Lv20以下は省略、戦闘機、爆撃機、管制機各機体で一番高いレベルの所持機体
零式艦上戦闘機32型(機体略号はA6M3)
詳しくはここに→『零式艦上戦闘機の派生形』
三二型は二一型の後継型であり、1942年4月頃から量産が開始され、同年秋頃には実戦投入された。エンジンを2速過給機付きの栄二一型(離昇1,130hp)に換装し、二一型の主翼端の折り畳み部分を切り落としたように50cmずつ短縮している点が特徴である。二一型に比べてエンジン出力が向上すると共に過給機の変速数が2速となり、高高度での速度の向上が見込まれていた。また翼面積を減らすことで空気抵抗を抑え、速度と横転性能を向上させることも狙っていた。実際、速度・上昇力・上昇限度の各数値は二一型に比べて向上しており、急降下性能や横転性能も改善されている。また20mm機銃の装弾数は60発から100発に増加し、武装も強化されている(長銃身の九九式二号三型に換装した機体も試験的に数機作られ、ラバウルに送られている)。しかし、配備初期はエンジンにトラブルが多く、機体改修に伴う燃料タンク容積の削減および栄二一型の燃費の悪さから航続距離・航続時間は大幅に低下してしまった。折りしも実戦配備時期が長大な距離を往復する航空作戦が中心となったガダルカナル攻防戦と重なってしまい、航続距離の減少が大問題となった(二号零戦問題)ため、燃料搭載量を増した二二型の開発・配備が促進された(但し、ソロモン諸島に前進基地が設置されてからは航続距離の低下はほとんど問題にならなくなっている)。そのため期待を担って登場したにも関わらず、生産数は三菱での343機に留まった。
なお連合軍での零戦のコードネームはZekeであったが、本型の機体はその角張った翼端の形状から異なる機種と認識されたため、別にHampというコードネームが与えられている。
零戦三二型系統の性能諸元 [編集]
型名 零戦三二型
機体略号 A6M3
全幅 11.0m
全長 9.121m
全高 3.57m
翼面積 21.54m²
自重 1,807kg
正規全備重量 2,535kg
発動機 栄二一型(離昇1,130hp)
最高速度 544.5km/h(高度6,000m)
上昇力 6,000mまで7分5秒 6,000mまで7分19秒
実用上昇限度 11,050m
降下制限速度 666.7km/h 629.7km/h
航続距離 全速30分+1,052km(正規)
/全速30分+2,134km(増槽あり) 全速30分+1,482km(正規)
/全速30分+2,560km(増槽あり)
武装・九九式一号20mm機銃2挺(翼内・携行弾数各100発)
・九七式7.7mm機銃2挺(機首・携行弾数各700発) 同左
・爆装 30kg爆弾2発又は60kg爆弾2発 同左
このデータはウィキぺディアより。
百式重爆撃機(呑龍)
ここに詳しく書いてあります→h→『百式重爆撃機(呑龍)』
百式重爆撃機(ひゃくしきじゅうばくげきき)『呑龍』(どんりゅう)キ49は、中島飛行機により開発された大日本帝国陸軍の重爆撃機で、昭和16年(1941年)に制式採用された。太平洋戦争中、各タイプ合わせて約800機製造された。連合国によるコードネームはHelen。
本機は、性能的に見て武装が強化されたこと以外は九七式重爆撃機とあまり差が無く、また発動機であるハ41は信頼性に乏しかったことから、それならば以前から配備されていた九七式の方が信頼性があると言われ、実戦部隊での評判はあまり良く無かった。九七式と比べ性能に大差ないことは、試作審査の段階で陸軍も把握していたが、既に性能的な限界にある九七式に比べて、重武装である事や将来的な発展性を期待され制式採用された。
