プロフィール
氏名 | 古澤頼子 | 出身作品 | シンデレラガールズ | |
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誕生日(年齢) | 5月18日生(17才) | 星座 | 牡牛座 | |
血液型 | A型 | 出身地 | 茨城 | |
身長 | 166cm | 体重 | 45kg | |
スリーサイズ | 81/59/83 | 利き手 | 左 | |
属性 | 初期ステータス | |||
趣味 | 美術館・博物館観覧 | CV |
アイドル紹介
見た目も言動も落ち着いている17歳。髪はそれなりに長い。右の泣きぼくろがチャーミング。普段は眼鏡をかけているが、アイドルとして舞台に立つ際は眼鏡を外す。口調は基本的に丁寧語だが、独り言はその限りではない。美術館観覧が趣味なだけでなく美術史にも明るい。美術館でプロデューサーに声を掛けられたことを切っ掛けに、自分には華やかな世界への憧れがあると自覚し、アイドルの道を選ぶ。
概要
眼鏡着脱の意味とキャラクター性
古来より、キャラクターの眼鏡は何らかの表現として機能して来た。その多くは、地味であるとか知恵者であるとかいったことの記号、いわゆる頭脳派という言葉で示されるキャラクター性を象徴するものである。では、眼鏡キャラクターが眼鏡を外すのは、どのような表現か。それは本気を出すことであったり、自己変革のための決意の象徴であったりと、様々な機能を与えられている。眼鏡を外す表現における数多の効果に共通するものがあるとすれば、それは変化である。眼鏡を外すという目に見える形の変化、すなわち、キャラクターの外観の変化によって、そのパーソナリティの変化を示しているのではないだろうか。
さて、その考え方を適用する場合、古澤頼子の変化とは何か。それは観る側から観られる側への転換、自らの憧れる美という作品の製作に着手することではないだろうか。アイドルとして歩み始める前の古澤頼子は、あくまで鑑賞者であった。自らについて地味で無個性だと考える彼女にとって、美とは個性に見出されるものであり、自分では触れることすら叶わない遠い世界であった*1。華やかな世界はあくまで憧れる対象、鑑賞するものであって、自分がその世界を創る、ましてや自分もまた華やかな世界の一部であることなど考えてもいなかったようである。
「美しいものに、憧れ……?でも、それは鑑賞するもので、自分が触れるものではないのでは……」*2
しかし、アイドルとしての道を提案された彼女は、プロデューサーに背中を押されて、自分の抱える憧れに向き合い、アイドルとして「自分を表現」*3することを試みるようになる。
「その…でも…アイドルって…華やかな世界なんでしょうね…。うん…楽しそうだな…って…」*4。
地味で無個性な女子高生が自らの抱える憧れと相対し、美へと手を伸ばし、アイドルとなる。ここにおいて、これまで鑑賞者に徹していた彼女は自らの位置を変転させる。観ているだけの者ではない、創る側の人間へと変わる──アイドル古澤頼子への変身である。
「華やかな世界にふさわしい私になれるように……自分を見せてきます。いえ……みなさんに、見られてきますね」*5。
プロデューサーとの関係
距離感
古澤頼子とプロデューサーとの関係は、本人の言葉にある通り「共同制作者」*6である。古澤頼子は“アイドル古澤頼子”について、彼女個人で創るものではなく、プロデューサーと自分の二人で目指す美であると位置づけている。プロデューサーとの協働によって女の子がアイドルへと変わる、二人三脚でアイドルを創るというのは、アイマスというコンテンツ全体に見出される要素のひとつである。共同制作者という言葉は、このような概念を彼女独自の形式で(古澤頼子の言い方で)表したものだと考えるのが妥当であろう。
プロデューサーへの感情
アイドルがプロデューサーへと向ける感情(多くの場合、色恋の関わるもの)については、これもアイマスというコンテンツを語る上で回避不可能な話題だが、古澤頼子もまた例外ではない。彼女のプロデューサーへの態度は、初期段階からそれなりの卑しさを帯びている。見んね頼子! 卑しか女ばい!
「(名前)さん、美術館興味ないですか? チケット…2枚あって…」*7
「(名前)さん…なんだかこの月を見ていたら、いろんな気持ちが…。いえ、何でもありません。ただ…月が…綺麗ですね…」*8
上記の台詞は比較的初期に登場したものである。おどおどしていたり、婉曲な言い回しをそっと用いたりと、気持ちを表現するのに難儀している様子である。美術館にデート、という言葉までは口にするものの尻すぼみになってしまった場面もある*9。しかし、アイドルとしての経験の蓄積と連動するように、朗らかに自身の気持ちを表現するようになっていく。(奥手なのも大和撫子らしさがあって良いでしゅが…それはそれこれはこれでしゅ!)
