生まれ
みょうきゅう
どんな人?
戦国時代の毛利元就の妻
俗名は不明
法名が妙玖
おいたち年表
妙玖は安芸国小倉城の吉川国経の娘
この頃弱小だった毛利家ですが、武田元繁が吉川領地へ挙兵してきた時に、応援に駆けつけたので吉川家と仲良くなったと言われてます。で、その頃お互いの関係を良くするために結婚したらしい
たぶん元就が21歳頃で妙玖が19歳頃のことです
妙玖は後々有名になる長男毛利隆元・次男吉川元春・三男小早川隆景を出産
妙玖と元就の生活については資料が乏しいためあまり知られていない
とりあえず息子三人とも無事成長し、元就も中国の覇者としてこれからという時に死んでしまった
元就にとっては、れから2人で安定した老後を送ろうとしていたのに大ショック!
三人の息子にはいっつも「妙玖のために三人仲良くしろ」と言っていた
そのためホント三人の息子達は毛利家のために頑張った
死んでからも毛利家結束のためにシンボルとなった女性であった
その他
毛利元就談・・・「ほんとに良き妻であった・・・」
息子達談・・・「母上はほんとーーーに最高の女性でした!」
嬉しかったこと・・・「夫は側室を一人もおかなかったのでございます。私が死んだ後のことはどうでもよいのです。ホホ・・・」
長男毛利隆元の習慣・・・朝起きて、ママのために念仏を二百回唱えること
逸話
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祐筆の人物批評
祐筆
一番手・・・ハガクレ