かすかり

Last-modified: 2025-02-26 (水) 00:02:42

今日は特別に,5時間目で授業が終わり,いつもより早く放課後が訪れる。

スクールアイドル同好会の活動も今日は休みなのでそのまま家へ帰っても良かったが,部室へ向かった。

6時間目の授業が無い分,出された宿題をさぼらないように部室で片付けるためだ。

本当は,勉強なんてしたくないけど,家に帰ったらどうしても気が緩んで遊んでしまう。
昨日も,宿題を早く終わらせて人気アイドルの動画を見ようと思っていたのに,結局後回しにして気付いたら寝る時間だった。

「今日こそは」という強い意志を持って部室のドアを開く。

かすみ「みなさーーん,今日も可愛いかすみんの登場ですよ~~!!!」

かすみ「............」

私は忘れていたが,勿論,誰からの返事も来るはずがない。

同好会は今日は休みである。しかし,真面目な歩夢先輩やせつ菜先輩は,自主練のために部室に来ているかと思っていたが,他の学科のみんなは6限の授業を受けている。

かすみ「せっかく,誰かの力を借りてやろうと思ったのに,これじゃ意味ないじゃないですかぁ…」

本音混じりの独り言を呟き,机に突っ伏したが,しょうがないので,問題集とノートを開き,1人で取り掛かることにした。

かすみ『今日のかすみんはいつもと違いますからね!誰も居なくたって1人で頑張りますよ!』

心の中で自分を鼓舞し,問題と格闘していたが気付いたら意識が遠のいて居眠りをしていた。

・・・・・・

どのくらい寝ていたいたのだろう,目が覚めて体を起こすと目の前に西日に照られて,綺麗に光る10円玉くらいの水面が見える。

間違いない,これは自分から垂れた,よだれだ。
唇から顎にかけてもカピカピした跡が残っている。

可愛いかすみんのこんな姿を,誰かに見られる訳には行かないと,慌ててハンカチで拭き取ろうとするが,遅かったらしい。

後ろから声をかけられる。

「随分と爆睡してたわよ~」

声のトーンや口調で1発で分かった。
しかも,よりによって,なんでこの人なんだろう......

振り返るとソファーに座って,おっとりした表情でこちらを見ている,3年生の朝香果林先輩がいた。
窓から差し込んだ光が照らしている果林先輩が、あまりにも綺麗で一瞬息を呑んだが直ぐに現実に戻る。

かすみ「ちょっと果林先輩,部室いたんですかー!?!?このことは誰にも言わないでくださいね……」

果林「いつも,いたずら企んでいたりするから,どうしようかしら? 新たな一面を,同好会のみんなに知って貰えるいい機会なんじゃないかしら。」

かすみ「そんなの知って,何の意味ないじゃないですかぁ……」

咄嗟に口封じをお願いするが,あっさり交わされてしまう。
オープンキャンパスの時,校内の特大スクリーンに、自分の恥ずかしい姿が映し出されたことを,根に持っているのだろうか。

しず子にも後で怒られたので、自分でも、咄嗟にデータを持って行ったことは反省している。

かすみ「それより、なんで見守ってるんですかぁ~?
かすみんのこんな可愛くない姿、見て馬鹿にしてたんですか??
起こしてくださいよぉ……」(プンスカプンスカ)

果林「そんなことないわ!かすみちゃんが、疲れてそうだったから、寝かせておいたのよ。」

果林「さては、昨日も練習頑張ったのに、夜更かししてたでしょ。ちゃんと休まないと駄目よ。」

どうやら,私のことで気を遣ってくれていたらしい。果林先輩は意外と周りのことがよく見えてる時がある。
そして、昨日、宿題を後回しにして夜更かしをしていたことも、見抜かれているらしい。
果林先輩の感は,意外と鋭くて時にハッとさせられる。

かすみ「ぐぬぬ…なんで分かるんですか……」

果林「かすみちゃん見れば,すぐ分かるわ~。でも、寝てるかすみちゃんも可愛いかったわ!」(ニコッ)

