215-218わんこの海物語

Last-modified: 2009-01-29 (木) 14:04:43

215 :それも名無しだ:2008/07/22(火) 16:41:50 ID:o0v8EUs4
人気のない浜辺を二人は歩いた。
さくさく、暑い砂の感触をビーチサンダルの底で確かめながら、アイビスは隣を歩くフェルナンドの足元を見た。
フェルナンドは裸足だった。
焼け付くような暑さでとても素足では歩けないのに、フェルナンドは平然と砂を踏みしめている。
暑くないの?と言う言葉は愚問だった。
修羅だから、という理由がすべての答えだから。

 

「アイビスは泳がないのか?」

 

沈黙を破ったのはフェルナンドの方から。
アイビスは一旦顔を上げてフェルナンドを見たが、すぐに視線を海に移す。

 

「……泳ぎたくない」
「何故だ?」
「だって……だって、水着着なくちゃいけないもん」
「海に来るならば水着は必要だ、とショウコが言っていたぞ。なのに水着を着るのが厭なのか?」

 

アイビスは、ぐるん、と首を回して、噛み付くようにフェルナンドを睨んだ。

 

「当たり前でしょ!あたしが水着着たら絶対あの二人と―――」
「あの二人と?」

 

きょとんとした顔。
心底不思議そうな目でこちらを見ている。

上昇した血が一気に引いていく。

 

「…………何でもない」

 

フェルナンドに食って掛かるのはお門違いだ。
アイビスは俯いた。
まさか自分の体型の問題であるとは、流石にフェルナンドには言えやしない。
あの二人(内ショウコは年下なのに発育が大変よろしい)に挟まれでもしたら、惨め過ぎて目も当てられないのだ。

 

それに。

 

それにフェルナンドだって、大きいほうが好き、なんだろうなあ。
アイビスはちらりと隣の男を見る。
フェルナンドはやっぱり不思議そうにアイビスを見ていた。

 

「お前は、水着姿を見られるのが厭なのか?」
「……まあ、そんなとこ」
「そんなに変な水着なのか?」

 

がくっ。
思わずずっこけそうになった。

 

「何でそうなるのよ」
「見られたくないということはそういうことだ。……いや、違うな。見られたくない傷でもある、とか。
 たとえば胸に空いた七つの穴が……」
「そんなのないない」
「ならば何で見られるのが厭なんだ?」

 

だから、自分の……小さい胸を、大きい胸の人と比較されんのが、厭なんだって。

とは、もちろん口に出して言えるわけもなく、アイビスは口ごもる。
フェルナンドはそんなアイビスをじっと見つめる。
そして、小さく肩を竦めた。

 

「アイビスは海が嫌いか?」
「嫌いじゃない。むしろ好きだよ」
「泳ぐのは嫌いか?」
「嫌いじゃない。だって泳ぐの得意だもん。訓練の一貫でよくプールに足運んだし」
「海が好きで、泳ぐのも得意で、水着がおかしくなければ、見られたくない傷跡があるわけでもない。
 そしたら何の問題もないだろ?何が厭なんだ?」
「…………フェルナンドは、ツグミとショウコちゃんを見て、どう思った?」

 

質問に質問で返され、フェルナンドは眉を顰めた。

 

「ツグミとショウコをか?」
「うん」
「別に。いつもと同じだぞ?何が違うんだ?」
「ほ、ほらっ、水着、着てたでしょ?何か、思うところないの?」
「……………………………ない」

 

考えて考えて考えて。
うーん、と唸りながら腕を組んで考えたものの、結局フェルナンドには何も思いつかなかった。
ツグミもショウコもいつもと同じ。これといっておかしな点はない。
おかしいのはアイビスの方だ。

 

「水着、可愛いなあとか、思わないの」
「水着が可愛い?……俺にはよくわからん」
「ほら、足長いとか、腰がきゅっと細いとか、む、胸がおっきい、とか……」
「?そんなところを何故いちいち見なくてはいけないんだ?」
「い、いや、いちいち見なくていいけど。でもほら、女の子のあの格好に何かぐっとくるものはないの?」
「ぐっとくる?……どういうことなのだそれは?俺にはわからんぞ」

 

どうも、話が噛み合わない。
おかしい。
フェルナンドの反応は、アイビスが想像している男の反応と違う。

……修羅だから?

アイビスは先ほど自分が考えたことを思い出す。

この炎天下で焼けた砂の上を平気で歩けるのも、可愛い女の子たちの水着にまったく反応を示さないのも。
まったく違うこの疑問の答えは、たったひとつ。

修羅だから。

この一言で全てが解決する。

自分たちとは違う世界で生きてきた人。

 

「……まさか、本当に?」
「何がだ?」
「あ、ううん、何でもない」

 

不意に、自分の中にあった妙な意地が萎んでいくのを感じた。
つい先ほどまで厭だ厭だと思っていたことが、すっとどこかに消し飛んでしまったのだ。

 

「フェルナンド」
「何だ?」
「泳ごう!」
「は?」
「水着持ってきてるんだ。着替えてくるから、一緒に泳ごう。競争しよう!」
「お前今、水着を着たくないと言ったばかりじゃないのか?」
「言った。でも、気が変わった」
「???」
「フェルナンドのおかげで気が変わったの!」
「俺?」
「そうだよ。ありがとう」
「……さっぱり意味がわからん」
「わかんなくてもいいよ。さ、着替えてくるから待ってて!」

 

アイビスは駆け出す。
パラソルの下に置いてある自分の荷物の下へ。
それを持って更衣室に駆け込んで、水着に着替えたら、フェルナンドの手を取って海へ。
たくさん泳ごう。
たくさん遊ぼう。

無駄にしてしまった時間。
取り戻すなら早く。

 

風のように現れて着替えのバックを引っつかんでまた風のように去ったアイビスを見送ったイルイは、
遅れてやってきたフェルナンドの不思議そうな顔をかち合った。

 

「アイビス、泳ぐ気になったんだね」
「ああ、だがまったく訳がわからん。あれだけ嫌がっていたのに、突然泳ぐと言い出して……」
「きっとフェルナンドのおかげだよ」
「アイビスにも同じことを言われた。だが別に俺は何もしてないぞ」
「そうだね、何もしてないってことが、却って良かったんじゃないかな?」
「イルイまでよくわからんことを言うな」
「へへへ」

 

―――フェルナンド!泳ごう!

 

遠くから、元気なアイビスの声。
フェルナンドとイルイは同時にその声のする方を見た。

 

そして。

 

「……」

 

顔を真っ赤にして硬直してしまったフェルナンドに、イルイは苦笑するのだった。