月宮あゆ

Last-modified: 2011-10-29 (土) 16:52:46

月宮あゆ(つきみや あゆ)は葉鍵政界の政治家。

政界スレを読むほどの人ならば言わずと知れたKanonのメインヒロインであり、Keyの顔とも言うべき人物。

経歴

葉鍵政界スレが立った時点でのうぐ民党総裁にして首相。
2008年9月2日に突如辞意を表明した。だが、これがその後長く続く混迷の始まりとなった。

うぐ民党の次期総裁選挙が行われることになった。その上で、自らも眠主党などとの大連立構想を掲げ次期総裁選挙に出馬を表明した。

しかし当の眠主党その他の大連立相手の野党は、公芽衣党との連立を止めようとしないことに不快感を表明し、挙句の果てに水瀬名雪眠主党代表からは黒いけろぴーを送りつけられ、早くも大連立構想は危機に陥った。
総裁選前日の9月13日、状況が一変、突如として水瀬名雪と和解し、公芽衣党との連立を解消し、眠主党との大連立に向け努力することを表明した。

総裁選では、第1位の長岡志保と1票差まで迫る第2位となり、当初の予想に反する善戦を見せた。
その後の全党会議で幹事長に就任が決定した。

そして2008年葉鍵政界総選挙ではうぐ民総崩れのなか地方区決戦投票で当選し、またも「復活劇」を見せた。

眠主党の水瀬名雪代表との友好関係から眠主党・葉鍵自由同盟?との大連立に誘われているが、一方で、白チーズ派?のリーダーとして、白チーズから首班指名される見通しだった。

ところが、2008年末の首班指名選挙直前に藤林椋?杏さん党副委員長(当時)の失言に対する反応で混乱が起こり、責任を取って首班指名を辞退。結局一ノ瀬ことみ内閣?が発足することになった。以降、暫くの間白チーズは活動を沈静化させることになった。

2009年2月、総務大臣となった水瀬名雪代表が居眠り事件を起こし、これを機に白チーズが活動を本格化させ始めた。さらに、名雪の総務大臣辞任後も白チーズは攻勢を止めず、法務大臣となった美坂香里に対しても在留特別許可問題を捉えて攻撃をはじめた。
しかし、これらの活動はあゆは全く関知しておらず、専ら神尾観鈴らの発案によるものであった。そのため、あゆは「白チーズが乗っ取られているのではないか」と懸念を抱いた。

その後も白チーズは活動を続けるが、それらの殆どは神尾観鈴の主導するものであり、あゆの主導するものではなかった。

そして2010年葉鍵政界総選挙?では地方区・ブロック区共に次点で落選してしまった。


落選後、「真の保守右派政党を結成する」と宣言し、うぐ民党を離党し、長岡志保古河渚などのうぐ民落選組と共にうぐぅみんなの党を結成した。

  • 志保・渚はうぐぅみんなの党には加わっていない。