第四の晩 解離性同一性障害:魔術のサラダ

Last-modified: 2011-03-02 (水) 22:12:18

金色の上位なる蝶がひらひらと舞い、辺りを包み込んでゆく。
知らず知らずの内に、嵐で閉ざされた六軒島は魔法に満たされてゆくのであった。
篭城して、全員で固まると言いつつも、やはり不都合から彼らは部屋を分けていた。

いとこ部屋と、使用人室で、二つのグループを分けたのである。
これは、仕方の無い配慮であろう。やはり、四六時中、歳の離れた他人と居るのは気が滅入る。
だから先ほどのように、使用人は使用人同士で、いとこはいとこ同士でお互いを見張らせる事にした。

また、定期的に使用人室にいとこが確認を取りに行く。……何かあれば、すぐに、内線をかけれる準備もある。
あくまでも、問題は外部からの侵入者である……。ベアトリーチェ対策における連携は取り合わなければならない。
しかし、使用人が同じ部屋に居続ける事にはやはり大きな抵抗がある。いとこ部屋はそこまで大きくないのだ。

……この選択は妥協の代物であったゆえかもしれない。
だが、そうでもしないと篭城という極限状態に、いとこ達は耐え難い苦痛を覚えるのであった。

…使用人室に居た紗音は宙を見つめて笑みを浮かべていた。
……石碑の謎が解かれた時点で、ベアトリーチェは死んでしまった。
残るは紗音と嘉音であった。だが、彼らは内なる心で、ずっとある決闘を続けていた。

そもそもが、紗音、嘉音、ベアトリーチェは1987年になれば譲治のプロポーズにより紗音が勝ち残って終わったのだ。
その意味においては、朱志香とのおままごとである嘉音。そして内に秘めた戦人に愛するベアトリーチェを紗音が殺すのである。

彼女は精神を統合させることにより、家具として解き放たれる。だが、それは叶わなかった。
だから、1986年に戦人が帰ってくるという事実が変わらぬ限り。………何かの悲劇は起こった。
これを戦人の罪とするならばあまりに身勝手。……どこまでも、恋焦がれる盲目の暴走なのであった。

しかし、既にこの場に残るのは紗音、ベアトリーチェ、嘉音のいずれかでもない六軒島の亡霊である。
それでは、今の彼女はどのように思われていたのであろうか。……結論から言えば、彼女は紗音と思われていた。
…………だが、外見は紗音としての体裁を整えてはいるが、もはや、今の彼女は誰でもないのである。

紗音は朱志香にとっては、嘉音として、架空恋人として、おままごとに付き合ってくれる姉妹のような親友である。
恋に恋する年齢であり、孤島で暮らす故に同年齢とのロマンスを楽しめない朱志香にとっての悪く言えば異性の代用品。
そこに戦人がやってきた事、さらに朱志香の心を癒してしまった事で、嘉音の存在意義はなくなってしまった。

第一の晩が終わって客間に全員が移った時点で、紗音が姿を表さない、と一時的な騒ぎになった。
どこかに行ってしまったのだろうか、と譲治が真剣に探す。その姿を見て朱志香は必死さを見る。
そんなにも大事な人だったのか。そこまで必死になっているのか、と。

……譲治と朱志香にとって嘉音と紗音の認識の違いがあった。
譲治にとっては、婚約指輪を送り、彼女の為になら親族皆殺しをも辞さないほどの覚悟をさせる人物。
朱志香にとっては、辛い生活を生きていく中で、喜びと楽しみを与えてくれる親友。
…………比べるまでも無いのだ。どうしても、同性の親友と異性の恋人とでは扱いの差が出る。

…だから、朱志香は嘉音を殺した。おままごとに付き合ってくれてありがとう、助かったぜ……と。
もうそんなのはいいから、今は生き延びようぜと。紗音、本当にありがとうな。
ライブに来てくれて、友達として付き合ってくれて、本当に助かった。……でも、もうそれはいいんだ、と。

何気ない一言である。そして思いやりを朱志香なりに詰めた言葉でもあった。
…………しかし、この言葉は六軒島の亡霊が必死に育ててきた心の一つを殺した。頭を抉って、胸を貫いて。
この怜悧な刃を持ってして、嘉音は永久に眠る事となったのである。

