源義経

Last-modified: 2010-04-08 (木) 10:17:02

生まれ

父は源義朝?、母は常盤御前である

どんな人?

壇ノ浦の戦いで平氏を滅ぼした人

おいたち年表

1159年1歳誕生!幼名は牛若丸
1160年2歳父・義朝没
1165年7歳鞍馬寺に預けられる。この頃から遮那王と名乗る
1174年16歳奥州の藤原秀衡を頼る。元服し源九郎義経と名乗る
1180年22歳黄瀬川で兄・頼朝と対面する
1183年25歳従兄弟・木曽義仲(源義仲)追討令が出される
1184年26歳宇治川の戦いで義仲を討つ
     一の谷の戦いで平家本陣を奇襲する
     頼朝の推挙を得ずに判官に任官される
     河越重頼?の娘・郷御前?を正室に迎える
1185年27歳平氏軍、屋島の戦いに敗れ、西へ逃れる
     壇ノ浦の戦いで平氏滅亡。安徳天皇入水
     義経追討令出される
     土佐坊昌俊?らが義経邸を襲撃するが失敗
     吉野で義経の愛妾・静御前が捕らえられる
1187年29歳長年頼っていた秀衡が病没する
1189年31歳秀衡の息子・泰衡が衣川の館を襲う。義経は自害する

逸話

弁慶は五条大橋で笛を吹いている義経が腰に帯びていた刀を奪おうとするが、欄干から跳び舞う義経にかなわず、返り討ちに遭い、家来となった
●色白で女性のような美貌だった?(美形説)
●反っ歯で約150cmぐらいの小男だった?(ブサイク説)
●有名な中尊寺所蔵の肖像画は室町時代~江戸時代頃に描かれたため、生前の姿を描いた肖像画は一切残っていない
●『義経記』などで描かれている幼少時代は創作の可能性が高いため、前半生はほぼ謎である
●北海道に渡りアイヌの大王になった説やモンゴルの英雄・チンギスハンとして生きた説などの不死説がある
●木曽義仲(源義仲)の家来に山本義経?と言う同じ名前の武将がいるので義経2人説がある

関連のある人々

 
源頼朝・・・義経の異母兄。後に鎌倉幕府を開く
武蔵坊弁慶・・・義経の家来。最期まで義経を守った忠臣
静御前・・・義経の愛妾である白拍子。吉野で捕らえられた後、鶴岡八幡宮で義経を想い舞った
佐藤継信?・・・義経四天王の1人
佐藤忠信・・・継信の弟。義経四天王の1人

祐筆の人物批評

 
●藤原義信・・・「謎が多いけど、軍事的天才として、悲劇の英雄としての魅力的な所が日本人には憎めなくて贔屓してしまうんですよね。判官贔屓と、言いますけど」
●MAKI御前・・・「バリバリ判官贔屓してます (^Q^ 大大大大好き!!!」

●かこりん・・・かわいそうなイメージがある

祐筆

●一番手・・・藤原義信「編集するのに時間がかかったけど、義経について勉強になりました」