そんなに疲れが顔に出ていたのだろうか?
なんか言い返そうとしたが,こんなに綺麗な先輩に可愛いと言われてつい嬉しかったので、自然と許してしまった。

・・・・・・・・・

かすみ「それより、先輩はなんで部室に来たんですか?今日、活動無いですよね?」

果林「18時からダンススクールのレッスンがあるから、それまで時間潰しに来たのよ。」

かすみ「なるほど……休みの日も1人でスクールに通うなんて、抜かりないですね…」

流石、果林先輩、スクールアイドルやモデル活動には、全力で取り組んでいるらしい。
一方、勉強してる姿はテスト1週間前しか見たことがない。

果林「かすみちゃんも、1人で宿題やりに部室に来たのが信じられないわ。天変地異の前触れかしら。」

かすみ「て、天変地異??そんな言い方、酷くないですかぁ……?」(プンスカプンスカ)

果林「いやでも、なかなか見られない光景じゃない??」

かすみ「まあ、自分でもそう思いますけどぉ、、、果林先輩程ではないですね?」(ニヤッ)

言われっぱなしも嫌なので、言い返してみたが、果林先輩の痛いところを付いてしまったらしく、先輩は「うっっ、、」と声を上げる。

果林「しょうがないわね、私も宿題があるから、すぐ終わらせてみせるわ。」

朝飯前というような表情で、参考書を取り出すが、3点と書かれた20点満点の小テストが参考書から飛び出している。

ツッコミを入れたいところではあるが、自分も先輩の気持ちが痛い程分かるので、ここは見て見ぬふりをしてやり過ごした。

最近は、ユニット単位での練習が多く、久しぶりに先輩と会ったこともあり会話が弾んでしまっていたが、さっきから全く手が動いてないことを思い出す。

かすみ「せっかく、早く宿題を終わらせようと思っていたのに先輩と話していたら全然進まないじゃないですか。」

果林「私のせいなの??」

果林「仕方ないわね、どっちが先に終わるか勝負しましょう。」

かすみ「果林先輩となら、だいぶ勝てる気がするので受けて立ちます。」(ニヤニヤ)

果林「なんか一言余計ね……」

果林「それじゃあ、17時までに終わらなかったら、負けた方はおやつ無しにしましょう。」

ぐぬぬ。。。勝負は引き受けたが、おやつ抜きとは聞いてない。
今日発売の、コンビニスイーツを食べて帰ろうと思っていた私にとって、負けられないバトルになってしまった。

果林「用意スタート!!」

果林先輩の合図と共に、頭をフル回転させて宿題を始める。
残り45分あるので、流石に終わると思った私が悪かった。

授業中ぼんやりしていたせいで、ノートを見ても内容が思い出せない。何とか参考書を読んで理解しようとするが、数字の羅列で、頭が痛くなってきた。

・・・・・・・・

果林「終わったわ!!」

そんな事をしているうちに果林先輩の方が先に宿題を片付けてしまった。

果林「かすみちゃん、乗り気だったのにどうしたのかしら?」(ニヤァァ)

