に

Last-modified: 2022-07-03 (日) 18:57:48

12月に入ったある日の事。
星見プロでは年末のTV出演やイベントの調整で慌ただしい空気に包まれていた。
この日も遅くまで所属メンバー総出での打ち合わせとなった。

「…以上が今年の年末の予定になる。何か質問は?」

…返事なし。どうにかまとまったか。

「それじゃ、今日はこれで解散。あ、雫だけちょっと残ってくれるか」

ぞろぞろと帰宅の準備に向かう途中の雫を呼び止めた。

「ん、私?」
「そう、いつもの釣り番組から年始に特番をやるそうで、そのオファーなんだけど…」
「何か問題、あった?」
「ああ、今回の収録はかなり遠方になるのと、撮影時間的に泊まりの仕事になるんだ。
 他のイベントなんかとはバッティングはしないんだが、未成年だからどうかなというのもあって」
「資料とか、ある?見てから、考えたい」

忙しい時期なのに前向きに考えてくれるのは助かる。

「ああ、ここにある。急な話だし、返事は明日でも…」

雫は資料を渡されてから30秒ほど目を通した後、こちらを見て告げた。

「やる」
「早いな!?そうすると、橋本さんに付き添ってもらうか…」
「橋本さんも、未成年。あと、この日は月ストのライブの同伴だって」
「しまった、そうだった…」

少し前に自分で言ったことをもう忘れていた。

「となると、俺が行くしかないけど…さすがに泊まりの仕事は保護者の方にも確認してくれないか」
「ん、わかってる。今電話しても、いい?」
「この時間じゃご迷惑にならないか?そんなにこの番組の収録が気に入ってたのか」
「それもある、けど」
「けど?」
「温泉旅館で一泊…!」
「決め手はそこなのか!?」

確かにいただいた資料にはそう書いてあったが。

「いやしかしなぁ…」
「OKだって」
「早いな!?え、本当に?」
「ん。話、する?」

そう言ってスマホを手渡されてしまった。
電話の相手がお父さんなのかお母さんなのかわからないけど、ご説明はしないといけないか…。

「もしもし、お電話代わりました、星見プロダクションの牧野と申します。
 はい、ご無沙汰しております。はい、はい…もちろんです、事務所としても責任を持ってご対応させていただきます。
 はい…それでは失礼します」

ビックリするほどスムーズに話が進み、電話を切ると雫に返す。

「すごく、緊張してた」
「前に説明会とかでお会いしたことはあったけど、下手な取引先との電話より緊張したぞ…よく許可してもらえたな」
「牧野さんのことは、実家に連絡する時によく話、してる」
「OKもらえてるってことは悪くは思われていないんだろうけど、過大な評価をされていないかそれはそれで怖いぞ…」
「大丈夫」
「何が大丈夫なんだろうか…。まあ、先方には明日返事しておくから、準備はしておいてくれ」
「うん。楽しみ」

本当に楽しそうにしているから、まあ、いいんだろうか…。

撮影当日。
早朝からのロケバス移動は朝の弱い雫にはこたえたようでずっと寝ていたが、そのおかげか到着後の撮影は順調そのもの。
釣果も上々といったところだ。

「お疲れ様、雫」
「お疲れ様、です」
「調子良さそうだったな」
「ん。この辺りの釣り場の下調べ、しておいた。上手くいって、よかった」

良い画が撮れたし、この分なら放送も問題ないだろう。
宿の部屋まで雫を案内すると、自分の止まる部屋へ向かう。
一泊分の荷物だからそこまで重くはないが、体は一日分の疲れをしっかりと感じている。
部屋へ着いて荷物を下ろしたところで、携帯からメッセの通知音が鳴った。

雫『温泉、行く?』

そんなに楽しみだったのかと、思わず笑みが零れてしまう。

 『夕飯の前に、軽く入ってこようか』牧野
雫『先に行ってて、ください』
雫『ちょっとだけSNS確認してから、行きます』
 『了解。熱中しすぎないようにな』牧野
雫『(ウインクするネズミのスタンプ)』

部屋に準備されていた浴衣と持って来た下着を準備して、温泉へ向かう。
これも下調べをしてきていた雫が言っていた通り、見事な景色といいお湯だ。
遅れてやってきた雫も想像以上だったらしく、ずいぶんと上機嫌なのが壁越しの会話でも伝わってきた。
…いつ以来だろうかと言うくらい、のんびりとお湯に浸かった気がする。

部屋に戻って夕食をいただいた後、持ち込んだノートPCでメールのチェックと返信を済ませた。
…することが、ない。いつもであれば、まだオフィスで書類を片づけていただろう。
かといって寝るには早い時間だし、どうしたものか…と思っていたら、再びのメッセ音。

雫『まだ、起きてる?』
 『ああ、起きてるよ』牧野
雫『ちょっとだけ、お話ししに行っても、いい?』

…少し考えて。

 『明日も早いんだから、少しだけだぞ』牧野
雫『(照れる魚魚っとさんのスタンプ)』
雫『じゃあ、行くね』

数分後、控えめに扉を叩く音が鳴る。

「開いてるよ」
「お邪魔、します」

いそいそと入ってくる雫は、オフ時間の髪を下ろして眼鏡の装い。
ただし、着ている服がまたいつもと違い、俺のものとは色違いの浴衣姿でこれも新鮮だ。
ゆっくりと歩いてくると、テーブルの向かい側の座椅子にちょこんと座った。

