第二部.定理8のおまけ

Last-modified: 2007-07-28 (土) 10:02:35

第二部.定理8のおまけ

「あのーお話中すみません、ありえないことについても考えることができてしまう、ってのがいまいちピンとこないんですけど。もう少し具体的に、何かたとえを使って教えてもらえないでしょうか?」と聞かれるかもしれない。でも今のところ、この定理があまりにも風変わりなものだから、ぼくスピノザもうまくどんぴしゃりとたとえて説明できそうにないんだ。説明が下手なばっかりに思い違いされるのも怖いし。でも、やれるだけやってみよう。

コンパスできれいな円(まる)を描いて、その円の中のどこでもいいから(ただし円周の上は除くけど)点を1個打ってみよう。点を打つのは別にど真中 (円の中心)でなくてもいいよ。それから、その点を通る直線を描いてみよう。すると、この直線で円が2つに分かれて、2つの弓型(segment)ができる。今、円の中に描いた線分のことを「弦」って言うんだ。ところで、弦がその点で2つの線分に分かれているでしょ?これで、1つの弦から2つの線分をこしらえることができた。

そして、この2つの線分と同じ長さの2辺を持つ長方形(rectangle)というものを空想してみよう(そこの図には描いてないけど、実際に描いてみてもいい)。するとあら不思議、最初に打った点を円の中で動かしさえしなければ、この点を通る弦を円の中にどんなふうに描いても、この空想の長方形の大きさ(面積)は常に同じになるんだ。点を通る弦であればどこに引いてもそうなる(点が中心になければ弦の引き方によって形は変わるけどね)。そしてこの点を通る弦は無数に考えられるから、円から二つの長方形(形は同じでも違っていてもいい)を取り出す方法も無数に考えられることになるわけだ。ということは、「円の中には無数の長方形が隠れている」と考えることができるよね。

でもこの長方形たちは、円が存在しているからこそ存在できる、そんな種類の長方形だ。円という形が仮にまったく存在していないとしたら、こういう長方形たちも存在できなくなってしまう。

ということは、円というものについての思いがあるからこそ、こうやって円を二つに分けてできた長方形についての思いもかたちづくられる、ということになるわけだ。逆に、円という形についての思いが定まっていないと、円を二つに分けてできたような長方形というものを思い付くなんてできっこない。

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ここで、その無数の長方形から代表で、この図のD君とE君に出てきてもらおう。このD君とE君は、それを使ってできる長方形の形は多少違うかもしれないけど、どっちも間違いなく存在しているし、どっちで作った長方形も面積は同じになる。でも、これは円に直線を引くまでは、実際にそこにあるわけじゃないんで、そこには注意してね。このD君とE君についてのそれぞれの思いは、もちろん円があるからこそ存在できている。円があるおかげで、D君についての思いと、E君についての思いも、問題なく存在できる。ここまではいいよね。

でも、確かに円があるおかげではあるんだけど、それだけじゃないんだ。円を直線で切ったら、そのD君とE君についての思い、つまり長方形というものについての思いというものも、それはそれで存在しはじめるんだ。だから、たとえ最初は空想だったとしても、いったん思いができあがったら、もう円とは無関係に「この長方形はあの長方形と違う」とか「同じだ」ってことがわかるようになってくる。言い替えれば、この長方形D君とあの長方形E君、それそれについての思いを区別できるようになってしまったよね。

区別しようもないと違って、化身やその仲間の思いが区別できてしまうのは、こういうことなんだ。そして、その思いが、(円に弦を描いてそれを2つに分けるまで出現しない長方形みたいに)ありえないものだとしても、いったんできてしまった長方形が、一見円から独立しているかのように勝手に存在できてしまうのも、こういう理由なんだ。

「先生、なんだかあんまりいいたとえじゃないような気がするんですけど。」「図もなんだかわかりにくいです。」「もしかして幾何下手なんじゃないの?」

う、今まで誰もツッコまなかったんで油断してた...とにかく大事なのは、ありえないものごとについても思いをめぐらすことが可能だってことです。