生まれ
ふりがな、さなだのぶゆき、初代信州上田藩主、初代信州松代藩主、真田昌幸の長男。通称源三郎、真田伊豆守、生没年1566年-1658年
どんな人?
あの真田幸村(信繁)の兄に当たり自身も「信州の獅子」と呼ばれた人物。本多忠勝の娘の旦那でもあります。また晩年には戦国を知る最後の武将として多くの武将の尊敬の対象になったようです。また8万石しかなかった松代を実収18万石まで上げているようです。また彼の死去時に93歳と高齢であったのにもかかわらず殉じる人出家する人が後をたたなかったようです。
おいたち年表
1566年 | 0歳 | 誕生! |
1600年 | 35歳 | 犬伏の別れで徳川家康につき戦功を上げ初代上田藩主(追放された父昌幸領を相続)となる |
1615年 | 50 歳 | 弟幸村(信繁)戦死享年49(46とも言われてる) |
1622|年| 57歳| 上田から松代に移され初代松代藩主となる |
1656|年|91 歳| 4代将軍徳川家綱(徳川家康のひ孫つまり家光の息子)から、隠居が許される |
1658年 | 93歳 | 次男(信政死去、お家騒動が起きたが信之が見事解決 。その翌月死去享年93 |
逸話
●93歳と非常に長生きだった(平均寿命の約倍)信之だが、51歳の時にマラリアにかかり76歳の時にも腫れ物に苦しめられるなど病気がちだった。だが、その度不死鳥のように生還した。また、早死にが多かった真田昌幸の子供の中で唯一、90代まで生きた。
●あまり知られていないが、信之も信繁(幸村)同様戦が強く200の軍勢で2万の大軍を追い返した事もある(がちの史実です)
父昌幸、弟幸村(信繁)とは仲良く、二人やその家族にかなりのお金食料を送っていたかなりの家族思い
関連のある人々
●小松姫(正室)本名稲1573年-1620年かなりの賢婦人といわれ彼女の死去時には20万料の貯金があったらしい。
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祐筆の人物批評
まさに真田家の守り神。このお方が居なければお家騒動で潰されていた
祐筆
●一番手・・・歴史大好き人間