ドイツ RankXI 軽戦車 Schützenpanzer PUMA /
プーマ装甲歩兵戦闘車
概要
Update 1.18“”にて実装されたマルダー IFV?の後継として開発されたドイツの最新鋭歩兵戦闘車。
車両情報(v1.18.2.57)
車両性能
| 項目 | 数値 |
|---|---|
| 砲塔旋回速度(°/s) | 31.5⇒45.0 |
| 俯角/仰角(°) | -10/45 |
| リロード速度(秒) (初期⇒スキルMAX) | 0.3⇒0.2 |
| スタビライザー/維持速度(km/h) | 二軸 / 75 |
| 車体装甲厚 (前/側/後)(mm) | 32 / 15 / 11 |
| 砲塔装甲厚 (前/側/後)(mm) | 25 / 15 / 15 |
| 重量(t) | 43.0 |
| エンジン出力(hp) | 1,088 |
| 3,80rpm | |
| 最高速度(km/h) | 78/-33 |
| 視界(%) | 86 |
| 乗員数(人) | 3 |
武装
| 名称 | 搭載数 | 弾薬数 | |
|---|---|---|---|
| 主砲 | 30 mm MK 30-2/ABM cannon | 1 | 400 |
| 機銃 | 5.56 mm MG4 machine gun | 1 | 2000 |
弾薬*1
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#include(): No such page: 30 mm MK 30-2/ABM cannon装甲*2
| 分類 | 場所 | 位置 | 対運動弾 | 対化学弾 |
|---|---|---|---|---|
| 複合装甲 | 車体 | 正面左側 | 70mm | 450mm |
| 正面下部 | 100mm | 450mm | ||
| 複合スクリーン | 側面 | 100mm | 620mm | |
| 爆発反応装甲 | 5mm | 500mm | ||
| スラットアーマー | 砲塔 | 側面 | - | 410mm |
搭乗員機能*3
| 砲手代行 | 装填手代行 | 操縦手代行 | |
|---|---|---|---|
| 車長 | ◯ | ✕ | ✕ |
迷彩
研究ツリー
解説
特徴
【火力】
- 【弾薬性能】
- PMC287(APFSDS)
- MK266(HEI-T)
- Default(APDS)
- 【砲駆動機構】
変更なし。 - 【装填速度】
速度は変わらないが、即応弾が1発増えているため継戦能力が少し向上している。
【防御】
変化なし。車体下部に20mmの履帯装甲が設置されたため、機関砲への耐性が僅かに向上した。
- 【携行弾数】
携行弾数は同じ22発で、割合はAPFSDS20発・HESH2発。ちなみに、弾薬ラックの配置が変わっている。[添付]配置弾薬 満載 1 2 3 4 5 6 7 弾薬 54発 46発(-8) 38発(-16) 30発(-24) 22発(-32) 14発(-40) 6発(-48) 1発(-53) - 【防護装置】
変化なし。
【機動性】
諸々の搭載により1.2t増加したが誤差の範囲。
史実
イギリス国防省は1970年代後期に、イギリス陸軍の当時の主力MBTであったチーフテン戦車の後継車両を「MBT-80」(80年代型主力戦車)の呼称で開発することを計画し、1977年10月12日にGSR3572(施行3572)としてMBT-80の開発要求を出し、これは同年12月1日に承認された。
そして1978年12月1日付で、サリー州チョーバムに置かれたMVEE(軍用車両工学技術施設)の要求仕様762により、MBT-80の基本仕様が公布された。
そして1979年9月に、当時ダービーのロールズ・ロイス社で開発が進められていたCV12 V型12気筒液冷ターボチャージド・ディーゼル・エンジン(出力1,500hp)と、ハダースフィールドのDBE社(David Brown Engineering:デイヴィッド・ブラウン工業)製のTN37自動変速機(前進4段/後進3段)、そして油気圧式サスペンションの装備が通達され、開発はMVEEとレーザー工業の手で進められることも決定された。