さらに悲惨なのはベアトリーチェ。幼き日に戦人と築き上げた黄金の魔女。
……彼女は、存在を覚えられてすらいなかったのだ。だけれども、もうベアトリーチェは死んでしまった。
後はハラワタを裂かれて、心臓を握りつぶされるだけの、愚かなまでに滑稽な存在。幼き日の恋心。

もはや、彼女には辛うじて紗音しか残っていない。……しかも、今や戦人に殺されるのを待つばかりだ。
彼女自身に去来する物はなんであろうか。紗音は何も答えない。ただただ、虚空に眼を見張るだけである。

「………雨音が強まってきましたね。戸締りがちゃんと出来てるか見回りをする必要がありますね。」
「確かにそうですな。……ベアトリーチェですか。彼女が本来の黄金の魔女で居てくれればどれだけ良かったやら。」
「ほっほっほ。…ここを見回るには、年寄りにはちょっと辛いもんで。えぇ。」
「も、勿論、熊沢さんにも、紗音さんにも手伝ってもらいますよ。一緒に行動をするに越したことは無いのですから。」
「…私は外に出てゲストハウスの戸締り確認をします。…皆様は中を見て回ってください。」
「紗音さん、助かります。……しかし、外は恐ろしく危険。くれぐれもご用心を。」
「心配してくださってありがとうございます。それでは、皆様もお気をつけを。」
「紗音さん……。いえ、見回りを終えてすばやく帰ってきてくださいね。」
「ありがとうございます、……こんな私に本当に良くしてくださって。」
「そんな今生の別れみたいな言葉はやめて、せめてサバの絞り汁ジュースを飲みに帰りに戻ってくださいませ。」
「………………。ありがとうございます、……本当に、ありがとうございます。」
「い、言い出したからにはちゃんと外の見回りをやってもらいますよっ?! し、紗音さんが言い出したのですからっ!!」
「……はい、分かっています。それでは、いとこの皆さんにもよろしくお伝えください。」

「え、ゲストハウスの戸締り確認をする? 分かりました。僕たちも手伝うと他の人にも言っておいてください。」
「……そっか、確かに雨音が強くなってきたもんな。雨漏りでもしたら大変だぜ。」
「きっひひひひひひひひ。それに窓の一つでも開いてたらそこから魔女が霧のようにそっと入ってきてしまう。」
「…だから、それ、やめろってば。ま、ちゃんと閉めてるかどうか怪しいもんだよな、再チェックは必要か。」
「丁寧にじっくりと、そしていてちゃんと窓や雨戸を確かめないとな。…あぁ、それにはバラけた方が効率的だぜ。」
「……私はお兄ちゃんに、ずっと付いて行ってもいいかな? 一緒に居ないと心配で怖いの。」
「いや、お兄ちゃんも窓のチェックで色々動き回らないといけないんだ。真里亞と一緒にいとこ部屋に居たらいい。」
「…いいえ、どうしても私はお兄ちゃんと一緒に居たいの。だって、お兄ちゃんったら抜け出しちゃうかもしれないじゃない。」
「いっひっひ。そんな馬鹿な話はないんだよ、縁寿。台風のせいでこんな雨音が強い中に飛び出す必要はないんだよ。」
「だから、私はお兄ちゃんについていくよ。どうしたって、何があったって、着いていく。」
「聞き分けがない子だね、お兄ちゃんの言う事をお聞き、縁寿。真里亜と一緒に居た方が縁寿にとって幸せなんだ。」
「その幸せって何? 悪いけれど、私の幸せをお兄ちゃんに決める権利はないよ。私はお兄ちゃんと一緒に居たいの。」
「……おいおい、縁寿。ちょっと流石にさっきから変だぜ。あんまり兄ちゃんを困らせてやるなよな。」
「うん。どうしても、戦人くんは必要だ。……申し訳ないけれど、ここで真里亜ちゃんと待ってもらえないかい?」
「うーうー。真里亜は賛成。縁寿と一緒に魔女のお話をする。」
「…………そう言う事だ。悪いな、縁寿。今は一緒にお前と居てやれないんだ。」
「そう、ていの良い集団圧力ね。私が居れば次の事件は成り立たないから、お兄ちゃんは私を排除するのね。」
「おいおいおいおいおい、さっきから黙って聞いてりゃ流石に失礼だぜ。……ナーバスになるのは分かるけどよ。」
「そうだね……。やっぱり、6歳児の縁寿ちゃんは僕らで支えてあげないとね。可哀想に。」
「ごめんな、縁寿。一緒に居られねぇんだわ。お前はまだ6歳児で疲れも溜まってるだろう。真里亜と話をしておけば良い。」
「…………………………。なるほど、分かったわ。うん、……それじゃ、せめて朗報を待ってるの。」
「あぁ、お前の為に、最高で、ハッピーな、吉報をお届けしてやるぜ。ひっひっひ。」