果林先輩は随分と得意げになるいるが、ヒーヒー言いながらやっている様子は視界に入っていた。

でも、勝負に負けてしまった以上、強がってもしょうがない。早く帰りたかったのでつい、本音がこぼれてしまう。

かすみ「ふぇぇ……ここの公式が分からないですぅ…」

果林「数Ⅰ?もうそんな事とっくに忘れたわ。」

1人で頑張りなさい、と言われるかと思ったが、意外な返事が返ってくる。

果林「しょうがないわね。かすみちゃん頑張ってたし、特別に見てあげるわ。」

かすみ「え?!?!見てくれるんですか?嬉しいですぅ~~」

正直、しず子やりな子に比べれば頼りないが、そんな事は関係ない。1人で取り組むよりも断然心強い。

果林先輩が隣の椅子に座って、教科書を覗き込んで来る。
ふわっと金木犀のような甘いけど、程よく心地よい大人の香りがしてきてドキッとしてしまう。

そして、こんな綺麗で整った横顔を近くで見ていると、何故か心が落ち着かない…

何の気持ちかは言葉では表せないが、心臓の拍動が周りにも聞こえそうなくらい、大きくなっている気がした。

私は全然集中できなかったが、2人で悩みながら、ギリギリ17時までに課題を終わらせることができた。

かすみ「何とか終わらせられて、良かったです…今日は本当にありがとうございます!!」

果林「かすみちゃんも頑張ってたから、つい協力したくなっちゃってね......」
果林「そう言われると、なんか照れるわね…」

珍しく果林先輩が顔を赤くしている。

いつものクールでカッコイイ姿も良いが、根は優しくて後輩思いの果林先輩も大好きだ。
本当は口に出して伝えたいが、果林先輩の綺麗で美しい顔を目の前にしたら、私は恥ずかしくなって、胸の奥に言葉をしまう。

宿題も終わったので、先に帰っても良かったが、最近同好会の活動も、ユニット別で練習することが多かったので、もう少し果林先輩と話していたい気持ちが込み上げてきた。

たまにイジられるけど、果林先輩といると自然と心が落ち着く。この心地よい感じがとても好きだ。
私は思い切って先輩に声をかけてみる。

かすみ「果林先輩!!宿題手伝ってくれたので、お返しに、今日はかすみんがダンススクールまで一緒に行ってあげます!!!」

私が荷物を纏めていたのもあって、すぐ帰ってしまうと思っていたのか、果林先輩が少し驚いてこっちを見る。

果林「もう時間も遅いでしょ?宿題を先に済ませて何かやりたいこともあったようだし、大丈夫よ!」

たしかに忘れていたが、早く帰ってアイドルの動画を見て研究する予定だったが、今はそんな事より先輩と一緒にいたい気持ちの方が圧倒的に上回っていた。
そして、果林先輩と寄りたい場所があった。

かすみ「大したものではないですけど、かすみん、先輩と寄りたいところがあるんですけど、、それでも駄目ですか??」

渾身の上目遣いで果林先輩にアタックしてみる。
果林先輩は一瞬困った表情を見せるが、許可が下りる。

果林「そこまで言うなら、良いわよ。」

内心、嬉しい気持ちと、果林先輩に強引に着いて来てもらうことになったような、罪悪感が入り交じる。
私が黙ってると果林先輩から話しかけられる。

果林「今日は歩いて行こうと思うから、そろそろ出ましょうか。」

かすみ「そうですね…」

果林先輩の通うダンススクールは、DECKS東京ビーチの隣にあり、歩いたら30分弱はかかる。
今は17時を少し回ったところではあるが、私が行きたい場所があると言ったからか、少し早めに部室を出ることになった。

私は部室の戸締まりを確認し、ブレザーを羽織って忘れ物も確認する。

外は沈みかけの太陽が、綺麗な秋の夕焼けを作っていた。

かすみ「それじゃあ、かすみんが案内します!」

果林「50分くらいには着くようにお願いね。」

私が少し先を歩き、お台場方面へ向かう。少し肌寒い風が二人の間を通り過ぎて行く。

他愛もない会話が続く。

かすみ「果林先輩、食堂でエマ先輩と話したり、一度寮に戻っても良かったんじゃないですか?」

少し気になっていた事を聞いてみる。

果林「エマは、明日の授業でパワポを使った発表があるらしくて、璃奈ちゃんのところへスライドの編集の仕方を聞きに行ってるの。」

果林「寮に戻っても良かったけど、自分の部屋で1人なのも何かつまらないじゃない?」

かすみ「同好会が休みの日も、みんな色々頑張っているんですね……」

かすみ「果林先輩は、1人の時間も好きそうなイメージがあったので意外です……」

果林「そうねぇ、、1人の時間も大切にしたいけど、部屋で1人なのは孤独で意外と寂しいものよ。」

かすみ「そうなんですか?」

果林「そうよ!普段同好会のみんなといると余計にね。」

たしかに私も、誰かの目があるところでいいなら、駅前のカフェでも良かったかもしれない。また、誰かに教えてもらうなら、授業終わりにそのまま、クラスの友達を誘えば良かった。
私も気づかなかっただけで、先輩と同じで、同好会のみんなと会いたかったのかもしれない。