主砲は、チーフテン戦車が装備する王立造兵廠製の55口径120mmライフル砲L11A5の改良型EXP-28M1(資料によってはM13Aとも)、もしくはRARDE(王立武装開発研究所)において新規開発される110mm滑腔砲のいずれかを搭載し、車体と砲塔の前面にはイギリスが西側で初めて実用化に成功した「チョーバム・アーマー」と呼ばれる複合装甲を導入するが、可能な限りアルミニウム装甲を多用して戦闘重量の軽減を図ることが求められ、戦闘重量の上限は60tとされた。
また展望式で、車長の操作により左右各90度の旋回半径を備える熱映像式照準機が砲塔上面右側に配され、砲塔内の右前方に配された砲手席の直上にも、展望式で安定装置付きのレーザー照準機が、それぞれグラスゴーのバー&ストラウド工業(現タレス光電子工学)により開発されることになった。
さらに詳細は不明だが、全天候下での使用が可能なFCS(射撃統制システム)も新たに開発されることとされた。
MBT-80は当初の計画では1983年10月に試作第1号車を完成させ、1985年までに試作車8両を揃え、1987年よりチーフテン戦車からの転換訓練を開始するというスケジュールが立てられた。
その第1段階として、1970年代末期に走行試験に供されるATR(試験リグ自動車)2両が製作発注された。
第1号車ATR-1はチーフテン戦車のコンポーネントを流用し、第2号車ATR-2はイラン向けのFV4030のコンポーネントを流用して、両車とも車台前面を圧延防弾鋼板、車台後面を圧延防弾アルミ板で構成していた。
ATR-2は1979年6月に完成しているので、ATR-1は同年春頃には完成したのであろう。
ちなみにFV4030は、イラン向けに開発されたチーフテン戦車の一連の改良型に与えられた開発番号で、1970年代初めにイランから発注されたチーフテン戦車の小改良型がFV4030/1、続いて1974年初めにイランが、チーフテン戦車により大規模な改良を施した新型MBTとして発注した「シール・イラン」(Shir Iran:イランの獅子)戦車の内、シール1戦車にFV4030/2、シール2戦車にFV4030/3の開発番号が与えられた。
ATR-2のベース車体がこの3つの内どれなのかははっきりしないが、車体前面の形状やサスペンションの特徴などからFV4030/3ではないかと推測される。
またこの2両のATRに搭載するために、形状は全く異なるがチーフテン戦車と同様に、前部が防弾鋼の鋳造製、その後方が圧延防弾鋼板製の砲塔2基が製作され、ATR-1の砲塔には120mmライフル砲が装備されたが、ATR-2の砲塔には110mm滑腔砲の試作品が装備されたものと思われる。
ATR-2の車体はFV4030に準じていたものの、砲塔の形状はチーフテンともFV4030とも似ても似つかない背の高い不格好なスタイルにまとめられ、その完成度はお世辞にも高いとはいい難かった。
120mmライフル砲が分離薬莢式の砲弾を採用していたのに対し、新開発の110mm滑腔砲は通常の薬莢一体式の砲弾を採用していた。
これは、より口径の小さい一体式砲弾を用いることで砲塔内の弾薬収納スペースを節約しようというもので、それにより砲塔の高さを減じ、車長と装填手の作業スペースを増やす狙いがあった。
しかしMVEEから提出されたMBT-80の報告書には、110mm滑腔砲に対して「こんな砲は好きになれない」という記述があったという。
このように計画が進められたMBT-80ではあったが、本格的な開発に着手した1978年の時点でその開発費は1億2,700万ポンドを超えると試算されており、この高額な開発費が問題視されていた。
そんな折、1978年9月にイランでイスラム革命が勃発し、翌79年1月にモハンマド・レザー・パフラヴィー国王はアメリカに亡命し、4月1日にイラン王国は「イラン・イスラム共和国」と国名を変え、その前月の3月にはイギリス政府に対してシール・イラン戦車購入のキャンセルを通告した。
すでに前払いで購入代金は支払われていたので、イギリス政府は何も困ることは無かったが、シール1戦車とシール2戦車合わせて1,500両近くの戦車生産の仕事が失われたことは、王立造兵廠のリーズ工場とノッティンガム工場の合計2,009名の従業員と、その他関連企業の約8,000名の従業員の雇用にとって深刻な問題であった。
そこでイギリス政府は、シール・イラン戦車の海外への売り込みを図った。
そしてシール1戦車については、「ハリド」(Khalid:剣)の呼称でヨルダンが購入することになり、しかもイラン向けに当初発注されていた125両に加えて、149両が追加発注されるというおまけまで付いた。