…ゲストハウスの戸締りを確認するために真里亜と縁寿を除く人間が色々とやっていた。
本来ならば、使用人だけが行うはずなのだが、いとこ達も自発的に行っていたのだ。
これは信頼関係を築き上げる上では大きいことである。協力姿勢を見せる事は重要だ。
しかし、基本的にはバラけて動いていたために、誰がどこに居るのか、何をしているのか分からなかった。
それは大きな問題となって後々に生じてくる。譲治は窓際ですれ違う時に熊沢から聞いた言葉が引っかかった。

「ほっほっほ。紗音さんは勇敢にも外で見回りをしてらっしゃいますよ。」
「……え、紗音ちゃんがっ?! 一人でって、いつくらいから出ているんですか!」
「さ、さあ、結構な時間は経っていますが、そもそもがゲストハウスを外から見回るには時間がかかりますので。」
「……そ、そう。心配だなぁ、どうにかなってくれればいいんだけど。うん、ありがとう。…もう少し待ってみるよ。」
譲治の心配をよそに雨は降りしきる。この雨の中での作業はかなり辛い物になるであろう。
だからただ待つことしかできなかった。黄金の蝶がフワリと抜け出そうと、それは誰にも気付かなかった。

ポツンと部屋に取り残された縁寿と真里亜は待っているだけというのも退屈なので話を始めていた。
それは魔法に対する考察や、マリアージュ・ソルシエールの事。
…マリアージュ・ソルシエールとはベアトリーチェや、真里亜の同盟である。
縁寿も戦人が帰ってくるまでの間にこっそりと名を連ねていた。魔女の見習いとしてである。
この同盟の規約は厳しい。しかし、それを守らないと破門である。
ベアトリーチェがけして真里亜を傷つけないと確信しているのはこの為でもあった。

「相互不可侵、不干渉」。
所属の魔女は、互いの魔法とその創造物を尊重し合わなくてはならない。
本来は、とても好戦的で物騒な彼女らも、同盟の仲間には友人として接するのだ。
だから、ベアトリーチェは仲間であり、ベアトリーチェには無条件で味方をするのだ、と。
……ソルシエールの最初の始まりは、心の交流からであった。ベアトリーチェと真里亜の邂逅。
最初、ベアトリーチェの名を冠する者にとっては、真里亜の話は妄言だとも思われたであろう。
しかし、最後まで話を聞いて、理解して、そして納得をした。
理解はしても、納得はできないという事は人間社会では多々ある物だ。
だから、納得をするという事は、真里亜を認めて、そして受け入れたということであった。
…縁寿はまだ幼かった。魔法少女をありのまま認めてしまっても当然であっただろう。
だから、こうしてマリアージュ・ソルシエールは優しい魔法によって完成した。
どうせならば、登場人物は多ければ多いほど楽しいものだ。さくたろう等のぬいぐるみも増えていった。
うさぎの楽団、煉獄の七姉妹。……楽しい仲間、嬉しい出来事。
こうやって増えていった幼い日の思いではどんどんと膨れ上がっていった。
だから、これは縁寿にとっても忘れられない出来事であったし、忘れてはいけない事である。
だが、縁寿は破門されてしまった。……あまりにも魔法を信じないから。
そして、さくたろうとうさぎの人形も無慈悲な楼座に破壊されてしまった。
マリアージュ・ソルシエールには重大な危機が訪れてしまう。
……構成員が抜けてばらばらになってしまったソルシエールにはベアトリーチェが必要不可欠だ。
ベアトリーチェさえ居てくれれば、また仲間は増やせる。…魔法を構成するには二人は必要なのだ。
だから、大丈夫だ。ベアトリーチェは真里亜の仲間だ。きっと、守ってくれる。
そんな事をきっひひひひひひひと邪悪な笑いを混ぜつつも嬉々として語る真里亜に、縁寿は相槌だけは打つ。
盲目的には信じない、だけれども理解はする。それは縁寿のスタンスである。
真里亜はそういった微妙な表情に対しては聡い。やっぱり信じていなかった。と罵る。
……いや、最初は仲良くなる手段であった。だから、魔法を信じようとしたのだ。
魔法を信じることによって少しでもいとこ同士で仲良くなれるならそんなに素晴らしいことはないだろうと。
だが、根本的な所で縁寿は真里亜を信じてあげることが出来なかった。……何故なら魔法は存在しなかったからだ。
それはどこまで行ってもぬいぐるみであり、それはどこまで行ってもお人形。
そんな物を擬人化しても、美しい虹は出てこないし、燃え滾るような炎も出さない。
じゃあそれは魔法じゃなくて、単なるお人形遊びではないのかと。
人間社会を生きていくには当然の疑問であった。実際はそうなのである。どこまで行ってもおままごと。
ごっこ遊びをするならば、ごっこ遊びをしてると認識をしようと考えたのである。
自分達が魔女であると考えながら行う遊びは、やっぱりどこかおかしいんだと。
だから、縁寿は破門された。真里亜の優しい魔法がまだ幼い縁寿には分からなかったのである。
……だが、今、ここに縁寿がいること自体が奇跡であると今の縁寿には理解できる。
だから、縁寿は魔法を信じるのではなくて、真里亜を信じることにしたのだ。
縁寿は真里亜を根本的な所で信じた。もしかしたらうっかり犯罪の片棒を担った世界もあるかもしれない。
だけれども、けしてそこには悪意はなかった。騙す方が悪いのである。……この少女は被害者なのだ。
そういった表情が真里亜にも伝わった。……だから、もう真里亜は咎めなかった。
そもそもが「相互不可侵、不干渉」が大きなテーマなのである。
根本で信じあっていれば、考え方の違いこそあれど、それはもう仲間なのであった。

