概要
- 智留都城が建つ前からあったとされる海上の砦。
当時ここ一帯の浅瀬に作られた桟橋で、小休憩や海賊の集結点となっていたらしい。
1900年代に入って、港湾整備の為に土砂が持ち出されて浅瀬は消えてしまい、遺構らしいのは当時の白黒写真でしか残っていないという。
(一説には、その頃より埋立て計画が持ち上がっており、船舶の航行に支障が出る浅瀬を予め削っておく案が採用されたと言われる。) - ニコニコ鉄道が、急速発展を遂げる波射烈駅の周辺開発の為の、支線の建設が持ち上がった。
歴史資料からちょうど浅瀬の辺りが、現在のこの地区に該当する為、智留都城愛好家らが支社長に陳情。
公園として整備されることが決定した。
周辺
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