対戦の記録/7期/幻想電鉄織宮支社/幻想本線

Last-modified: 2018-02-22 (木) 00:58:35

幻想本線(げんそうほんせん)は、織宮市の織宮駅から安城市の幻鉄安城駅までを結ぶ幻想電鉄(幻鉄)の鉄道路線。

幻想本線
Shinmizuhashi.PNG
新水橋駅を発車する225系(2036年7月)
基本情報
起点織宮駅
水橋(水橋支線)
終点幻鉄安城駅
新水橋駅(水橋支線)
駅数30駅(支線含む)
開業1968年11月30日
全通1986年2月7日
所有者幻想電鉄
運営者幻想電鉄
車両基地河城列車区、筑波大宮列車区、新水橋列車区
使用車両車両の項を参照
路線諸元
路線距離1588*0.5km(織宮-幻鉄安城間)
km(水橋-新水橋間)
軌間1067mm(狭軌)
線路数複単線(東織宮 - 風見間)
複線(織宮 - 東織宮間、
   有坂 - 幻鉄安城)
単線(風見 - 有坂間)
電化方式直流1500V 架空電車線方式
最大勾配25.6‰
最小曲線半径350m
閉塞方式自動閉塞式
保安装置ATS-PH
最高速度130km/h



概要

織宮 - つくば - 安城を結ぶ幹線の一つである。山神山脈を越える区間以外は平坦で急曲線も存在せず、列車は高速度を保って走行する。
つくば市民が織宮の原始人に「安  城  コ  ン  グって知ってる?」と聞いたところ「知wらwなwいwよw」と返されたのにショックを受けて建設を提案した路線である。

路線概況

第一区
織宮から風見まではかろうじて通勤路線と呼べる規模で、その先利用者の多い筑波大宮までは単線区間がネックになるため風見と有坂手前で何本も詰まり、結局増発しても駅時刻表に列車を追記できない状況が常態化している。
第二区
幻鉄水上から幻鉄舞ヶ原まではもっぱら空気を運んでいる。こんなクソミドリ地帯がなんで複線化されたかと言うとお察しください
最近は筑波大宮~新水橋の客でそれなりに賑わっている。車両は第一区と第三区で引退したボロの掃き溜めと化している。
第三区
新水橋から安城までのギリギリ安城近郊圏を通るため客はダントツに多い(当社比)。安  城  コ  ン  グ現象は幻鉄でも例外なく発生しており、普通列車は安城から4駅進んだ比奈朝倉で折り返してしまい、その先には普通の設定がない。「東雲居より先の各駅は急行にご乗車ください」

歴史

国鉄から織立線を譲り受けた幻鉄は、織立線の廃線以外のいかなる工事も認める代わりに、国鉄時代に頓挫した織宮と安城を結ぶ長大路線計画を実現させる条件を提示されていた。
織立線系統の売上で経営に安定が見えた幻鉄は、まず第一区としてつくば市までの区間を建設した。第一区が当初の想定よりも利用客が多かったため、第一区の輸送力増強が急務とされ、その後第二区が着工されるまでに4年の年月を要した。

続く第二区は、人口希薄地帯が長く続き地形も緩やかなため建設自体は問題とされなかったが、採算性に乏しく安城全通までは赤字経営を強いられることが想定されていたため、一区よりも規格の低い37kgレールや木製架線柱を採用して建設が進められた。直線の続く平坦区間でも最高速度は85km/hに制限され、単線区間の長さによる列車交換待ちも相まって筑波大宮 - 新水橋駅間は2時間45分と不便な区間であった。

安城市の認可が下り新水橋 - 幻鉄安城の第三区建設が始まったのは1979年のことで、第二区が開業して3年後のことであった。本来安城市内を高架で貫く予定だったが、計画から20年近く建った安城市北方は景観ヘタクソ高層ビル林と変貌しており、地上の通過は不可能であったため急遽計画を変更し、幻想本線は地下を通ることとなった*1
第三区が完成し全通した後、利用者数は爆発的に伸び幻鉄はそれまでの客車列車ダイヤから電車ダイヤへの転換を余儀なくされた。最も利用客の多かった第三区の列車はラッシュ時に乗車率が220%を超え、「ZIP客車」と呼ばれたオハ35900形客車が使用されるなど、輸送力が限界に達していた。

この状況にまず老朽化が進みつつある車両面での改良に踏み切った。OEM契約によって国鉄80系と共通設計の電車である10系を特に混雑の激しい第三区に集中投入し、続いて第一区にも順次投入して客車列車を閑散区間の第二区へ転属させた。客車列車を圧倒する加減速性能により増発が可能になり、第三区の混雑は190%程度まで減少した。

次に設備の近代化と増強に取り組んだ幻鉄は、第三区と第一区の複線化に取り組むとともに当時の鉄道事業者の中では比較的遅くPRC・CTCを全線に導入した。第一区は風見以東の「山神越え」区間の複線化用地確保ができず、現在も風見 - 山坂が単線のままで、この区間が輸送力のネックになっている他は順調に複線化が進んだ。この複線化と先の車両更新や増発により、安城 - 織宮間は乗り継ぎを含めた最短所要時間が全通当初の7時間30分から5時間へと大幅に短縮された。

1980年代後半になると沿線の都市圏も広がり通勤需要も長距離化しつつあった。また都市を跨ぐ利用客も増加し、従来の三区間で分断された運転系統では需要に対応できないことから、長距離系統の新設を含めたダイヤ改正を行った。各区間の混雑が落ち着いたわけではないために、これまでの運転系統はそのまま普通として据え置き、初の優等列車である急行(現在の特急)を織宮 - 舞ヶ原と舞ヶ原 - 安城間に新設した。車両はJRから117系を大量に譲り受けて工面することになった。冷房付クロスシートという設備は利用客から大変好評で、運行開始当初から急行には利用客が殺到した。
また117系の最高速を活かすため山岳区間を除く全線で路盤の高規格化を進め、急行設定より8か月遅れて急行の110km/h運転を開始した。

増加する急行の需要に未だ単線であった第二区の線路容量が追い付かなくなり、1992年にこの区間の複線化を開始した。第一区と第三区複線化の際に用地取得と準備工事だけは行っていたため、供用開始まで1年半という短期間で工事は終了した。同時に陳腐化の進んだ117系を置き換える為3扉転換クロスシートの221系を急行に投入し、玉突きで第二区に残っていた客車列車を全廃、第二区の高速化により安城 - 織宮間は最速4時間まで短縮された。


*1 筑波大宮から続く勾配の緩やかな区間で、弘川駅手前が25.6‰の最急勾配地点となっているのはこの計画変更が原因である。なお同区間の勾配は山神山地を越える御蛇久地沢駅 - 有坂駅に連続する22.3‰をも越える