「話すことは得意ではないけれど…(名前)さんがいると、伝えたい言葉が溢れてくるんです。だから、もう少しだけ…」*10
「生ける屍を演じていても…胸の鼓動は抑えられません。いつもと違う私を、(名前)さんに見てもらえて…嬉しいですから」*11
直近では、かなり直截な言葉を放って来るようにもなった。自分の食べている和菓子を薦めて来て、黒文字楊枝は共有で、と言い切っている*12。過去にはクレープを二人で分ける提案をしようとするも怖気づいて取りやめていた*13ことを考えれば、これは大きな変化であろう。また、朗々と感情を表明するようになったことに加えて、言動にそれなりの湿度を伴うようにもなっている。こうした描写からは、彼女がアイドルとして成長して来たことで、自己への自信を獲得し、気持ちを取り扱うことにも長けていったことが伺える。
「(名前)さんとは、ゆったりと水を感じ、疲れたら流れに身を任せる…そんな穏やかな時間を共に過ごせたら、と思います」*14
「難しいことも、苦手なことも…どんなことも挑戦したい…貴方と一緒に」*15
「(名前)さん、これからもふたりで…描いていきましょうね」*16
食い気
「悩んでいたら、卵焼きとスクランブルエッグ…たまご料理が被ってしまって。今朝の私は食いしん坊さんです。やる気の表れということに…」*17
食事の場面を扱ったカードがある程度存在する。自分は少食で普段は間食もしないと言いつつクレープを頬張っていたり*18、ホテルのビュッフェでメニューに悩み複数種類の卵料理を取っていたり*19、和菓子の美しさについて言及していたり*20と、食事にまつわる話題が目立つ。また、食べ物に夢中で人の話を聞いていなかったという場面を描かれたことがある*21。
欲張り
「ふふ…今日の私は、よくばりさんみたいです」*22
「まだまだ貪欲にいきます…。欲深ければこそ、自分をもっと磨けますから」*23
古澤頼子は欲張りである。絵画であれアイドルの活動であれ、それは変わらない。
このパーソナリティは、上述した食事についての事柄と無関係ではないかもしれない。欲と食は強固に結合しているからだ。「うまいから食うんやない 生きるために喰うんや」という言葉にもあるように、食べることは生きることである。さて、芸術が自らの欲望に何らかの形を与える活動であるとすれば、欲張りであることと芸術活動に積極的であることは等置される。そして、絵画や彫刻と形式は違えど、アイドルが芸術の類であることは疑いようがない。アイドルという芸術はどう表現されるか。アイドルの生それ自体である。こうした立場から考えれば、彼女が欲張りであることの表現として、よく食べるという記述がなされていると捉えることも可能かもしれない。
キャラクターの展開、成長──「いま」と「これから」
アイマスに限らず、ソーシャルゲームに登場するキャラクターは"成長する"といえるだろう。新しい人間関係の構築や苦手意識の克服などの変化を通じて、キャラクターは(わたしたちの時間経過に伴って)常に形成され続けている。
欲深い人間
「(名前)さんに出会い、アイドルになってからです。……私が酷くわがままで、欲深い人間だということに気づいたのは。」*24
「所有欲を、(名前)さんに向けても迷惑じゃないかな…」*25
デレステのSSR[ファントム・ナイト](2021/7/13実装)以降の古澤頼子は、自身の欲深さを自覚し、その欲深い自己を肯定している人間、として描かれている。初期にみられた弱気な振舞いは影を潜めるようになり、自身の欲深さについて「以前から持っていた本質」*26であり「欲深くなっていく自分を、楽しめて」*27いると述べている。これまで食欲や卑しさとして部分的・断片的に表出するのみであった彼女の“欲”は、ここにおいて、純化された欲望として自覚されるに至っている。この欲望こそがアイドル古澤頼子の要件、というわけである。彼女がこのような精神性を自身のうちに“発見”しているのは、アイドルを続けて──自分自身と向き合い続けて来たからであろう。
「美術館へ行きませんか?偶然チケットをもらったんです。はい、偶然に」*28
他のキャラクターとの関係
接点がありそうでなさそうでちょっとあるかもしれないキャラクター
- 速水奏
アイドルと少女を行き来するという点で共通している。速水奏は自身でもってアイドル速水奏という偶像を演じ続けることにより自身をアイドル速水奏と定義する(これはあくまで古澤頼子と比較する場合の「速水奏」の解釈である)が、これは自身を一個の作品として創造し続けるというアイドル古澤頼子の形式と似通っている。あと年齢が同じ。
- ロコ
古澤頼子はロコアートを“学術的な観点から”把握出来るキャラクターではないだろうか。ロコはいわゆる芸術家キャラとしての記号をもっている──直感的な活動をするキャラクターとして描かれているが、もちろん、それがロコの全てではない。芸術とは感性のみでどうにかなる事柄ではないからだ。専門家の意見とそうでない者の意見のどちらも大切であり、どちらも必要である。知識があるからこそ感じられるものがあるのと同様に、知識がないからこそ感じられるものもある。古澤頼子はロコにとって、前者の立場を有していることだろう。
- 田中琴葉
「はい、田中です。古澤頼子さんについて、ですか? ええ、知っていますよ。私、頼子さんにはなんだか親近感を覚えているんです。似ている、って言えばいいのかな。歳はひとつ違いですけれど私と同じ女子高生で、髪が長くてカチューシャで……ええと、その、体型も……。それから、真面目そうなところもですね。いえ、私は自分が真面目だなんて思ってはいませんよ。ただ、琴葉は真面目だ、とよく言われるので……もしかしたら私が頼子さんを見たときのような印象を、皆が私に抱いてるのかも、って。そう思っただけです。あ……頼子さん、カチューシャをたくさん持っているみたいですね。毎回違ったカチューシャを着けてるみたいです。服に合わせたコーデで可愛いなあ……こっちは大人っぽい……。私も見習わなくちゃいけないですね。そうそう、この前のプールのライブでは、チョコミントアイスをモチーフにしたと思しき衣装を着ていましたね。アイス、好きなのかな……。もしそうだったら、それも私と頼子さんの共通点になりますね。一度しっかりお話してみたいなあ……。同じアイドルだし、そのうち会う機会があるかもしれませんね」
- 注釈において、モバマスのカード名にある半角カタカナは、全角カタカナに改めて記した。