任

Last-modified: 2008-01-24 (木) 08:21:43

概要

任(Ren)
(Kai)
元褒(Yuanbao)
所属勢力
魏→晋
生没年
不詳(但し、晋書任ガイ伝に六十一歳で没したことが記されている。)
出身地
楽安郡博昌県
最終経歴
守散卿

略歴

  • 人材を見分ける目が正確で、経国の才を認められ、晋建国当初は武帝が政事について諮ることが多かった。
  • ユ純、張華、向秀らと派閥を組み、賈充、荀キョクらと激しい権力抗争を繰り広げる。
  • 任ガイ個人について言えば、賈充らの讒言により職を幾度か追われ、失意の余り美食に溺れることもあった。貴族の財力の側面を見ることができる。

年表

西暦元号出来事
--明帝の娘(斉長公主)を娶る。
--中書侍郎→員外散騎常侍に遷る
264咸熙元七月、荀ギの元で礼儀の制定に関わる。
265西晋泰始元侍中となり、昌国県侯に封ぜられる。
--魏舒を推薦して散騎常侍とした。
-泰始初鄭沖、王祥、何曾、荀ギ、裴秀らが老いや病を理由に、邸宅へ戻ったが、武帝は任ガイを遣わして諸公に政見を述べさせた。
-泰始中賈充との抗争が激化する。太子少傅となる。
271?泰始7?七月?秦、雍(涼?)州で反乱。中書令ユ純と謀って賈充を長安の鎮撫の詔を武帝に出させたが、荀キョクの策(太子と賈充の娘との婚姻)により、賈充は洛陽に留まることができた。
--賈充らが武帝との離間を謀り、任ガイは吏部尚書、奉車都尉に任命される。
272?泰始8?賈充が派遣した尚書右僕射、高陽王司馬珪の弾劾により免官となる。
--山濤の推挙を受け、河南尹となるも再び免官される。その後、再び光禄勲に就く。
--賈充らの弾劾により三度免官。失意の為、酒に溺れ、美食を極めること、一食一万銭とも言われる。武帝が慰めても無言であった。後に太僕→太常となる。
283?太康4?守散卿となる?

正史と演義の差異

(演義に出る機会がそもそもあるのだろうか…。)

親交のあった人物

  • ユ純
  • 張華
  • 向秀
  • 和キョウ

姓名の意味・解説

  • :1.になう。おう。いだく。のせる。/2.にもつ。/3.あたる。事を引き受ける。はりあう。/4.たえる。つとめられる。こらえる。/5.ねじける。こびへつらう。=佞。/6.姓。//1.つとめ。やくめ。/2.まかせる。まかす。ゆだねる。/3.さずける。もちいる。役につける⇔免。/4.よる。つく。=因。/5.きまま。ほしいまま。
  • ガイ[小(りっしんべん)+豈]:1.たのしむ。=楽。/2.やわらぐ。やすらぐ。=和。
  • :1.もと。根本。本原。=本。/2.もとより。もともと。本来。/3.はじめ。物事の最初。第一。=始、端、一。/4.かしら。おさ。首長。/5.こうべ。あたま。=首、頭。/6.よい。めでたい。最善。=善。/7.おおきい。=大。/8.年号。/9.暦法上、哲学上の時間の単位の一つ。/10.貨幣の単位。/11.蒙古族が中国本土に建てた王朝の名。
  • :1.ゆったりとした衣服。/2.ひろい。おおきい。/3.ほめる。ほめたたえる。/4.周代の国名。

(参照:漢和辞典 小川環樹、尾崎雄二郎、都留春雄編 角川書店(平成八年十二月十日初版))

史家・後世の評価

豆知識

  • 任ガイが魏舒を推挙した当時は、任ガイの方が政を補佐する器があると言われていた。しかし、最終的に魏舒は三公まで登り、任ガイは守散卿に止まったため、ひどく嘆いたという。

コメント、突っ込みなど(要署名)

  • 浮き沈みの激しすぎる人。「志を得ることなく、憂いながら卒した。」という伝の記述がこれほど似合う人もいない気がします。(みなと)