第二部.定理1
いきなりで悪いけど、「考える」という作業は、神つまり物質の性質だ。言い替えれば、物質は考えるものだし、神こそが考えることができるんだ。人間だけがものを考えられると思うな(お、ブッダと同じ結論になったらしい)。
理由
- 「考え」ってやつは、ささいな「考え」であろうと、どんなものすごい「考え」であろうと下らない「考え」であろうと、やっぱり神の化身なんだ。無数にある化身の一つに過ぎないんだ。
その化身には(どんな化身であろうと)、神の本性が必ず表れてしまう(第一部.定理25が正しいとすると?を読もう)。 - それと、神は、どんなささいな「考え」ひとつひとつにもしみわたり、一つ残らず関わりをもつことができるようなすさまじい性質(第一部.決めごと4★英文リンクが間違っているので修正★を読もう)をとーぜん兼ね備えている。
そういう性質があるからこそ、「考える」ってことができるんだ。
この2つを合わせて考えれば、「考える」ということは何かとっても凄く珍しいことをしているわけでもなく、ましてやゴリッパなことをしているんでもなく、たかだか神に最初っから備わっている無限の性質の一つにしか過ぎないってことがわかる。
言うまでもないけど、そこにも神の永遠で無限な性質(第一部.決めごと6)が必ず表れるからね。これを言い替えたのが、「神こそが考えるものだ」ってことなんだ。こんなことにもいちいち神はかかわってくれているんだよね。おしまい。