生まれ
かわかみひさあき
1536~1568
どんな人?
戦国時代の武将
島津家の家臣
島津家の庶流の一族
川上忠克の二男として生まれる
幼い頃から才能あふれており、島津義久や島津忠良からとても期待されていた
18歳で当主の義久から島津の家老に抜擢されるほど
戦での活躍も多く、家中から期待されていたが、1567年に相良家との合戦で、赤池長任?が守る大口城を攻めた時に、島津義弘を守るために孤立してしまい、怪我をしてしまった
命はとりとめ、鹿児島に戻ることができたが、その怪我が元で死んでしまった
逸話
●島津義久らはこの死をとても悲しみ、久朗の長男・久辰は毎年正月の集まりの時、家臣の中でただ一人だけ賞され続けたほど家臣内では優遇された
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関連のある人々
父親・・・川上忠克
正室・・・阿多大炊助久鎮の娘
祐筆の人物批評
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