VeganNam wiki

Last-modified: 2022-12-10 (土) 09:17:34

ジャンル : Vegan Christian Rapper

VeganNam (ビガナム)

ハリウッド、ロサンゼルス、スキッドロウ、ベニスビーチ、サンタモニカ、サンタバーバラ、トーランス、コンプトン、バンコク、アンコールワット、ラオス、、などでのチケット代のみでの安旅バックパッカーなどの実体験からニューヨークのウェブ掲示板の頂上からのヴィーガン発言、大阪東京および日本全土、世界でも1位のヴィーガンの繰り返し録音主張を代表している日本人ソーシャライト。2022年12月10日現在、世界初のヴィーガン・クリスチャン・ラップ部門の創始者で在り続ける。

日本国 岡山県倉敷市美観地区白楽町にて1985年8月19日に出生、父方は大阪からの水道会社、母方は長崎からの美容室を経営、5人兄弟の長男。日本名は木村隆史。犬が好きなお祖父さんはセントバーナードや土佐犬を飼っていた、「大阪のポン引き」と言っていた社長で株式会社を設立。

父母が本家から自立し幼少時に倉敷市笹沖の精肉店の隣へ引っ越す、その頃から頻繁に引き付け痙攣を起こしていたという、それを理由にか転居、倉敷市串田に一軒家を構える。

郷内幼稚園入園、プロレスで小指を噛まれ外科手術、傷跡が残る。好きな事は走ることとママゴトだった。
郷内小学校入学、修験道本山派総本山 五流尊龍院の隣である、低学年では硬筆とソロバンを習い、硬筆で段を取得、ソロバン3級、高学年では陸上短距離とミニ四駆に励んだ、陸上100メートル走県大会トップ10、ミニ四駆にて数々の地域大会優勝、中国地方トーナメントにてコースアウトし敗退、好きな場所は図書室だった、動物や武器の関連図鑑を好んだ、父方の水道会社は当時有限会社で裕福ではなかったものの英才教育を受けアダ名は博士だった。
郷内中学校入学、路上喧嘩技術の研究本を購入、ヘアワックスでパンクファッションで登校し先輩の番長グループに喧嘩を売られる、先輩の教室に1人で呼ばれ怒られたので顔にフックを打った、先輩は膝を床に着けたがすぐに立ち上がりヘアワックスで固めた髪の毛を掴みヒザ蹴りを続け、防御しか出来ず洗礼を受けた、不良に憧れだし1番喧嘩の強そうだった人が集まるバレーボール部を選択、タバコを始めた、身長は中程だが瞬発力に長け1軍でエースアタッカーを3年務める。家庭ではダンスマニアに熱中し当時買ってもらったコンポで爆音で頭を振り続けながらも、山際の自宅だったので苦情は無かった。不登校の同学年の不良にタイマン喧嘩を売られ熊野神社にて格闘、自転車を投げられる前に背後に周りチョークスリーパーからの柔道技からマウントポジションを取り殴り続けた、まいったと聴こえ我に返った、仲良くなったがその晩に産まれて初めてのカルマの強さを実感し敗北も味わった、3年生で放送室から全生徒に食事の時間にダンスマニアを放送、300人の学校であった、隠れファンクラブが有ったと聞く、アイススケートに誘われて行くが下手であった。
私立関西高等学校普通科入学、男子校。岡山県内での学年別で1番喧嘩が強いとされるオカイチの称号の称号を持つ番長とそのグループが食堂にビガナムと目立つ友人を2人呼び出して初見、認められる。喧嘩やファッションに長けたグループに属し岡山中心部でアクセサリー万引きや喧嘩をしていた、食堂でズルをしタダ飯を食っていた。警察やヤクザに認められる不良学校であった、不良仲間はジャンル問わず学校問わず関係を広げて行き夜の世界へ辿り着く、倉敷市美観地区の地下1階に在ったヤクザがセキュリティを務めるクラブペインをホストしていたラッパーに連絡を取る事に成功、初めてリリックを書く、セキュリティが大麻をくれた、初体験、初めての言葉は「このトンネル、どこまで続くんでしょうね」だったと聞く。ナム(Nam)としてクラブで数ヶ月毎週土曜日夜に前座でラップをし自分等が主催するパーティーを行った、その日が最大動員で300人ほど高校生や不良が集まった、活動ユニットは3人、学校の同学年不良仲間がDJ、アイススケートリンクで知り合ったホッケースケートの美しい水島工業地帯のカリスマで1歳年上のラッパーとのダブルマイクでビガナムは1曲だった、ユニット内で互いにソロ曲でダブルマイクで助け合った。例のオカイチの先輩も素晴らしいラップでライブをしていた、そうして学業に勝る経験を感じ不登校から2年生の初めで中途退学を決めた、担任のセリフは「この学校はヤクザか警察にしか成れん」だった。
