概要
- 姓
- 荀(じゅん)(Xun)
- 名
- (ぎ)(Yi)
- 字
- 景倩(けいせん)(Jingqian)
- 諡
- 康
- 所属勢力
- 魏→晋
- 生没年
- 生年不詳~274(生年不詳~泰始10)
- 出身地
- 潁川
- 最終経歴
- 侍中、太尉、太子太傅、臨淮公
略歴
- 父はイク(字は文若)、六男。兄に、ウン(字は長倩)、グ(字は叔倩)、シン(字は曼倩)、弟にサン(字は奉倩)がいる。
- 司馬懿に才を見出され、司馬一族の元で功を重ね、晋代に重鎮となる。
- 鍾会の『周易無互対論』を批判、司馬駿と仁孝何れが先かを論じるなど学識をもって知られた。
年表
西暦 | 国 | 年号 | 出来事 |
- | 魏 | - | 父の功により中郎に任官する。 |
- | - | 司馬懿により散騎侍郎に抜擢される。 | |
- | - | 侍中となる。 | |
- | 斉王治下 | 騎都尉となり、関内侯の爵位を賜る。 | |
何晏らに憎まれていた太常傅カを救った。 | |||
255 | 正元2 | 反乱を起こしたカン丘倹の討伐に功があり、万歳亭侯に爵位を進める。邑は四百戸となる。 | |
- | - | 尚書に遷る。 | |
257-258 | 甘露2-3 | 諸葛誕反乱。出征する司馬昭に代わり都を守った。 | |
260 | 景元元 | 陳泰の死去に伴い、僕射と領吏部の職に就いた。 | |
264 | 咸熙元 | 司空となる。爵位も郷侯→臨淮侯と進む。 | |
七月、礼儀の制定を命じられる。 | |||
265 | 西晋 | 泰始元 | 爵位を公に進める。食邑が千八百戸となる。 |
267 | 泰始3 | 九月、司徒となる。 | |
- | - | 侍中と太尉を兼ねる。次いで、太子太傅も加えられる。 | |
晋の正楽を定めるよう命じられる。 | |||
274 | 泰始10 | 四月、正楽を定めないままに死去。 |
正史と演義の差異
親交のあった人物
- 傅カ
- 陳泰
姓名の意味・解説
- 荀:1.人の名。「荀況」。/2.草の名。黄色の花が咲き、赤い実のなる一種の草。
- ギ[豈+頁]:1.しずか(静)。/2.たのしむ(楽)。/3.おごそか。うやうやしい。/4.人名。晋代の人。「周ギ」。
- 景:1.ひかげ。ひかり(光)。日光。/2.さかい。(=境)/3.あきらか(明)。/4.したう(慕)。あおぐ(仰)/5.けしき。ようす。おもむき。ふぜい。「風景」「勝景」。/6.うわぎ(上衣)。/7.星の名。/8.南の方から吹いて来る風。/9.どうどうとして大きい。//かげ。影の借用字。
- 倩:1.うつくしい。うるわしい。みずみずしい。口もとが愛らしい。/2.むこ。いりむこ。
(参照:角川漢和中辞典 編:貝塚茂樹、藤野岩友、小野忍(昭和34年4月1日初版発行))
史家・後世の評価
豆知識
- 何晏、鄭沖らと共に、『論語集解』を編纂。また、王沈、阮籍と共に『魏書』を著している。ただ、『魏書』は司馬氏寄りであり、陳寿の『三国志』には及ばないとされる。
コメント、突っ込みなど(要署名)
- (これであっているのだろうか…。みなと)
- 他人と比較されれば必ず負ける。(三戦全敗。)(みなと)