「…」
「?」

おしゃべりをしに来たはずだが、じっとこっちを見て何も言わない。
どうしたものか、と考えていると。

「今日は、お仕事についてきてくれて、ありがとう、ございます」

そう言うと、ぺこりとお辞儀。

「雫が楽しんで仕事ができたなら、それが一番だよ」

それは偽りのない、正直な気持ちだ。
だが、雫の表情は晴れない。事務所を受けに来た頃とは別質の硬さを感じる。その意味を測りかねていると、

「…ゆっくり、できた?」

ああ、そういうことだったのか。

「おかげさまで温泉も料理も最高だったよ。この仕事受けてくれてありがとうな、雫」
「ん、よかった」

ようやく笑顔を見せてくれた。
ダメだな、担当を心配させてるようじゃ。

「温泉まんじゅう、買ってきた。一緒に食べようと思って」
「お、いいな。お茶淹れるよ。そういえば、そろそろ琴乃達が出演する番組の放送時間だな」
「うん、一緒に見ようと思ってた。他にも気になるアイドルが出るから、録画予約もしてきた。帰ったら繰り返し見て、研究」
「雫先生はさすがだな。後からでいいから俺にも見せてくれるか?」
「ん。それまでにリサーチもしておく」

ぐっと握り拳を作る雫の姿に微笑ましさを覚えながら、準備をして並んでTVに向かう。
月ストのパフォーマンスはレッスンの成果が目に見えていて、年末の大舞台に向けてみんな弾みが付いただろう。
雫の言っていたアイドルも、ノーマークだったが確かに見ごたえのあるステージだ。
…それ以上に興奮してエアサイリウムを振る雫が気になってしまったのは秘密にしておこう。

「ふう…満足」
「すごく楽しんでたな」
「うん。前評判以上…!要チェック!」

早速スマホで調べものを始めたので、今のうちに琴乃たちに連絡しておこうか。
自分のスマホのメッセアプリで月ストのルームを開く。

 『みんな、お疲れ様。テレビで見てたよ。いいパフォーマンスだった』牧野

少しして、控室に戻って来たのだろう。返信が付いた。

琴乃『お疲れ様です。遠方でのお仕事で大変そうなのに、ありがとうございます』
すず『これなら年末の大舞台もバッチリですわね!』
 『今日のライブは自信になったと思うが、気を緩めないように。特にすず』牧野
すず『なんでですの!?』

帽子を叩きつける猫のスタンプが連打されたが、とりあえず無視しておこう。

 『雫も一緒に見てたが、今日一緒に出演していたアイドルともバトルで会うかもしれない。
 その時に備えてしっかり練習しよう』牧野

そのコメントに対して、沙季以外の4人から一斉に

『は?』

あ、あれ?

琴乃『牧野さん』
 『は、はい』牧野
琴乃『ちょっといいですか』

このフレーズ、随分と久しぶりだな…。
などと考えていたら、琴乃からの着信だ。

「もしもし」
「どうした?琴乃…ってうるさっ!?」

電話の向こうでなにやら大騒ぎだ。

「雫の仕事に同行しているのは聞きました。なんで一緒にテレビ見てるんですか?まさか同室…」
「いやいや、そんなわけないだろ!?」
「別室だとしても、部屋には入れたんですよね?」
「はい…」

返す言葉もない、とはこのことだ。

「まあ、牧野さんのことだから何も無いとは思ってますけど…。
 ごめん、渚、すず、ちょっと静かに…あと芽衣は怖いからその顔やめて…」

沙季ー!頼むみんなを止めてくれー!

「牧野さーん!聞こえてるー?芽衣も温泉行きたいなー!
 っていうか年末のお仕事終わったらお疲れ様会兼ねてみんなで行こうよー!
 いいよねー?いいともー!他のグループのみんなにも連絡するねー!」

芽衣ー!?なんかとんでもないことを言いだしたぞ…!

「自業自得ですわ!」
「よくわかりませんが、ご褒美があるなら頑張りがいがありますね」

沙季はずっとそのままでいてください…。

「わかった!俺が悪かったのは事実だからな…都合付けるよ」
「なんか、変な展開になってすみません…なんで私が謝ってるんでしょうね?」
「なんでだろうな…。まあ、今日はみんな疲れてるだろうから早く帰って休むんだぞ」
「あ、はい、そうですね。じゃあ、みんなで寮に帰ります。お疲れ様でした」
「ああ、お疲れ様」

温泉で癒されたのに、急にどっと疲れたな…。
と、ただならぬ様子を感じたのか、調べものを止めていた雫と目が合った。

「…大丈夫?」
「ああ、うん。何でもない…ことはないけど大丈夫だ」
「?」
「近いうちに、またここに来ることになるかもしれないぞ、みんなで」
「おぉぉ…!それはそれで、楽しそう」
「年内の残りの仕事をちゃんと終わらせたらな。さ、もういい時間になったし明日に備えて休もう」
「ん、そうだね。お部屋、戻ります。おやすみなさい」

手を振りながら部屋へと戻っていった雫を見送って寝る準備をしていると、再びのメッセ音。

雫『今度は、私の部屋にも遊びに来て、ください』

…俺はどうしたらいいんだろうな、麻奈…。

終わり