荀ギ

Last-modified: 2008-01-24 (木) 07:56:29

概要

荀(じゅん)(Xun)
(ぎ)(Yi)
景倩(けいせん)(Jingqian)
所属勢力
魏→晋
生没年
生年不詳~274(生年不詳~泰始10)
出身地
潁川
最終経歴
侍中、太尉、太子太傅、臨淮公

略歴

  • 父はイク(字は文若)、六男。兄に、ウン(字は長倩)、グ(字は叔倩)、シン(字は曼倩)、弟にサン(字は奉倩)がいる。
  • 司馬懿に才を見出され、司馬一族の元で功を重ね、晋代に重鎮となる。
  • 鍾会の『周易無互対論』を批判、司馬駿と仁孝何れが先かを論じるなど学識をもって知られた。

年表

西暦年号出来事
--父の功により中郎に任官する。
--司馬懿により散騎侍郎に抜擢される。
--侍中となる。
-斉王治下騎都尉となり、関内侯の爵位を賜る。
何晏らに憎まれていた太常傅カを救った。
255正元2反乱を起こしたカン丘倹の討伐に功があり、万歳亭侯に爵位を進める。邑は四百戸となる。
--尚書に遷る。
257-258甘露2-3諸葛誕反乱。出征する司馬昭に代わり都を守った。
260景元元陳泰の死去に伴い、僕射と領吏部の職に就いた。
264咸熙元司空となる。爵位も郷侯→臨淮侯と進む。
七月、礼儀の制定を命じられる。
265西晋泰始元爵位を公に進める。食邑が千八百戸となる。
267泰始3九月、司徒となる。
--侍中と太尉を兼ねる。次いで、太子太傅も加えられる。
晋の正楽を定めるよう命じられる。
274泰始10四月、正楽を定めないままに死去。

正史と演義の差異

親交のあった人物

  • 傅カ
  • 陳泰

姓名の意味・解説

  • :1.人の名。「荀況」。/2.草の名。黄色の花が咲き、赤い実のなる一種の草。
  • ギ[豈+頁]:1.しずか(静)。/2.たのしむ(楽)。/3.おごそか。うやうやしい。/4.人名。晋代の人。「周ギ」。
  • :1.ひかげ。ひかり(光)。日光。/2.さかい。(=境)/3.あきらか(明)。/4.したう(慕)。あおぐ(仰)/5.けしき。ようす。おもむき。ふぜい。「風景」「勝景」。/6.うわぎ(上衣)。/7.星の名。/8.南の方から吹いて来る風。/9.どうどうとして大きい。//かげ。影の借用字。
  • :1.うつくしい。うるわしい。みずみずしい。口もとが愛らしい。/2.むこ。いりむこ。

(参照:角川漢和中辞典 編:貝塚茂樹、藤野岩友、小野忍(昭和34年4月1日初版発行))

史家・後世の評価

豆知識

  • 何晏、鄭沖らと共に、『論語集解』を編纂。また、王沈、阮籍と共に『魏書』を著している。ただ、『魏書』は司馬氏寄りであり、陳寿の『三国志』には及ばないとされる。

コメント、突っ込みなど(要署名)

  • (これであっているのだろうか…。みなと)
  • 他人と比較されれば必ず負ける。(三戦全敗。)(みなと)