かすみ「上手く言葉にできないけど、私も分かるような気がします…」

果林「そうね!かすみちゃんも本当は部室に来る必要なんてないものね。」

果林「でも、かすみちゃんが部室にいてくれて、良かったわ。」

かすみ「私も果林先輩が部室に来てくれて宿題捗ったので感謝です!!あと、先輩と久しぶりに話せて嬉しかったです。」

果林「それは私も同じよ。勉強よりもお話しの方がたのしかったわ。あと、かすみちゃんの可愛い一面も見れてラッキーだったわね。」

かすみ「それは忘れてくださいよぉ~~」(ポコポコ)

かすみ「ところで、ダンススクールで今日は何をする予定なんですか?」

これ以上、深堀りされない為にも、話題を咄嗟に切り替える。あわよくば、自分の練習に活かせることがないか質問してみた。

果林「今は✗✗というステップの練習をしているの。」

歩きながら果林先輩がやってみせる。
ローファーの硬い靴底が、軽快なリズムを奏でる。
スラッと伸びた足がとても綺麗で、こんな間近だとつい見惚れてしまう。

完璧だ!こんなの果林先輩しか見えなくなってしまう。

果林「どうかしら?」

まだ練習中なのか、少し自信のない様子で聞いてくる。

かすみ「とっても上手だと思います。果林先輩のダンス見てるとつい、見惚れちゃいます……」(ドキドキ)

果林「そうなの?私はまだまだだと思ってたけど、かすみちゃんがそう言ってくれると嬉しいわ。」

かすみ「果林先輩と言えばスタイルの良さとこのキレのあるダンスですもんね。」

果林先輩を励まそうとベタ褒めしたつもりだったが、顔が逆に曇ってしまったような気がした。

すると、果林先輩がポツリと口を開く。

果林「かすみちゃんから見たスクールアイドルの私はどう見えるかしら?
こんなこと、後輩に聞くのも変だけど……」

かすみ「あ...えーー.......」

果林先輩が続ける。

果林「ダンスやスタイルを褒めて貰うことは、増えたのだけど、最近、人柄や性格みたいなものについてどう思われているのか気になって、、、空回りしてないのかなって思ったり、ナルシストみたいに思われているかと思ったり、、、私としてはパフォーマンス以外の、人となりの部分もスクールアイドルとして評価してもらいたいけど自信持てなくて、、、」

先輩は途中で話を止めた。

果林「やっぱり何でもないわ………変なこと言ってごめんなさい……忘れてほしいわ………」

こんな質問が来るなんて思っていなかったから、私はあたふたしていた。

こんな弱々しい果林先輩は、今まで見たことはない。
果林先輩はもっと強くてカッコイイいつでも人々を魅了する人間だと思ってた。

でも、私は先輩を励ましたい一心で、気付いたら話始めていた...
心臓の鼓動が早まる。
緊張で声が震えていた。

かすみ「果林先輩!!もっと自信持ってください!!!」

果林「え??」

かすみ「先輩は踊ってる時も、MCの時も自分に自信を持った迷いがないような表情で、精一杯自分を表現していてとてもカッコイイです!!」

かすみ「こんなこと言うのは、良くないですけど、こんな自信のない先輩見てると私まで寂しくなっちゃいます.........でも、ステージに立つことは周りからどう思われてるのか気になって、不安になったり、挫けそうになったりするのはとっても分かります!!かすみんの方が、スクールアイドル歴長いですもん!」

果林「…………」

かすみ「でも、私はライブ中の果林先輩も、こうやって何気ない普段の先輩も大好きです。クールな中に優しさがあって後輩思いで、困った時に心置きなく頼れる先輩が大好きです!!
さっきだって本当は帰る予定だったのに、もうちょっと先輩と一緒にいたくなって来ちゃって..........そのくらい私にとっては大切な存在です!!!」

気付いたら私は止まらなくなっていた。

あれ?スクールアイドルとしてのことを聞かれたのに、私ってば、何を言っているのだろう??
これでは、ただの告白ではないか?
急に耳が熱くなってきて、顔を見るのも恥ずかしくなって、目の前の先輩に抱きついていた。