レゲエの存在が強まり再びカルマと深みに苦しみ挫折を味わう山際の自宅の毎日の中リリックも書けずテクノロジーとの両立を目指した、ビデオゲームやパソコンやオーディオに拘り、村落の仲間と強盗でのホームアルコールパーティーを繰り返し、肩に太陽のタトゥーを入れた時期、両親も別居、父の家に住み家庭内も暴力が絶えなかった、出会い系サイトのスタービーチに依存していて訳アリ関係のアンダーグラウンド時代、仕事は1ヶ月持たず転々と、部屋で大麻を栽培、品種名『アフガン』親に見せると通報された、裁判にて国選弁護人が止める中、大麻の有用性を主張、執行猶予。その後、出会い系で会った東京の女性と2万円で1週間バンコクへフライト、初めての海外でカルチャーショックの連続、やってきた事に自信が芽生えた、帰国後実家にて絶縁、親が手切れ金として4万渡してきたので単身バンコクへ1ヶ月再フライト、荷物も電話も金も持たずにパスポートとチケットだけの旅だった、ナムとして仏教国の信仰の厚さを再確認、ラッパーのジブラの自伝本にてベジタリアンからヴィーガンの道を決意した、帰国後友人達に別れを告げた「ヴィーガンに成る」その後岡山市にてホームレス、クリスチャンと出会う、毛布や食事を貰う、ホームレス仲間との日々、生活保護には壁が有ったが決意に至り申請後岡山市西側にアパートを借りた、部屋の壁の薄さに究極のストレスを感じ初めての支給金およそ10万円でロサンゼルスへ渡米を決意、パスポート1万円、格安航空券9万円、3ヶ月の無一文の旅、置き手紙『医療大麻の治療を受けてきます』ロサンゼルス国際空港にて入国審査『Medical Cannabis』医療大麻の事である、無事に入国。警官がベニスビーチに案内してくれた、もちろんカルチャーショックの連続、スキッドロウへ行き現地の友人達と教会巡り、サンタモニカ、ハリウッド、コンプトン、サウスセントラル、アナハイム、ロングビーチ、トーランス、裕福なホームレスでありクリスマスの時期、1日5回の無料食事も可能で、ハリウッド並みの御下がりの中古ブランド衣服が配布されチップ文化やホームレス宿泊施設はシェルターと言い時々使っていた、シャワーは使い放題だがティッシュは少しだった、スタッフは腕に大麻のタトゥー。仕事のチャンスは多かったしメインはエンターテイメントである、公共ラジオの半分以上がヒップホップである、夢の日々は想像に任せる。赤ギャングのブラッズとして扱われていた、強盗村落に名門ヤクザやカラーギャングは存在していたので驚く事ではない、若者達はグリーンかパープルか関係無い感じもあった、ホームレス仲間に暴力を数回受けたがギャングやジェントルメンやポリスや聖なる加護でメリットが上回る、あまりにも居心地が良いのでオーバーステイしていた、ふとロサンゼルス外のサンタバーバラに行きシリコンバレーを目指すことにした、ヒッチハイクとビップのタダ乗りバスにて北上、サンタモニカにて宿、田舎であった、教会は閉まっていた、シェルターは病んでいた、大麻喫煙具屋の兄ちゃんが警察に相談してオーバーステイが判明、アナハイムにて留置、所内にて米国永住権が必要か問われ考えた末に東京行きを決意、すぐに送ってくれた。東京でのホームレスは3/11日の地震まで続いた、米国では99%デモが続き、ロサンゼルスからの音楽に自分の存在への手応えを感じていた。
岡山に帰り市内中心部に生活保護でアパートを借りた、ヴィーガンナム(ビガナム)の誕生、スマートフォンと銀行の契約、インターネットで大麻合法化運動とヴィーガン普及に励んだ、イギリスの大麻種子会社から種をオーダーした、品種名はカリフォルニアテイストの『レモンオート』と『NYCディーゼルオート』を選んだ。ウサギを飼っていた、収穫の頃ウサギがNYCディーゼルオートを引っこ抜いてチモシーと糞だらけの床で食していた、結果レモンオートを1株使えた、法律違反の罪を感じ1株で辞めた、夢が現実に、路上でラップバトルを一般人や店員に仕掛けていた、ヴィーガンの主張が主で荒くなっていた、タイガースショップに乗り込んで説教、スーパーにて精肉コーナーの商品にツバを吐きドン・キホーテにて狂った、気に入らない商品にジャブを打っていた、通報後に精神病院、部屋の大麻の残りの茎は闇に葬られた、名医に言われた「怒らなかったら良いよ」退院後、生活保護の毎日、村落の白ギャング創設者が住み込んできた、ボディーガード代は1年で40万円だった、役所に相談後、大阪の西成に移住、闇市でのヴィーガンTシャツ販売、ギャングな友人達、足を洗う。天使が来た、誘われ西成3角公園にてシアトルから来たアメリカ人が作ったインターナショナルなメンバーの公園教会にてクリスチャンの洗礼を受けた、聖書を通読し賛美音楽を作っている、サイクリングが趣味、安全運転を極めている。

光るほどに全てが祝福され清められている、祈りと賛美の日々。

現在合法的にソーシャライト・モデルとして健全に活動中。