三条の方

Last-modified: 2010-02-09 (火) 11:21:45

生まれ

さんじょうのかた
本名は不明
1521年~1570年

どんな人?

武田信玄の継室

三条の方年表

1521年0歳左大臣・三条公頼の次女として、京都の三条邸で生まれる
1536年15歳今川家の仲介で武田信玄に嫁ぐ 
1538年17歳嫡男・武田義信を出産 
1541年20歳次男・武田信親?を出産するが、盲目だった  
1543年22歳三男・武田信之?を出産 
1543年22歳長女・黄梅院を出産 
1545年24歳次女・見性院を出産  
1553年31歳三男の武田信之?が死去  
1554年32歳黄梅院北条氏政に嫁ぐ  
1567年47歳息子の武田義信が死去  
1569年49歳娘の黄梅院([北条氏政]]の妻)が死去   
1570年50歳死去  

三条家とは

京都の名門の家柄

清華七家の一つで、摂関家の次に貴い家柄

笛と装束の家として有名

結婚後

今川家の仲介で結婚し、次々と3男2女を出産

美しく仏への信仰が厚い女性で信玄との仲も良かったと言われています

逸話



関連のある人々

父親・・・三条公頼

姉・・・細川晴元の妻

妹・・・本願寺顕如?の妻・如春尼?

息子
武田義信
武田信親?
武田信之?


黄梅院・・・北条氏政と結婚
見性院・・・穴山梅雪と結婚

武田信玄のほかの妻

最初の正室・・・上杉朝興の娘 

継室・・・三条の方

側室たち

諏訪御料人

禰津御寮人?

油川夫人 

ほか

祐筆の人物批評

あいら・・・不幸な女性ですよね。長男は信玄の怒りをこうむって廃嫡・次男は盲目・三男は早世・長女も離婚後すぐに死んでしまうし。妻としても、側室の諏訪御両人の方が信玄に愛されていたっぽいし・・・。
控えめで強い女性だと思います

祐筆

●一番手・・・あいら