しかし、その後行われた改良後も全ての面において飛躍的な性能向上はなく、換装したハ109もまた決して信頼性が良くなかったため、九七式重爆撃機と比べると目立つ活躍することも無いまま終わった。これは本機の性能以外に、多くの機体が対ソ連戦を見越して満州や中国北部に配備されたため実戦参加の機会が少なかったことも理由であった。元来陸軍の重爆は対ソ戦専用に適応してしまっている機種であったこともあり、また発動機に信頼が置けない本機は比較的長距離の侵攻や洋上飛行を伴いがちな南方戦線では特に使いどころに乏しかった。生産数も2000機を越えた九七式と比べると、各型あわせて813機(832機説もあり)と伸びなかった。
重武装による生存性の限界
重武装することにより敵戦闘機の攻撃を撃退するという戦術思想は、爆撃機の防御火力の有効性を過大に評価してしまったことから生まれた。当時の爆撃機の防御火力は、本機も含めて全て人力操作・照準であり、高速で軽快に動き回る単座戦闘機に対して命中率はきわめて低かった。結局のところ、当時の技術では、戦闘機の護衛なしで活動できる爆撃機は実現不可能で、机上の空論に過ぎなかったと思われる。
圧倒的な高性能を誇り、動力銃座をも装備して、日本の戦闘機を寄せ付けないとまで言われたボーイング B-29戦略爆撃機ですら、護衛戦闘機を付けていなかった初期の段階では、撃墜されるまでに至らなくとも少なくない損害を受けている。
全長:16.81m
全幅:20.42m
全高:4.090m
主翼面積:69.05m²
重量:6,540kg
全備重量:10,680kg
発動機:中島ハ41×2(ハ109×2又はハ117×2)
出力:1,450馬力 x2
最大時速:492km/時
航続力:2,400km
上昇力:5000mまで13分39秒
最高上昇:9,300m
武装:20mm機関砲一門・7.92mm機関銃5挺・爆弾750~
ユンカース Ju88
ここに詳しく書いてあります→『Ju88』
Ju 88 は、第二次世界大戦前にドイツの航空機メーカー、ユンカース社によって製造され、大戦終了までドイツ空軍で運用された中型双発爆撃機。空軍のコンセプト「戦闘機より速い爆撃機を」のもとで高速を重視して開発された。ナチス・ドイツの主力爆撃機の地位を占めた他、夜間戦闘機や偵察機としても活躍した。
量産型の部隊への配備は1939年より開始された。開戦当時から判明していたが、すでに爆撃機が戦闘機より高速であるというコンセプトは、戦闘機の性能の著しい向上によって陳腐化しており、このJu 88も例外ではなかった。しかし、同時期に開発された中型爆撃機 He 111 よりも損害数が少なく、また急降下爆撃や雷撃までこなす優秀さを見せた(但し、本機の行う急降下爆撃はJu87のような急角度のものではなく、実態としては緩降下爆撃であった)。
バトル・オブ・ブリテン (1940-41) 以降は爆撃機として一線を退いた He 111 の代打として活躍し、大戦終了までドイツ空軍の主力爆撃機として活躍した。アシカ作戦の失敗が確定すると、昼間戦闘の中心は地中海での商船狩りが主な任務となり、それなりに戦果を上げた。夜間戦闘機としては、当初は小規模な改造程度の機体しかなかったが、1943年から当時の主力夜間戦闘機であったBf110の生産機数を追い越すようになり、大戦末期には主力夜間戦闘機として活用した。
こうして様々な戦場で活躍したJu 88だったが、前線部隊では性能的に満足のいく爆撃機ではなかった。というのも、当時のドイツは生産ラインを急変する事ができず、一定した戦力の量産が求められていた。そのため、性能的には多少の不足があっても、任務に大きな支障が無ければ用いる傾向にあった。Ju88はこうした中で誕生し、大戦末期まで用いられていたが、1944年にはすでに改良の限界に達しており、コクピットを弾頭に置き換えられたミステル(飛行爆弾)に改造されてしまうなど、名機としては不本意な最期を迎えている機体も少なくない。
詳細なデータはまた今度で。