深夜,唐突に意識が世界と再接続を果たし,十六夜リコは目を覚ました。
理由は分かっていた。尿意を催したからだ。
おねしょしなくてよかったと思いながら、リコはそっと躰を起こす。最も彼女は14歳であり,おねしょをするには些か年齢が高い。してしまったら最後、ナシマホウ界にはいられなくなるだろう。
普段はベッドで寝るのだが、今日は布団を敷き、家族と川の字になって寝ていた。リコの右では朝日奈みらい,左ではモフルンとはーちゃん──花海ことはが眠っている。
月に一度,このような形で眠っている。ドクロクシーを筆頭とした闇の魔法つかいとの戦いが終結し、はーちゃんが花海ことはとして戻ってきてから始まったことである。
誰もその理由を口にはしなかったが、全員が「もう誰にもいなくなってほしくない」という気持ちを抱いていたが故にこのようなことが始まったのだろう。少なくともリコはそう思っている。
みんなを起こさないようにそっと布団を抜け出し、用を済ませてみらいとモフルンの間に潜り込む。布団はほのかに温かく,その温かさに導かれるままリコは眠りに就こうと試みた。
しかし、一度目覚めてしまったからか眠気はなかなかやってこない。仕方がないので体勢を変えると、みらいの顔が視界に入った。
改めて見ても,みらいの顔は整っていると思う。普段はあまり意識していないが,こうしてまじまじと見ると強く実感できる。
普段のみらいは14歳という年齢ゆえか、美人というよりも可愛らしいという言葉が似合う。しかしひとたびキュアミラクルに変身すると、その可愛さは美しさに変わる。まさに美少女というわけだ。
そんなことを思っているリコも客観的に見て美少女の部類に入るのだが,それでもみらいが少し羨ましい気もする。
見ていて飽きないので、しばらくみらいの顔を見つめていることにする。そのうちに眠気がやってくることを期待しての行動である。
すると,しばらくしてみらいがむにゃむにゃと呟いた。おそらく寝言だろうが、なんだか魔法の呪文のようにも思える。
どんな夢を見ているのかしらと気になっていると、やがて呪文がはっきりとした言葉に変わっていった。
「いいなー……はーちゃん……わたしもモフルンのりたいよ……」
ことはがモフルンに乗っている夢を見ているらしい。昔の夢でも見ているのだろうか。
しかし,どうやらそうではないようだった。
「りこぉ……みちにおちてるメロンパンたべちゃだめだよぉ……」
どんな夢よ。とツッコミたくなるのを辛うじて堪える。一体、夢の中の自分はなにをしているのだ。
「いいのぉ……? じゃあわたしも~」
どんな提案をしているんだ、夢の中の自分。
明らかに秩序立った夢ではない。みらいの中でははっきりとしたストーリーができあがっているのかもしれないけれど。
もはや目は完全に覚め、みらいの寝言のほうが気になってしまった。しかしリコの期待に反してみらいの寝言は空気の抜けた風船のように萎んでいき、やがてきこえなくなった。
結局その後も寝付けず、気絶に近い眠りに落ちたのはそれから30分後だった。
ちなみに、起きてからみらいに夢のことをきいてみたところ、なんと覚えていたらしく、キラキラと目を輝かせながらこう言った。
「魔法で大きくなったモフルンにはーちゃんが乗っていて、わたしも乗ってもふもふしたいな~って思ってたら、空からイチゴメロンパンが沢山降ってきて、リコが道に落ちてたのを食べ始めたから一緒に食べ始めたんだ。でも……」
そこでみらいは顔を顰めた。
どうしたのとリコがきくと、みらいは喜ぶべきか悲しむべきか迷うような表情で、
「しばらくしたらでっかいイチゴメロンパンがどーんって降ってきて、みんな潰されちゃったの! それでくるしい~って思ってたら目が覚めたんだ」
と言った。
ストーリーもへったくれもない混沌とした夢だった。
「……楽しい夢だったのね」
「後半は少し悪夢寄りだったかも……」
「でもみらい、よだれ垂らしてたわよ?」
「えっ」
素っ頓狂な声を上げて、みらいがリコを見る。
「起きてたの?」
「たまたまね。幸せそうな寝顔だったわよ」
リコが言うと、みらいは「リコのばか~!」と真っ赤になって言いながらぽこぽこと叩いてきた。
その様子が可愛らしくて、リコは声を出して笑った。その笑いはみらいにも伝染し、やがてやってきたモフルンとことはにも伝染する。
笑い声に包まれるようなこんな日常がいつまでも続けばいいな──口には出さなかったけれど、リコはそう思った。
それと同時に、こんど夜中に起きたときはまたみらいの寝言をきいてみようとこっそりと思ったのだった。
* * *
──数年後
終わりなき混沌との戦いの末、魔法界とナシマホウ界は離ればなれになった。
しかしそれから数年後の十六夜の日に再び繋がり、それと同時にみらい、リコ、ことは、モフルンは奇跡の再会を果たした。
それからしばらく経過した、とある春の日のことである。
「……ふぅ、こんなところかしらね」
リコはそう呟いてタイピングの手を止め、文書を保存してから端末の電源を落とす。
画面が黒くなったのを見てから蓋を閉じ、立ち上がって凝り固まった躰を解す。端末の横に置いてある時計を見ると、既に深夜といってもいい時間だった。
