非自己

Last-modified: 2008-05-19 (月) 14:45:35

非自己とは、「自分」の意志でもって動かせないものの域をいう。心臓や血液の流れ、自律神経など。狂気は非自己の典型であり、病気も非自己の表出である。

 

非自己とプライベート

  • 「非自己を自己にどう関わらせるか、それが自己技術?である。たとえば、病気になったとき、癌に冒されたとき、それを嘆き悲しむのか、元気にふるまうのか、自分でどう対応していくのか、人によって違う。これが『プライベートなこと』なのだ」(『ホスピタリティ原論』155頁)。
  • 社会があると自己をなくすようにものごとが考えられ行動される。結果として、非自己と社会が一致し、自己が失われる。これが、「自分であるかのような」個人である。だが、非自己は完全に社会に一致しない。近代の病理の源泉である。ここで、非自己の域にある「元気」を取り戻すことが求められる。気は、内・外の非分離界にあり、心身が非分離の状態において存在しているプライベートな「流れ」である。「プライベートなものは、非自己の気の流れが、身体でいう血の流れのような位置にある。これは、『社会』とは何の関わりもないのが、了解されよう」(『ホスピタリティ原論』157頁)。

関連書籍

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  • 石井秀実著『気のコスモロジー』(岩波書店、2004年)
    不変同一性に呪縛され虚構の人工世界を構築してきた西欧思想に抗い、変わり続ける自然世界の諸相を掴み、非同一世界に迫る観測方法を東洋思想に求め、見出した豊穣な気の世界。

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  • 石井秀実著『気・流れる身体』(平河出版社、1987年)
    中国の医学では、固定的な物体としての臓器や消化管、骨格といったものは、重要ではあるにせよ、医療の主たる目標とはなっていないのだ。より正確にいえば、臓器や消化管・骨格は、入れ物や管にすぎない。その中を流れるものこそが、人の身体にとって本質的なものなのである。中国の伝統的な宗教である道教と、伝統医学を通して、個の身体に注がれるまなざしの、さまざまなありかたを考える。