果林「………………………」

さっき勉強をしていて横に先輩が来た時とは比にならないくらい、心拍数が上がっているのが分かる…

ドッドッドッっと自分の心臓の音が木霊している。
いや、木霊ではないかもしれない、、、
抱きついた先輩の身体も私の心音が跳ね返っているのかと思うくらい、胴が小刻みに振動していた。

先輩は唖然としているのか、私を抱え込む訳でもなく、立ち尽くしているようだ。

果林先輩は今どんな気持ちなのか?迷惑をかけてしまっているのではないか?でも、もう引き返せない。

色んな感情が頭を駆け回る。

もうこの後どうすればいいのか分からなくなり、頭の中が真っ白になる。

・・・・・・・・・・

果林「あ、ありがとう!かすみちゃん………でも、少なからず人も通るし、行きましょうか。」

私は気づいていなかったが、ここは紛れもなく歩道である。
奇跡的に歩行者は少ないが、大きな幹線道路は近くの倉庫を行き来するトラックが往来している。

果林先輩の一言に、私はただ何も言わずに頷き、先輩の横を歩きはじめた。

果林先輩の口数が明らかに少ない。

お互い気まずくなってしまい、無言のまま進んで行く。

気付いたら、あけみ橋を越え、青海駅のあたりに来ていた。空はすっかり薄暗くなっていた。

私は今日果林先輩を誘った目的を思い出し、恐る恐る声をかける。

かすみ「あの、、先輩良かったらビーナスフォートのコンビニで新作スイーツ買って一緒にたべませんか?」

果林「そう言うことだったのね。いいわよ。」

ビーナスフォートとパレットタウンの真ん中にある円形の中庭に面したコンビニに入り、新作の抹茶ガトーショコラを購入した。

ビーナスフォートのベンチは埋まっていたので、東京テレポート駅前の、プロムナード公園のベンチに腰掛けて食べることにした。

目の前には夜空に輝く虹色の観覧車が回っている。
息を呑むような美しさだ。

勉強で頭を使ったからか、それともその後のことがあったからか、ケーキの糖分が身体に染みる。

果林先輩「美味しいわね!」

かすみ「そうですね…」(モグモグ)

もっと話したいのに言葉が出て来ない。

結局私から話しかけることもできず、個包装されたケーキの3/4を食べ終えてしまう。

突然ビューーーと冬の到来が近いことを示すような、冷たい秋風が吹き抜ける。

身震いをした後、自然と果林先輩に身体を寄せる。

先輩は一緒こっちをチラッと見たあと再び空に視線を戻す。
一体何を考えているのだろうか………

このまま時が止まって欲しいが、頂上あたりにいた観覧車ももう半分より下に来ている。

先輩も練習があるのでそろそろ、向かった方がいいと思いベンチから腰をあげる。

かすみ「そろそろ行きますか?」

果林「そうね。」

ダンススクールまでは、ここから歩いて5分くらいだ。
果林先輩から何か話があるのか、それとも、このまま今日はお別れするのか、果たしてそれとも………

首都高速湾岸線を超える歩道橋は屋根があるものの間を夜風が吹き抜けて行くのでとても寒い。私の体はとっくに冷え切ってしまった。

横を歩いていた果林先輩と私の小指が触れる。

かすみ「あっっ……」

慌てて手を身体の方に引っ込めようとしたが、突然妨げられる。一瞬何が起きたかわからなくなり、状況を把握するとともに心臓が口から飛び出しそうになる。

果林先輩の真っ直ぐ伸びた綺麗な細長い指が、優しく私の手を包み込む。その細い指からは考えられないくらいの、温もりが伝わってくる。

手が温かい人は心が冷たいと誰かから聞いたことがあったが、絶対嘘だと思った。
冷たくあしらわれることもあるが、根はとても優しい先輩だ。私は知っている。

先輩の表情を見たい気持ちもあるが、もう私は緊張と嬉しさと恥ずかしさで上を向くことができない…………

全身の血液が頭に上るような、のぼせてしまうような感覚に襲われる。

果林「かすみちゃん、寒かったんでしょ。もうこうすれば大丈夫よ。」

果林先輩が優しく話しかけてきて、さらに追い打ちを食らう。
もう、全てを果林先輩に預けてしまいたいような感覚だ。

果林「こっちよ。」

後少しで、ダンススクールに着くところで、左に曲がろうとしたが、正面に続く道へ手を引かれる。

マンションとマンションの間には人通りの少ない広場があり、下り階段が海の方へ伸びている。

かすみ「綺麗………」

海を挟んだ向こう側に見える東京のビル群の光と、その前方で輝く、ライトアップされたレインボーブリッジが織り成す、息を呑むような夜景が目の前に広がっていた。

果林先輩と横並びで東京湾に広がる夜景を眺めている。

果林「かすみちゃん。」

かすみ「ひゃいっ!!」(ビクッ)

