生まれ
ふりがな、まえだとしつね
生没年1593年-1658年、初名は利光、通称筑前守、肥前守、二代加賀藩主、妻は珠姫。徳川家光の義理の兄に当たる。
どんな人?
晩年小松に隠居し(中納言だった事から)小松黄門と呼ばれた
おいたち年表
1593年 | 0歳 | 誕生! |
1601年 | 9歳 | 珠姫と結婚 |
1614年 | 22歳 | 養父で兄の前田利長死去享年53 |
1622年 | 30歳 | 妻珠姫死去享年24。 |
1645年 | 53 歳 | 長男光高死去享年31。後を継いだ孫綱紀の後見人となる |
1658年 | 66 歳 | 死去 |
逸話
●江戸城内で突然下半身裸になり〇ん玉を100人の前で出した事がある。
●その一方妻珠姫への愛情はことのほか大きく球姫の死の原因を作った乳母を殺している。
●また派手好きであり寺などの創建に力を注いだ。国宝の瑞龍寺などもその一つである
関連のある人々
●珠姫(正室)生没年1599年-1622年利常最愛の妻であり、光高、利次等8人の子供の母である。
祐筆の人物批評
鼻毛を伸ばし、加賀百万石を守った名君
祐筆
●一番手・・・歴史大好き人間