24/07/04

Last-modified: 2024-07-08 (月) 16:22:54

通読
'裁判に当たって、偏り見ることがあってはならない。身分の上下を問わず、等しく事情を聞くべきである。人の顔色をうかがってはならない。裁判は神に属することだからである。事件があなたたちの手に負えない場合は、わたしのところに持って来なさい。わたしが聞くであろう。」 '
申命記 1:17

関連聖句
'あなたたちは不正な裁判をしてはならない。あなたは弱い者を偏ってかばったり、力ある者におもねってはならない。同胞を正しく裁きなさい。 '
レビ記 19:15

'彼は裁判官に言った。「人のためではなく、主のために裁くのだから、自分が何をすべきか、よく考えなさい。裁きを下すとき、主があなたたちと共にいてくださるように。 今、主への恐れがあなたたちにあるように。注意深く裁きなさい。わたしたちの神、主のもとには不正も偏見も収賄もない。」 '
歴代誌下 19:6-7

引用

所感

今日の聖句
'あなたの道を主にまかせよ。 信頼せよ、主は計らい あなたの正しさを光のように あなたのための裁きを真昼の光のように輝かせてくださる。 怒りを解き、憤りを捨てよ。 自分も悪事を謀ろうと、いら立ってはならない。 悪事を謀る者は断たれ 主に望みをおく人は、地を継ぐ。 沈黙して主に向かい、主を待ち焦がれよ。 繁栄の道を行く者や 悪だくみをする者のことでいら立つな。 '
詩編 37:5-9

関連聖句
'無慈悲、憤り、怒り、わめき、そしりなどすべてを、一切の悪意と一緒に捨てなさい。 '
エフェソの信徒への手紙 4:31

'今は、そのすべてを、すなわち、怒り、憤り、悪意、そしり、口から出る恥ずべき言葉を捨てなさい。 '
コロサイの信徒への手紙 3:8

「思い悩むな」ということばは、平穏な日々においてだけではなく、どうしていいかわからない、混乱の日々にも、役に立つもの でなければならない。そうでなければ、そもそも役立 つことなどありえない。しかも、あなたの具体的な問 題に対して役立たないのであれば、だれの問題に対しても役立つことは望めない。主の中に憩うということは、外部の状況とは無関係であり、あなたと神ご自身との関係に関わることなのだ。

いらいらしたままでいると、結末は決まって罪とな る。少々の心配事や悩み事があるのは、自分が本当は知恵者であることのしるしである、と私たちは考えるが、それはむしろ私たちが本当はよこしまであることのしるしなのである。思い悩む根本原因は、自分の思いどおりにしたい、という頑ななまでの決意にある。

私たちの主は、一度たりとも、ああ、どうしたらいいのだろう、と気をもまれたことはない。それは、主のご目的が、ご自分の計画ではなく、神のご計画を成し遂げることにあったからである。あなたが神の子どもであるなら、思い悩むことはよこしまなことであると 知らなければならない。自分の現状をどうにかすることなど、神にはできるわけがない、という愚かな考えをあなたはずっと持ち続けてきたのではないだろうか。あなたの「見解」 や「想像」は脇に置き、全能者の陰に宿ることだ(詩篇9.1参照)。自分に関わることで思い悩むことはしませんと心を決めて神に伝えよ。私たちが焦ったり、心配したりするのは、すべて神を抜きにして考え、計画した結果なのである。

所感