…やっとゲストハウスの点検が終わり、いとこ達は部屋へと戻っていた。
だが、戦人は少し遅れてやってきた。息を切らして、肩の辺りも少し濡れていた。

「……あぁ、ちょっと悪くなってる窓があってな。一旦、ベランダに出る羽目になっちまったんだ。」
「へぇ、そりゃ災難だったぜ。てめぇの日ごろの行いが悪いからそういう事になるんだよ。」
「うーうー。戦人に天罰がくだった。あんまりにも人の心を蔑ろにした。」
「そうかもな、ひっひっひ。そりゃまぁ、そういう事もあるだろうさ。」
「…………戦人くん。外に出たときに、紗音ちゃんの事を見なかったかい?」
「ん、あぁ。どうも、雨がジャジャ降りで見えなかったぜ。どうかしたのか、紗音ちゃんは。」
「…外に出て随分と時間が経ったのに、姿が見えないんだよ。ゲストハウスを外から見回りしてたらしいんだけど。」
「おいおい正気かよ。……外には連続殺人犯がうろついてるかもしれねぇのに。」
「うーうー。きっと大丈夫。」
「それならば良いんだけれど……。やっぱり、心配だ。一回、内線で使用人部屋に連絡をしてみよう。」
「もしもし、えっ。……はい、帰ってきてないですね。」
「……流石に帰ってこなければおかしい時間帯ですな。いくら、雨で難航してるとは言え。」
「さ、探しに行かれると、譲治さんが仰られたのですか?!」
「じょ、冗談でございますよね………。えっ、本当に、本気ですか!」

「…………僕は、一人ででも行くよ。止めないでくれるかい?」
「あぁ、止めないぜ、譲治の兄貴。俺たちも……今度も、縁寿たちも含めた全員で行くぜ。」
「ったく、洒落ならねぇよな。どうなってんだ、本当。」
「……お兄ちゃん、信じてたら何も起こらないんだよね? これで聞くのは最後にする。」
「絶対に大丈夫だ。信じろ、俺を信じれば良いんだ。………縁寿。」
「そう、分かった。本当に、最後の最後。信じてみるね。」
「…………そう、これが駄目だったら、私はもうあなたを裏切って黒猫に頼る事にする。
ね、聞こえているでしょ? ベルンカステル。私に、真実に至る道を…!」
「えぇ。………あなたを『私なりの真実』へと導いてあげる。忘れたの、縁寿? 
………だって、私はあなたの後見人でしょう…?」