第一部.定理8のおまけ2

Last-modified: 2007-07-09 (月) 22:34:22

第一部.定理8のおまけ2

脳みそをフル回転させたことなんか一度もない人たち、ものごとを常に最初の原因までさかのぼってしつこく追求する癖をつけてない人たちには、(決して馬鹿にするわけじゃないけど)さっきの第一部.定理7を一発で理解するのはかなり難しいと思うんだ。もちろん順を追って考えれば必ずわかることなんだけど。たぶんそういう人たちは(あなたもその一人だよ)、普段目に見える化身と、その正体である物質をきちんと区別することなんかできやしないだろうし、ものごとがどうやって生まれ・できあがっていくのかなんて知りもしないだろう。

だからこういう人たちは、身の回りのものに始めや終りがあるのを見て、深く考えもせずに「物質とやらもきっと始まりや終りがあるんだろう」と思い込んでいるんだ。ものごとの本当の原因を知ってるつもりで何一つわかっちゃいないし、むしろ激しく混乱している。そんなことだから、「木や花が人間みたいに気安く話しかけてくる」みたいなディズニー的な安っぽい世界観にあっさりとらわれてしまうんだ。この分じゃ「石は種から育って大きくなる」とか本気で言い出しかねない。何しろ「なんでもあり」なんだから。

同じ理屈で、こういう人たちはの正体と人間の正体をこれまたあっさり取り違えて、(人間のように怒ったり泣いたり呪ったり祝福したりする)何とも人間くさい神様しか想像できなくなっている。しかも自分がなんでそんな人間くさい神様(=自分に都合のいい神様)を求めているのか、その理由にはこれっぽっちも気付いていないんだ。

でも、物質の本質とは何なのか、そこを注意深く考えれば、誰も第一部.定理7の内容を疑わなくなるはずだ。それどころか、第一部.定理7は宇宙のどんなところでも通用する基本原理として定着するし、わざわざ説明するまでもないほと当り前なことになると思うんだ。なぜなら、それができる人は物質を(他のものに目を奪われないで)ずばり物質そのものから理解するし、その物質を通じて物質の何もかもを理解するだろうから。言い換えると、物質を理解するのに物質があれば十分だし、「物質がそこに存在している」というまさにそのことから理解してくれるはずだからなんだ。

ところで化身はというと、ぼくたちは現実には存在してないような化身をありありと想像することができる。神様でも悪魔でも宇宙人でも。たとえぼくらがその化身について考えるのをやめたとたんに消えてしまうようなものだとしても、その本質が他のどこかにあって、化身を見ることで(どこかよそにある)本質について見当をつけるということはできるんだ。

でも、物質は違う。本物の物質は、ぼくらがそれについて考えようと考えまいと、昔も今もこれからも変わらずずっとそこにあるものだ。もし「物質とは何なのかはとてもよくわかりました。でもそんなものが本当にあるのかどうかよくわかりません」なんて言う人がいたとしたら(ああ、本当にいそうだな)、それは「私はこの考えは正しいと思います。でもそれがうそかどうかよくわかりません」と言っているのと同じぐらい意味不明なんだ。ちょっと考えればすぐわかるよね。

「いや、物質を作った誰か(神様)がいるはずだ」なんてことを言う人がいたら、これまた「この考えは偽りだけど、だからこそ真実なんです」と言ってるのと同じぐらい意味不明だってこと。ものすごい不条理だ。しつこいようだけど、物質がそこにあるってことは永遠に動かしようもない真実だ。そのことは物質の本質からして当然のなりゆきなんだ。

ここで、「物質はただ一つしかない」ということをまた別の方法で納得してもらって締めくくることにしよう。そうすることがみんなのためになると思うし、少なくとも気分は変わるだろうから。さて、せっかくこんな骨折り仕事をしているのにいちいち議論が後戻りしたりするのはいやだから、ここで次のような前提を(唐突だけど)追加させてもらう: