路線の追加/大宮電鉄/歴史

Last-modified: 2022-01-07 (金) 09:14:37

目次

きっかけ

もともと「自分オリジナルの鉄道路線が作れたらいいな~」と思っていた時にふと浮かんだきた駅が、大宮だった。そこから、「大宮電鉄にしよう」と思い、2013年から本格的に路線作りを始めた。

大宮本線OL

大宮電鉄を作るきっかけになった大宮から、神奈川県の海老名まで、実際にある路線を参考にしながら出来た路線。
当初は大宮~渋谷~新横浜~横浜~海老名間の34駅で、架空駅は5駅と少なかった。
その後、小田原、熱海、沼津と延伸していき、ついに67駅となった。
しかし、全線開通かと思った時に、「67駅あるのに、架空の駅が少ないし不便だ」と思ってしまい、大規模な路線改修を行った。*1
その結果、架空駅を40駅に増やすことが出来た。
ちなみに正式名称は大宮電鉄本線*2で、大宮本線は略称である。

湘南線OS

大宮本線との直通用路線で、二俣川から分かれる路線。
当初はいずみ野線という名前で二俣川~三ツ境~万騎が原~いずみ野~湘南台と通っていたが、三ツ境~万騎が原間が予想以上に遠回りしていたことや、現実路線の同じ名前の路線と似ている所が多数見つかったため、二俣川~万騎が原にさちが丘駅を新設し、三ツ境駅も含む2駅を廃止したほか、湘南台~藤沢~国府津間も完成。その後は小田原まで延伸し、路線名も現在の湘南線に変更された。
路線名の由来は湘南台や、茅ヶ崎などの湘南を通ることから。

青葉線OA

開通当時の起点駅であった後楽園から東神奈川を経由して新横浜方面に行く路線を作りたいという理由で作った路線。
まず後楽園~東京~国会議事堂前~品川~東神奈川~新横浜~青葉台というルートで作成し、一度あざみ野まで延伸した時期があったが、大規模な路線改修の期間中に東神奈川~鴨居間を除いてルートを変更。
一つは起点駅を後楽園から新宿に変更し、新宿~新戸山*3~市ヶ谷~東京~品川~東神奈川に変更。
もう一つは鴨居~川和町~十日市場~青葉台と通っていたルートを鴨居~新中山~十日市場~青葉台に変更。青葉台~あざみ野間は一度廃止されたが、新駅を2駅追加したことで復活した。
路線名の由来は青葉台と、路線色から。*4

北沢線OK

3路線出来て、「そろそろ大宮を通る路線を久しぶりに作りたいな」と思った時に作った路線。
原治線 (はらじせん) という名前で開業した時は、大宮~武蔵浦和~新浦和*5~志木~国分寺~新小金井~東中野~明治神宮前 (原宿) ~渋谷というルートだった。
しかし、架空駅が新浦和しか無く、乗換駅ばかりだったため、大規模な路線改修の期間中に起点駅、終着駅を変えずにルートを変更した。
まず大宮~新浦和間は架空駅ばかりを入れ、新浦和から先は志木では無く和光市に変更した。
次に元々停車駅だった中野を残したかったため、平和の森公園の最寄駅という設定の平和の森駅を含めた和光市~中野間が完成。
最後に当時練馬線が通っていた下北沢と中野を繋げたかったため中野~下北沢~渋谷間が完成。
これで再び全線開通し、路線名も現在の北沢線に変更された。
路線名の由来は前述の下北沢や、1駅前の北沢を通ることから。*6

六本木線OR

東横線と目黒線のように、大宮電鉄でも本線と並走する路線を作りたくてこの路線を作った。
六ヶ浜線という名前で開業した時は、六本木~恵比寿~中目黒~自由が丘~武蔵小杉~日吉~新横浜~横浜というルートだった。*7
しかし、中目黒~新横浜間に関しては大岡山が自由が丘になってる以外は当時の大宮本線と同一で、しかもまた架空駅が少なかったため、大規模な路線改修の期間中にこの路線も起点駅、終着駅を変えずにルートを変更した。
まず六本木の先は恵比寿ではなく山手線の隣駅である目黒に変更。
次に当時の大宮本線の停車駅である大岡山を経由して武蔵小杉に行くルートに変更。
ここで大宮本線と合流し、新横浜辺りまで並走するように設定。*8
最後に新横浜~横浜間は若干ルートを変更して完成。
これで再び全線開通し、路線名も現在の六本木線に変更された。
路線名の由来は六本木が始発駅であることから。

練馬線ON

当初は練馬から東中野、参宮橋、武蔵小杉などを通って横浜に行き、元町・中華街に向かう路線だったが、やっぱりこの路線も新横浜~横浜間以外大規模な路線改修の期間中にルートを変更する羽目になった。
まず練馬から池袋に始発駅を変更し、その先は阿佐ヶ谷*9、世田谷、二子玉川と通って綱島台で大宮本線や六本木線と合流し、新横浜で別れるルートになった。
そして最初に完成した時と同じ横浜が終着駅になり、元町・中華街方面は廃止になった。
路線名は練馬を通ることから。

江戸川線ED

新木場~大崎まで通っていた台場線をリニューアルした路線。*10
新木場だけを残し、後は全て変更した。
北千住から浅草や墨田区などを通って南へ進み、台場線新木場駅の跡地をそのまま使用し北千住~新木場間が完成。
その後は江戸川区を北へ進んで行き、江戸川を渡って松戸が終着駅になった。
路線名は江戸川区を通ることから。

千歳線CT

新横浜~大崎まで通っていた横崎線をリニューアルした路線。*11
まず大江戸線のみ通っている光が丘を繋げて和光市~光が丘間が完成。
次に国道311号線に沿って進み、練馬線と合流する形で光が丘~二子玉川間が完成。
次に練馬線とは別ルートを通るように二子玉川~横浜間が完成して全線開通した。
路線名は途中駅の千歳台から。
ちなみに北海道に同名の路線があるが、この路線とは無関係である。

足立線AD

元々は上野環状線として上野を起点とする環状線だったが、いろんな理由から中川公園~枝川間以外をリニューアルをした。まず起点を練馬に移動し、そこから十条を経由し西新井へ。次につくばエクスプレスが通る青井を経由し現存区間に突入。最後に枝川から月島ではなく晴海を終着駅にした。
路線名は足立区を通ることから。

船橋線FN

船橋や千葉に行く路線がなくて作った路線。
京葉線や総武線を大宮電鉄版に少しいじっている。
新木場は江戸川線との接続駅として設置し、舞浜~西船橋間は京葉線と横断する形で作った。
千葉は当初終点だったので、千葉止まりの電車もよくある。
成田空港まで通っていた時はほぼ手抜きで作った路線だったが、自然災害により千葉~成田空港間が廃止され、ルートを大幅に変更し、千葉~成東間が新設された。
路線名は船橋を通ることから。

町山線CY

高尾山から南に行く路線がなくて作った路線。
最初に新中山から北に進み、東京都に行く形で新中山~あざみ野~町田間が完成。
次に横浜線や中央線を行ったり来たりするように手抜き混じりで町田~高尾間が完成。
次に目標を達成するために南へ進み、現実路線も通らない愛川町を経由して海老名を終着駅にした。
路線名は田や高尾通ることから。

王子線OJ

当時のナンバリング制度でJが残っていて、OJを考えた時に「王子線にしよう」と思って作った。
最初に大宮~新浦和間で北沢線と並走し、その後赤羽を経由して王子まで完成。
次に田端や上野動物園周辺を通り、隅田川を渡って押上を終着駅にした。
路線名は王子を通ることから。

若葉線WK

旭区の北側を通る路線がなくて作った路線。
最初に新中山~三保周辺まで青葉線と並走し、その後車庫のある上川井を経由して、二俣川まで完成。
次に相鉄線の南を通るように二俣川~花見台~保土ヶ谷間が完成。
最後の保土ヶ谷~藤沢間は少し手抜きでJRに途中駅を入れるように完成させた。
路線名は途中駅の新若葉台から。

立川線TC

大宮本線と湘南線のように、町山線への直通路線として作った路線。
まずあざみ野からブルーラインの延伸先の新百合ヶ丘まで予想も兼ねて作成。
そこからさらに西へ進み、稲城市を経由して新百合ヶ丘~長峰間が完成。
次に西武多摩川線、南武線への乗り換え駅が必要だと思い長峰~府中本町~立川間が完成。
最後に地上に少しでも走らせるように立川~八王子間が完成し全線開通した。
路線名は立川を通ることから。