みらいやモフルン、ことはと再会したあと、ナシマホウ界にいる間はこちらの世界のことを勉強するようになった。大学生として勉学に勤しむ傍ら、家業の手伝いで海外に行くことも多いみらいの影響が大きいが、リコは魔法界でナシマホウ界のことを教えているため、必然的に勉強する必要が出てくる。なのでみらいの端末を借りてこうして勉強しているというわけである。
最初はおぼつかなかった端末の操作にも次第に慣れてきた。勉強は大変だが、知らないことを知るのはいい刺激になる。なので特に苦手意識は持っていなかった。
そろそろ寝ようと思い、みらいの部屋に向かう。今日はことはも来ているので、4人で寝る約束をしていた。
そっとドアを開けると、既に眠りに就いている3人の姿が目に入った。モフルンがことはとみらいに挟まれている形となっていたので、リコは右端──みらいの隣に潜り込み、目を閉じた。
そのまま意識が沈みこんでいくのを期待したが、眠気はやってこない。寝る前に端末を使用していたため、気が昂っているのだろう。
10分ほど目を閉じたが、どうやっても眠れないので目を開け、躰を横に向ける。そこにはみらいの寝顔があった。
見慣れた表情はリコが覚えているものより美しく、思わず見蕩れてしまうほどだった。これじゃあ眠れないじゃないと呟きながらも、リコはみらいの寝顔を独り占めする。
と、夢でも見ているのか、みらいがむにゃむにゃと呟いた。魔法の呪文のような寝言で、前にもこんなことあったなと思う。
あの時は混沌とした夢だった。今度もそうなのかしらと思っていたら、みらいがぎゅっと顔を歪め、涙を流しながら苦しそうに呟いた。
「で……リコ、いかないで……」
普段のみらいからは想像もつかない様子に、リコは胸が締め付けられるような感覚を覚える。
魔法界とナシマホウ界が分断されて、十六夜の日が来る度、今回もダメだったと落ち込んだ。それでも諦めずにふたつの世界を繋ごうとして、漸く成功したときには涙が溢れて止まらなかった。
だけど、自分には魔法界の友達や先生がいた。彼ら彼女らはリコに協力してくれたし、そのおかげで挫けることなく成長していくことができた。
だが、みらいはずっとひとりだった。リコやことはのことを誰も覚えていない世界で、唯一の頼みの綱だったモフルンもただのぬいぐるみに戻ってしまって、完全に魔法界との繋がりを絶たれてしまった。
リコも苦しかった。だけどみらいはそれ以上に苦しかったのだ。
それを思うとやりきれなくなって、みらいの躰を抱きしめる。温もりが伝わってきて、朝比奈みらいという人間がここにいることを認識する。
それでもみらいは悪夢に囚われたままで、表情が和らぐ様子はない。
魔法を使おうにも、杖は手元にない。そもそも悪夢を晴らす魔法なんて、常軌を逸脱した魔法を扱えることはくらいでないと扱えない。
だけど、みらいを暗い闇の底でひとりぼっちにさせておけなかった。
だから、少し考えたあと、リコは自分にできる魔法をかけた。
「……キュアップ・ラパパ」
魔法の言葉を呟いて、みらいの顔に自らの顔を近づける。
そして──
翌朝。
いつもより少し遅く起きてきたみらいに、リコは夢のことを訊ねた。
「そういえば最初、悪い夢を見た気がする。とても冷たくて、悲しい夢……」
そう言ってから、でもね、とみらいは微笑んだ。
「そのあと見た夢は幸せな夢だったよ。わたしとリコとモフルンとはーちゃんが、みんなでお散歩してる夢。とってもいい天気で、お日様がポカポカで、お散歩したあとに野原でお昼寝するの。すごく楽しい夢だったよ」
それをきいたリコはよかったと胸を撫で下ろす。
その姿を見て、みらいは目を細め「ありがとう」と言った。
「えっ?」
「悪い夢が楽しい夢に変わったのは、リコが魔法をかけてくれたからなんだよね。キュアップ・ラパパってきこえた気がしたから……」
「お、覚えてるの?」
「なんとなくだけどね」
自分がかけた魔法のことを思い出して、リコは顔を赤くする。
いつの間にか、顔が近づく距離にみらいが立っていた。
ねえ、と呼びかける唇、まっすぐこちらを見つめる目、みらいから目が離せなくなって、リコは石になったように固まる。
「また、悪夢を見る日が来るかもしれない。だから、わたしからも魔法をかけていい?」
潤んだように揺れる瞳、上気した頬、少しばかり熱を帯びた吐息。
断ることなんて、しないしできなかった。
「……はい」
いつだったか、みらいの寝言をきいたときはみらいが顔を赤くしていた。
だけどいまは、立場が逆転している。
あの時のみらいも、こんな気持ちだったのかしら──頭の隅で、そんなことを思った。
微かな返事をきいたみらいが、目を瞑る。
ふたりの距離がゼロ以下になって、暴れたように脈打つ鼓動が煩い。
みらいの顔を見れる訳もなくて、ずっと目を瞑っていた。
だからモフルンとことはが物陰からこっそりと見ていたのに気づかなくて、あとからそれを知ってふたりとも真っ赤になったのだけれど,それはまた別のお話。
次にみらいの寝言をきく日がいつになるのか、リコにはまだ分からない。
だけどその日が必ず訪れるであろうことだけは分かった。
だって、これからもずっと一緒に、ワクワクもんな日常を過ごしていくのだから──。