渋沢敬三

Last-modified: 2022-04-15 (金) 17:40:00

渋沢敬三(しぶさわけいぞう、1896年-1963年。)
1896年、渋沢栄一の嫡男篤二の長男として生まれる。名付け親は祖父の栄一であった。弟に渋沢信雄と渋沢智雄がいる。
1913年、父親の篤二の廃嫡により、渋沢栄一の嫡孫となる。1915年、渋沢同族株式会社の社長となる、
1922年、岩崎弥太郎の孫の登喜子と結婚する。
1925年、長男の雅英誕生。名付け親は祖父(雅英の曾祖父)の栄一であった。
1931年、祖父の栄一死去。享年91。祖父の死により渋沢子爵家の当主となる。
1945年、大蔵大臣となる。
1952年、雅英の娘が誕生。敬三の初孫となった。
1954年、雅英の長男雅明誕生。
1960年、出張先の熊本で倒れる。
1963年、死去。享年67。祖父の後継者として苦労の多い人生であった。
・エピソード
元々は生物学者になるのが夢であったが、父親の廃嫡と祖父栄一の土下座による懇願でその夢は絶たれた。(いわば父親の尻ぬぐいである)
岩崎弥太郎の孫と結婚してるが、政略結婚ではなく、恋愛結婚である。