板橋線IB

某アニメの舞台の名前*12が気に入り、その駅を含めて板橋区の駅を詰め込んだ路線。
まず大宮電鉄発祥の地・大宮から浦和を通って南本町で王子線と交差し、高島平まで完成。
次に板橋まで全て板橋区にするために徳丸や中台などの板橋区の地名をガンガン入れた。
次に山手線を横切るように板橋~巣鴨~日暮里間が完成。次に浅草駅の乗り換えが不便だと思い、つくばエクスプレスと東武線などの間に設置し完成。
最後に東武や京成となるべく被らないように浅草~高砂間が完成した。
路線名は板橋区を通ることから。
ちなみにときわ台に全種別が停車するのは、東武東上線の乗り換えが、周辺の駅だと池袋や和光市しか出来ないからである。

松戸線MD

常総電鉄さんとの直通運転を開始した時に、「大宮電鉄なのに大宮を通る路線が直通してないとおかしいな」と思い、急ピッチで作った路線。
大宮~松戸間で作ると最初から決めておき、架空駅を大量に入れた。中でも道祖土*13、本蓮*14というちょっとした難読駅は完全にネタである。
乗換駅は大宮と松戸を含めて6駅と過去最少だが、前述の難読駅や、見沼代親水公園で一瞬東京都に入ったりと、自分の中でも面白さのある路線になった。
路線名は松戸を通ることから。
ちなみに松戸も千葉県唯一の駅であり、残りの18駅は全て埼玉県に所在している。

恵比寿線EB

六本木線 (当時の六ヶ浜線) が通っていた恵比寿を復活させたいと思って作った。
最初に新宿から渋谷を通らずに恵比寿に行けるか考えた時に、代々木八幡周辺を通る形で新宿~富ヶ谷~恵比寿間が完成。
次に品川までつなげる時に六本木線の白金駅に停車させるように恵比寿~品川間が完成。
次に青葉線の倉田駅周辺を横切り、JR線が通る西大井、都営浅草線が通る馬込を一本で行けるようにするため品川~馬込までなんとか繋げた。
最後にそのまま南へ進み、川崎を終着駅にした。
路線名は恵比寿を通ることから。
ちなみに空想鉄道のページを見れば分かるが、全体図で見ると海老反りになるように作られている。これもまたネタである。

羽田線HD

羽田空港でスイッチバックする路線があったら面白いなと思って作った。
まず渋谷から六本木、田町を経由して渋谷~品川間が完成。
次に台場線の駅だった大電八潮駅を通って羽田空港までが完成。*15
次にスイッチバックして神奈川県東部の海沿いを通る形で羽田空港~横浜間が完成して全線開通した。
路線名は羽田空港を通ることから。

熊谷線KG

この路線が出来るまで大宮電鉄の駅で「大電○○」という駅名が無く、どこか良い場所が無いかと思った時に、「東松山の松山を取って大電松山駅を作ろう!」と思ったのが始まり。
森林公園から始まるのが何か違うと思い、森林公園よりも北にある熊谷から路線を作成した。
まずなるべく地上に走らせる計画で熊谷~坂戸間が完成。
次に坂戸から狭山、所沢方面に向かう路線が無かったという理由で坂戸~所沢間が完成。
最後に新宿や渋谷などの都心へのアクセスを目的に所沢~中野間が完成し、全線開通した。
路線名の由来は熊谷が始発駅であることから。
余談ではあるが、熊谷線が開通したことにより、ついに大宮より北を走る路線が誕生したこととなった。

多摩蒲線TK

国分寺や調布、登戸などを通る路線が無くて作った路線。
最初に熊谷線との乗り換えが便利になるように所沢~国分寺間が完成。
次に最初から決めていたルートに沿って国分寺~登戸間が完成。
その後は鷺沼を通りたまプラーザを通らずにあざみ野を終着駅にしようと考えていたが、青葉線の延伸計画の影響で急遽ルート変更。
大宮本線や六本木線、練馬線が通る綱島台を通ったら便利じゃないかと思い、鷺沼~綱島台間が完成。本当はここでやめようと思ったが、埼玉→東京→神奈川→東京って通ったら面白いのではと思い、綱島台~蒲田間が完成。最後に羽田空港へ向かう路線との接続駅を考えた結果、東京近郊鉄道さんの駅である城南島を敢えて終着駅にすることにした。
その後は少し駅名を変更し、現在に至る。
路線名は平城山松前さん考案。