一方シール2戦車(FV4030/3)については、イギリス国防省は1979年9月5日付でGSR3574を交付して、FV4030/3をイギリス陸軍の次期MBTとして採用することを決定した。
FV4030/3は細部は異なるもののMBT-80と基本仕様が似通っており、MBT-80に比べるとやや性能的には劣っていたものの、次期MBTとして採用するのに大きな問題は無かった。
しかも、すでに購入代金を前払いでイランから入手していたため、完成までに高額な開発費を必要とするMBT-80の開発をこのまま続けるよりも、FV4030/3をベースに多少手直しをした方がコスト面では圧倒的に得であり、また王立造兵廠やその他関連企業の雇用も確保できて一石二鳥であった。
こうしてMBT-80計画は、ATRの製作のみでキャンセルされることとなったのである。
先のGSR3574に続いて1980年7月半ば、国防省はFV4030/3に一部変更を加えたものをFV4030/4「チャレンジャー」(Challenger:挑戦者)としてイギリス陸軍の次期MBTとして制式採用し、243両を調達すると表明した。
そして1980年10月に試作車4両を発注し、その期日は明らかではないがさらに3両が追加された。
この7両の試作車には06SP36、06SP38~06SP43の車両登録番号が与えられ、1982年に全車が完成してMVEEとボーヴィントンのATDU(機甲試験・開発ユニット)により試験に供された。
またシール2戦車に導入され、当初は様々な問題が報告されたTN37自動変速・操向機だが、その後改良が進められ、試作車の製作を担当した王立造兵廠は1981年末に、試作車による走行距離は合わせて170,000kmを記録したと公表している。
また1981年末には試作車1両を用いて戦場を想定した試験場において、36時間の継続試験が「チャレンジャー・トロフィー演習」の呼称で実施されている。
さらに1983年と85年には、サウジアラビアとエジプトにチャレンジャー戦車の試作車を持ち込んで公開試験が実施されたが、結局この売り込みは実ること無く終わっている。
このような紆余曲折を経ながらも、チャレンジャー戦車は1983年2月1日に最初の生産型(第2号車、車両登録番号:33KA92)が王立造兵廠のリーズ工場からロールアウトし、その8日後には第1号車(車両登録番号:33KA91)が続いたが、最初に完成した4両は先行生産型として分類されている。
そして同年3月16日に、リーズ工場においてイギリス陸軍への引き渡しセレモニーが実施された。
また試作車7両の内6両は、9KC35~9KC40に車両登録番号を改めて訓練に供されているが、残る1両(06SP41)はイギリス陸軍による試験終了後に参考用としてアメリカに送られて、アメリカ陸軍による試験に供された。
その後、この車両はケンタッキー州ルイビルのフォート・ノックスにあったパットン騎兵・機甲博物館に長らく展示されていたが、2011年頃にジョージア州コロンバスのフォート・ベニングに設けられた国立機甲・騎兵博物館に移され、現在は同博物館の展示品として余生を送っている。
2番目の生産型であるチャレンジャーMk.2は、生産時より砲塔右前部にTOGSを装備したことでこの部分の形状が大きく変化したのに加え、砲塔前面左側に支柱と金網を組み合わせた雑具ラックが新設されているのが特徴である。
ただし、完成後にMk.1も順次このTOGSとラックの装備改修を実施して呼称をMk.2と改めているので、改修後のスタイルも両型で同一となり、その識別は車両登録番号を確認する必要がある。
Mk.2は1985年1月~1986年1月にかけて第3生産ロットとして100両(35KA00~35KA99)が完成し、さらに1986年11月までに第4生産ロット55両(36KA00~36KA54)が完成した(合計155両)。
そして第4生産ロットと第5生産ロットの間に、試作車6両の車両登録番号を94KC35~94KC40に改める形で配している。
小ネタ
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外部リンク
●DMM公式
チーフテン Mk.10:戦争用の盛装
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