二木佳奈多(ふたき かなた)は眠主党所属の政治家。現・眠主党政策調査会長。
同じく眠主党総務委員長の三枝葉留佳は実の妹。
眠主党「三枝グループ」の事実上のリーダーである。
略歴
リトバス県超野党連合?に加入しており、2008年葉鍵政界総選挙?のリトルバスターズ!県選挙区における超野党連合統一候補の最終候補となったが、統一候補には選ばれなかった。
その結果、鍵ブロック区から妹の三枝葉留佳?と共に超野党連合推薦候補として立候補することになったのだが、その後眠主党が突如としてリトバス県超野党連合?からの離脱を宣言し、葉留佳・佳奈多を独自候補としてリトルバスターズ!県選挙区から立候補させると発表。
その後三枝グループが眠主党首脳部に意図を問いただしたが首脳部の回答は納得いくものではなかった。そこで、当時棗恭介?・リトバス社会大衆党?委員長が全葉鍵超野党連合?の結成を発表していたことに目をつけ、今度は眠主党に対して全葉鍵超野党連合?への加入の意志の有無を質問する。また、眠主党が加入しない場合には三枝グループの眠主党からの離脱を内々に決定していた。
これをうけて水瀬名雪代表は斉藤?と共に、棗恭介?・宮沢謙吾?との首脳会談を行い、この会談の結果眠主党は「リトバス県超野党連合?候補の推薦取消し処分を行ったのはリトバス県超野党連合?が党中央からの造反を助長していると判断したからであるが、誤解であった」として、三枝グループの要求を受け入れてリトバス県超野党連合?候補を改めて推薦することと、全葉鍵超野党連合?への加入を決定する。眠主党の分裂は直前で回避された。
なおこの間能美クドリャフカ?を眠主党に勧誘したり、鍵社民党(現・葉鍵社民党)の棗鈴?を坂上智代党首との関係悪化の隙を見て眠主党に引きこもうとするなど、党勢拡大に向けた活動も行っている。
2008年葉鍵政界総選挙?では、リトバス県超野党連合?の選挙協定により、ブロック区の単独候補として出馬し、5位当選する。
その後一ノ瀬ことみ?を首班とする一ノ瀬内閣?が発足すると農林水産大臣に任命される。
2009年に入り、水瀬名雪代表(総務大臣)の居眠り会見事件、続いて甘党から水瀬名雪代表への不正献菓子疑惑が発生すると、代表交代を影で画策。この結果眠主党は代表選開催を決定するが、佳奈多自身は立候補せず、グループの座長である三枝葉留佳を推薦することとなる。
ところが、代表選では名雪が再選し、代表交代計画は見事に失敗に終わる。その結果リトバス県超野党連合?や杏さん党との関係が再び微妙なものになったと言われるが、2月の居眠り事件以降のこれらの行動により、党内での影響力を徐々に増す。
2009年7月、一ノ瀬ことみ?首相が眠主党の合同・葉鍵社民党の連立参加・杏さん党(5月に連立を離脱していた)の与党復帰も視野に入れた政界再編を仕掛けるにあたり、実務調整にあたるが、葉鍵社民党が連立参加を拒否し、当時解散総選挙を求めていた杏さん党にも相手にされず失敗する。しかし、この事件を通じて水瀬グループ・三枝グループの関係は急速に改善し、三枝グループに付きまとっていた非主流のイメージは薄れ、影響力も一気に拡大した。
その後も、党内の人事改革やことみん新党との合同会派結成において実務を統括し、眠主党は10月24日には人事異動を行い、10月28日にはことみん新党との合同会派結成を行った。
2010年葉鍵政界総選挙?では、実質的リーダーである棗恭介?によって、「うぐ公政権を倒すという当初の目的は既に完遂した」として、超野党連合は解散されたことから、リトルバスターズ!県選挙区から立候補し、3位で選挙区当選を決め、奇しくも眠主党最初の当選者となった
。
しかし、眠主党自体は、総定数が増えたにもかかわらず4議席減の7議席と大幅な後退を余儀なくされ、さらにオカル党革命などの政治混乱に巻き込まれることとなるのである。
その後しばらくの動きについては諸設定が入り乱れているので割愛するが、最近は三枝葉留佳内閣の樹立を画策して動いている。
特に注目すべき活動として、坂上智代党首らの提案する共謀罪制定に代わる公安システムとして「戦う民主主義」を標榜し、憲法秩序の擁護に関する法案を提出していることが挙げられる。