生まれ
もがみよしとし
1605年生まれ
1632年没
どんな人?
最上家の13代目当主で、山形藩の3代目当主
最上義光の子・最上家親の嫡男として生まれた
12才のときにお父さんが病気で死んだため家督を継いだ
が、チビッコだったのもあり、家臣たちが「あんたヤダ」とブーイング
で、お父さんの弟・[[山野辺義忠]のほうが藩主にふさわしい!という声が!
「なにー!」と怒った義俊は「お父さんが死んだのは山野辺義忠のが毒殺したからだ!」と幕府に訴えちゃった
で、幕府が調査に乗り込むことに
あ、ちなみにこの一連の騒動を「最上騒動」と言います
で、幕府が出した結論はとゆーと
●確かに急死だけど、これは暗殺じゃなくて自然死ですよ
●義俊の政治のやり方がダメなんです(ってか、まだ12歳だしww)
●山野辺義忠を推薦した人たちは組織としてフル活動してないですし~
とゆーことになった
で、幕府は義俊に「とにかく、家臣たちと和解しなさい」と言ったんだけど、家臣たちは「こんな主君じゃ先が見えてるわい!」と、断固拒否
とうとうお互いが譲ることなかったので、ついに幕府は最上家を改易してしまった
でもって義俊は今まで出羽山形藩57万石の大名から、1万石になってしまった
さらにさらに、27歳という若さで死んでしまうという、不幸さ
ちなみに義俊の子である最上義智は家督相続を認められたけど、まだ小さいってことで5000石に減らされてしまった
逸話
●福島正則が改易される時、立会いしたのが若き義俊。この時義俊がちゃんと役をこなしてたので徳川秀忠から刀をもらった
●オバカ主君イメージが大。でも、個人的にまだチビッコだったし、仕方ないんじゃないの~とも思う。
関連のある人々
父・・・最上家親
正室・・・南部利直の娘
子
最上義智
最上義長?
●
祐筆の人物批評
ハガクレ・・・どんだけ老臣たちに嫌われてたんだよ(笑)じいちゃんの最上義光の苦労が水の泡ですな
祐筆
●一番手・・・ハガクレ