竹中半兵衛

Last-modified: 2010-02-02 (火) 09:50:10

生まれ

どんな人?

戦国時代の武将 名軍師

おいたち年表

0歳誕生!
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美濃出身で、父親は斎藤道三に仕えていた。

半兵衛は道三の孫・斎藤龍興に仕えました。

小さい頃から勉強好きでしたが、見た目がひ弱タイプだったため、斎藤龍興の家臣にイジメにあいまくり

とうとう小便をひっかけられ半兵衛は怒った!

なんと策略によって斉藤家の稲葉山城を乗っ取ったのです。

が、乗っ取っただけですっきりしたのか、さっさと明け渡して浪人生活に

そこに目をつけたのが信長の家臣だった秀吉

「あんな賢い男ならワシの家来になってほしいな」としつこくスカウトしまくり、とうとう半兵衛は秀吉の家臣になったのでした

そして黒田官兵衛とともに秀吉の右腕に

どうやら純粋に軍略がすきだったらしく、あまり褒美を欲しがらなかった。この辺が黒田官兵衛とは違うとこ

秀吉のもとで大活躍しまくったが、なんと36歳の若さで死んでしまいました

逸話

●半兵衛、わずか17人で城をゲット

半兵衛は、女っぽいルックスだったため、稲葉山城主の斎藤龍興らにバカにされていました

そしてとうとうガマンが限界に

そんな時、弟の久作が稲葉山城にて病気になったという知らせが
半兵衛は武器をいれた長持ちを人夫にかつがせ、16人の家臣を連れてやってきた
「弟のお見舞いにきました」
そういって城内に入り、そのまま本丸へ

そして城を守っていた武将らを斬り倒したのであります
龍興は大慌てで逃げていきました

それを見て満足した半兵衛は、さっさと城を捨て、一人暮らしを始めてしまいました

●木下藤吉郎三顧(さんこ)の礼

半兵衛は斉藤家を出て浪人となってました(↑上に書いた事件のせいでネ)

そこに目をつけたのが秀吉
何とか半兵衛を味方につけたいと思ったんだけど、まともにあたっても無理

秀吉は浪人の格好をし、偶然出会ったフリをして、「尾張の信長は大物らしい。ワシは信長に仕えようと思うが、そなたも一緒にどうじゃ?」と誘ったのです

が、半兵衛はその浪人が秀吉であることを見破っていてました
バレたら仕方ないと、「おぬしの才能をこのままにしておくのは惜しい」とスカウトするが2度断られました
3度目の秀吉のお願いに、とうとう半兵衛は「では、信長ではなく秀吉殿に仕えましょう」とOKしました
これが「木下藤吉郎三顧の礼(さんこ)」というエピソードです

以後、竹中半兵衛は秀吉の軍師として大活躍していきます

●半兵衛 息子を叱る

ある夜、半兵衛がまだ幼い息子・重門に戦の何たるかを話していました
すると息子が席を立とうとしました
「どこへいく?この話しは国の大事な話しであるぞ」という半兵衛
息子は「だって、厠(トイレ)にいきたいんだモン」
すると半兵衛「今は大事は話しである!オシッコしたければここで垂れ流せ!」


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