突然名前を呼ばれておかしな返事が出てしまう。

果林先輩の顔を見上げる。
いつもと違って、優しく微笑んだ時の細長く見開いた目が美しい。

その間から覗く、青く澄んだ瞳が光に照らされてとてもきれいだ。つい、見惚れてしまう。

果林「さっきは変なこと聞いてごめんなさい。でも、なんかかすみちゃんと話していると、自然と心の中のリミッターが外れて、思ってること、感じたことそのまま口にしたくなるのよね。いつもと違ったあんな弱い姿、特別な人にしか見せられないわ。恥ずかしくて…………………」

果林「それが私の答えよ……………」

かすみ「えと……………えぇ……………」(アワアワ)

何か言わないといけないのに言葉詰まって出て来ない。

ただ、特別な人という言葉が頭の中で無限に反響していた。

果林「かすみちゃんのいつも直向きに可愛いを追求して、真面目に頑張ってる姿勢だったり、同好会のみんなに優しくしてるところ、私はとても大好きよ。でも、たまに無茶したり、頑張り過ぎて空回りしてるところ見ると放っておけなくて守りたくなるのよね。そして、さっきは励ましてくれて嬉しかったわ。勇気を振り絞ってくれているのが伝わってきたわ......ありがとう........」

果林先輩と繋いでいた手が離れたかと思うと、正面から思いっきり抱きしめられる。

かすみ「!!!!??!?!?!??」

肩から腕にかけて果林先輩の手の感触が伝わってきて、身体を抱え込まれる。

果林先輩の髪の毛が私の顔にかかり、ふんわりと落ち着くような優しいシャンプーの香りが漂って来るが、今の私にとっては逆効果だ。

(ギュゥゥ………)

だいぶ強いハグだ。今度は身体の正面から果林さんの温もりを感じる。

果林先輩の愛を受け取った私も先輩に抱きつく。

もう、心の中のモヤモヤや迷いは消えていた。

かすみ「私だってこんな果林先輩のことが大好きなんですからね………」

果林「ありがとう!かすみちゃん……」

果林先輩が私の後ろ髪を優しく撫でる。
サラサラと私の髪が流れて行く。

・・・・・・・・・

身体が離れると綺麗な夜景に照らされた笑顔の果林先輩が目の前に立っていた。

もし、走馬灯を見るならこの景色を一番最後に流して欲しい。

とてつもない幸福感と満足感で身体が浮いているような感覚を覚えたが、時は残酷で今日はもうお別れだ。

果林「今日はありがとうね!かすみちゃんのおかげで練習頑張れそうよ!」

かすみ「こ、こちらこそありがとうございます!!」

結局身体がふわふわした感覚の私は何を言っていいか分からず、手を振って先輩と別れる。

・・・・・・・

階段を下り切った先輩は見えなくなった。

ただ周りの幹線道路を走り抜ける車の音を聞きながら、呆然と立ち尽くしている。

帰路へ着くこともなく動くこともできない私は、今日あったことを思い出そうとするが、脳裏に焼き付いた、『特別な人』、『大好き』といった言葉が思い出すことを妨害してくる。

何とか、先輩の手の温もりが残った指で、最寄りのバス停をスマホで調べると、スキップしそうな勢いでバス停まで一直線に向かった。

五分遅れできたバスに乗り込む。遠回りしたので、今日の帰り道は長くなりそうだ。

明日以降、先輩にどう話しかけようか、一緒に行きたいお店やプランをバスに揺られて考ているうちに、私は本日2度目の居眠りに着いていた。

おわり