かね丸の町を走る「チンチン電車」の代表格 100形
100形は1950年から1966年にかけて56両が製造された路面電車である。
初期型の33両(101号~133号、1950年~58年に製造)は京都市電800形の設計変更版としてナニワ工機で製造された*1。
後期型の23両(134号~156号、1962年~66年に製造)は阪堺電気軌道351形などと同じく中央の窓が大きく、屋根の浅いスタイルが特徴的で、帝國車輛重工業で製造された*2。
本車の導入によって開業時から使われてきたデ1形?やデ30形?が一部を残して全車廃車となり、4輪単車が実質的に消滅した。
また、1958年から本形式をベースにした連接車の200形?も製造された。
概要
簡単に言えばサービス向上と4輪単車の置き換えを目的として、1950年にナニワ工機で製造が始まったのが本形式である。京都市電800形をベースとした、前面三枚窓、前後扉(製造時期により前中扉に変更)、小型の方向幕、ヘッドマークステーを左右にもつ車両である。
| 主要諸元 | |
|---|---|
| 軌間 | 1067mm(狭軌) |
| 電気方式 | 直流600V |
| 最高運転速度 | 時速50km/h |
| 定員 | 80人(着席28人) |
| 車両重量 | 14.90t |
| 全長 | 12,100mm(連結器含む) |
| 全幅 | 2,430mm |
| 全高 | 3,910mm |
| 台車 | 新扶桑金属*3KS-40J(101号~128号) 住友金属FS-78(129~133) 日立製作所KL-11(134号~156号) |
| 主電動機 | 三菱電機製MB336-LR4 |
| 主電動機出力 | 50kW×2 |
| 駆動方式 | 吊り掛け駆動 |
| 制御装置 | 単位スイッチ式間接非自動制御 日本車輌製造NCL-452L-RUD(101号~128号) 三菱電機HL-72-6DA(129号~156号) |
| ブレーキ装置 | SME非常弁付き直通空気ブレーキ |
導入の経緯
戦後の需要が高まっていく中、かね丸電鉄は戦前から戦中に製造されたオンボロ4輪単車しか所有しておらず、常にボロボロの単車が2両編成*4で行ったり来たりすることが多くなっていた。いちいち終点駅で行われる入れ換え作業がめんどくさいと愚痴を言う乗務員。もっと沢山乗れる大型電車が来たらいいのにと思う客たち。これではコストがかかると思う経営陣。これは新車を導入するしかない。そう思いナニワ工機に発注したのが本車である。
全長11,950mm(連結器搭載前)でかね丸電鉄の路面電車では初のボギー車となり、定員は80(うち着席28)人で、満員の場合は160人乗車可能となった。その後も増え続けた需要に対応するため、連結運転対応工事(後述)が施行され、最長で3連での運転が可能となった*5。
連結運転対応工事
1950年代後半に入ると、高度経済成長によりかね丸電鉄市内線は更なる需要を求めて路線を開拓していった。
すると、予想通り需要が高まり、100形導入時を超えるものとなった。100形1両編成でも対応しきれなくなり、100形の設計をベースとした連接車である200形?の生産が1958年に開始された。しかし、およそ1.5倍の定員をもつ200形でも積み残しが発生。ついに1961年に連結運転を開始することになった。
主な改造点は以下の通りである。
- 前面にトムリンソン連結器(電連付き)を設置。
- ブレーキ装置をSM-3形直通空気ブレーキから連結運転対応のSME非常弁付き直通ブレーキに変更。
- 当初は左側で系統表示板だけだったヘッドマークステーを、左側を1段、右側に1段追加。左側は「急」*6ヘッドマークを掲げ、右側は「連結車」というヘッドマークを掲げている。
この改造は初期車である33両と200形?にも施行され、後期車は当初より上記の装備で竣工した。
本形式に関する逸話
- 本形式が登場した時、大人も子供もこぞって乗りたがり、単車を何両見送っても乗りたがったそうだ。
- 南かね丸駅に隣接する南かね丸車庫に搬入する際、牽引していたトラクターが故障し、偶然通りかかった米軍のトレーラーに載せ替えられて運ばれたらしい。
- 専用軌道を走行中、あまりの遅れで回復運転を行ったところ時速65km/h程で走ったと運転士が証言している。このことから、本形式のハイスペックさが伺える。
製造時期による違い
本形式は1950年から16年にわたり製造されたため、様々な違いが見られる。
- 前期型と後期型(見分ける難易度:イージー)
最初に製造された101号~133号は丸みを帯びた屋根をもつずんぐりとしたスタイルが特徴で、製造はナニワ工機である。デザインは同時期にナニワ工機で製造された京都市電800形に準じている。
134号~156号は窓が大きくなり屋根の浅い当時としては近代的なスタイルが特徴。デザイン同時期に製造された阪堺電気軌道351形や伊予鉄道モハ50形(70~78)に準じている。 - 前期型最終グループを探せ!(難易度:ノーマル)
前期型のうち、1957~58年導入の129号~133号は前面中央の窓が拡大されたほか、主幹制御器が後期型と同じ三菱電機HL-72-6DAであったり、このグループのみの採用となった住友金属の防音防振台車であるFS-78を装着していたりする車両が前期型最終グループである。このグループを「中期型」と分類する鉄道ファンもいるらしいが、かね鉄曰く、「129号~133号は前期型です。」とのことである。