鎌倉線KR

綾瀬市を通る路線や、江ノ島や鎌倉を通る路線が無くて作った路線。*16
最初に少し前から考えていたルートに沿って町田~大和間が完成。
次に綾瀬市を通って江ノ島に結ぶ形で大和~綾瀬中央~大電江ノ島間が完成。
最後に予定通り大電江ノ島~鎌倉間が完成し、現在に至る。
路線名は鎌倉を通ることから。

調布線CF

前述の通り、北沢線が原治線だった頃に大宮起点~新浦和~志木…のように通っていた。それをなんとか復活させようと作った路線。
大宮~志木間は与野付近を通るように変更し、その先は熊谷線が通る大電柳沢、中央総武線が通る三鷹を経由して調布まで完成した。
このままだと少し短めの路線になってしまうため稲田堤、潮見台、こどもの国といった駅を通るようにした。
その結果、前回作った鎌倉線の始発駅・町田が終着駅になった。(町田よ、またお前か…)
路線名は調布を通ることから。

金沢線KN

鎌倉線大電江ノ島駅から金沢区方面に分かれる路線として作った。
当初の始発駅だった茅ヶ崎から大電江ノ島まで作成し、予定通り北鎌倉を経由して金沢八景までのルートが完成した。
しかし、金沢八景まで繋げた際に「これは短すぎるな」と思い、始発駅を茅ヶ崎からさらに北の伊勢原に変更した。
路線名は金沢区を通ることから。
ちなみに、大電江ノ島~金沢八景間は鎌倉線を作っていた時の仮ルートである。

葉山線HY

金沢線が完成してから2ヶ月が経過し、そろそろ新しい路線を作ろうと思い、特に経由地を決めずに作った路線。
横浜~上大岡間は京急線やブルーラインと同じにならないように避けながら作り、上大岡~逗子間は南区→磯子区→港南区→栄区→逗子市と次々と市区が変わるようにネタ混じりで作った。*17
逗子から先を考えた時、葉山町を通る路線が無かったことに気づき、葉山町を東へ進み、横須賀市の浦賀まで作った。
一度はこれで終わりだったが、架空駅を終着駅にする方向で浦賀~観音崎間を追加し完成した。
路線名は葉山町を通ることから。

みずほ線MH

全体図を見て、大宮から西寄りに進む路線が無くて作った路線。
まず調布線と被らないように南西に進み、荒川を渡ってみずほ台まで完成。
次に東所沢と所沢を乗り換えなしで行けるようにみずほ台~所沢間が完成。
当初は所沢~西武園~武蔵大和と繋げる予定だったが、西武線とほぼ同じ+位置的に難しいことから、西武園には行かずに所沢~武蔵大和間が完成。
次に上北台に乗り換えがなかったため、武蔵大和~上北台~拝島と徐々に繋げた。
本当はここで終わる予定だったが、拝島には他の大宮電鉄の路線が通っていなかったため、近くの高尾まで繋げて全線完成した。
路線名はみずほ台から。ちなみにひらがなのみの路線名は初である。

三崎線MK

台場線と横崎線が廃止されてからおよそ1年半が経ち、各停のみの路線を久々に作ろうと思って作った路線。
葉山線の葉山から分岐され、横須賀市の海沿いを渡り、京急線の乗り入れ駅の三崎口を通り、さらに先の油壺を終着駅にした。
路線名は三崎口から。
ちなみに三浦線という路線名も考えていた。


*1 渋谷~三島間のみ
*2 大宮電鉄大宮本線は誤りである。
*3 建設時の仮称、現在の戸山駅
*4 青葉線の路線色は紫だが、実際は青紫寄りの色である。
*5 現在より少し位置が異なっていた。
*6 元々の名称であった原治線の由来は、「明神宮前 (宿) 」から。
*7 由来は六本木の、自由が丘の、横浜のを繋ぎ合わせたもの。
*8 武蔵小杉~新横浜間は途中駅がある。
*9 一旦開通した時はまだ無かった。
*10 廃止の理由はりんかい線と酷似していたため。
*11 廃止の理由はルート的に厳しく、青葉線ひとつで済んでいたため。
*12 ときわ台のこと。
*13 さいど
*14 ほんばす
*15 台場線廃止前は2・3番線のみ使用していたが、廃止後は1・4番線も使用している。
*16 綾瀬市を通る路線は、大宮電鉄の路線はもちろん、現実路線も通っていなかった。
*17 上大岡~逗子間は南区が2駅、磯子区、港南区、栄区が1駅ずつ、逗子市が2駅と6駅で大きく変化している。