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概要
[添付]
"Honneur, Patrie, Valeur, Discipline" ("名誉、祖国、勇気、規律")。
現在は一部課金艦艇のみ実装されている
通常艦
未実装
駆逐艦 | 巡洋艦 | 戦艦 | 航空母艦 | 編集 |
プレミアム艦艇
駆逐艦 | 巡洋艦 | 戦艦 | 航空母艦 | 編集 |
傾向と特徴
史実
フランス海軍は王室との伝統的な結びつきによりLa Royale ("the Royal")として親しまれてきたがイギリス海軍に代表されるヨーロッパ諸国の海軍のように王室に関わる称号を戴くことはなかった。モットーは "Honneur, Patrie, Valeur, Discipline" ("名誉、祖国、勇気、規律")。これらの言葉は海軍のどの艦船のデッキにも刻まれている。
第二次世界大戦開戦当初、フランス海軍は連合国側として枢軸国相手に参戦し、ノルウェーの戦いでは軽巡洋艦「エミール・ベルタン」を旗艦とする大型駆逐艦6隻、汎用駆逐艦5隻、補助巡洋艦6隻、潜水艦13隻を投入してナルヴィク上陸を支援した。しかし、ドイツ陸軍の侵攻速度が連合国軍の予想を上回り、上陸作戦を中止し、連合軍を北フランスから撤退させる作戦などに参加しフランス海軍は駆逐艦以下小型艦30隻と舟艇20隻を持ってフランス軍よりも先に撤退を開始するイギリス軍を送り届ける活動を行った。
一方、イギリスのポーツマスとプリマスにあった弩級戦艦クールベ級「クールベ」「パリ」にサフィール級潜水艦「リュビ」など7隻と駆逐艦10隻、舟艇約200隻があったが、これら艦艇は7月3日にイギリス海軍により武装解除され、乗員は陸上に隔離された。物資輸送の途中、マルティニークにあった航空母艦「ベアルン」と軽巡洋艦2隻は現地で抑留された。一方、アレキサンドリアのフランス艦隊は主砲を向ける英国艦隊の前で水兵達が戦争で汚れた甲板磨きを行うパフォーマンスで場を和ませ、英仏艦隊司令長官同士の話合いにより平和裏に武装解除が行われた。
これらの海外に展開していたフランス海軍は武装解除を受けたが、後に自由フランスを旗揚げしたシャルル・ド・ゴールの指揮下に入り、6月28日にミュズリエ提督の下、「自由フランス海軍(FFNF)」として再編成された。戦艦「クールベ」には軍港の防空を担うために自由フランス海軍の人員が配置され、宿泊艦兼練習艦となった。その中でいち早く活動を開始したのは駆逐艦以下の小艦艇で、船団護衛や沿岸哨戒任務や枢軸軍への通商破壊任務を行った。小艦艇の数に不足していたイギリス海軍にとっては後方を任せられる戦力が増えるのは歓迎すべき事であった。
連合国として本格参戦後はフランス本国のドイツ要塞陣地やヴィシー・フランス側に付いた植民地への攻撃を行った。その中で最大の活動は9月に行われたダカール攻略作戦で、ヴィシー政権側に付いていたダカール艦隊を無力化すべく、主力はアンドルー・カニンガム提督率いるイギリス海軍で、自由フランス海軍は植民地通報艦「ブーゲンヴィル級」3隻と武装トロール船数隻が参加した。一方、ヴィシー・フランス海軍側には未完成戦艦「リシュリュー」の他、軽巡洋艦3隻、汎用駆逐艦3隻、通報艦6隻、潜水艦3隻が戦力として存在していた。両者が激しく戦いあったが決着が付かず、上陸作戦は中止されイギリス海軍の戦略的撤退となった。この戦いでヴィシー・フランス海軍のイギリスへの不信感は最悪のものとなった。一方、自由フランス海軍はこの戦いでヴィシー側を勢い付かせないために11月には仏領ガボンを攻略。現地のヴィシー・フランス海軍の通報艦1隻を自由フランス海軍側の同型艦が沈めた。1941年春にはイギリスの支援を受けて仏領ソマリア解放作戦が実施され、自由フランス海軍の通報艦2隻が輸送船団を護衛した後、ジブチに進出して海上封鎖を行った。この折に仏領マダガスカルから出撃した潜水艦からの攻撃を受けたが双方に被害は出なかった。この時の潜水艦は1942年5月にイギリス軍がマダガスカルを攻略した時に、補助巡洋艦1隻と通報艦1隻と共に潜水艦3隻が撃沈された。
参考:フランス海軍 - Wikipedia
余談
PC版では戦艦が実装されているが、四連装を前後に一基づつ配置する。これは防御上の有利さのためである。
情報提供
感想
- 通常艦ツリーお願いします -- 2019-05-06 (月) 00:06:38