生まれ
どんな人?
戦国時代の武将 名軍師
おいたち年表
年 | 0歳 | 誕生! |
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美濃出身で、父親は斎藤道三に仕えていた。
半兵衛は道三の孫・斎藤龍興に仕えました。
小さい頃から勉強好きでしたが、見た目がひ弱タイプだったため、斎藤龍興の家臣にイジメにあいまくり
とうとう小便をひっかけられ半兵衛は怒った!
なんと策略によって斉藤家の稲葉山城を乗っ取ったのです。
が、乗っ取っただけですっきりしたのか、さっさと明け渡して浪人生活に
そこに目をつけたのが信長の家臣だった秀吉
「あんな賢い男ならワシの家来になってほしいな」としつこくスカウトしまくり、とうとう半兵衛は秀吉の家臣になったのでした
どうやら純粋に軍略がすきだったらしく、あまり褒美を欲しがらなかった。この辺が黒田官兵衛とは違うとこ
秀吉のもとで大活躍しまくったが、なんと36歳の若さで死んでしまいました
逸話
●半兵衛、わずか17人で城をゲット
半兵衛は、女っぽいルックスだったため、稲葉山城主の斎藤龍興らにバカにされていました
そしてとうとうガマンが限界に
そんな時、弟の久作が稲葉山城にて病気になったという知らせが
半兵衛は武器をいれた長持ちを人夫にかつがせ、16人の家臣を連れてやってきた
「弟のお見舞いにきました」
そういって城内に入り、そのまま本丸へ
そして城を守っていた武将らを斬り倒したのであります
龍興は大慌てで逃げていきました
それを見て満足した半兵衛は、さっさと城を捨て、一人暮らしを始めてしまいました
●木下藤吉郎三顧(さんこ)の礼
半兵衛は斉藤家を出て浪人となってました(↑上に書いた事件のせいでネ)
そこに目をつけたのが秀吉
何とか半兵衛を味方につけたいと思ったんだけど、まともにあたっても無理
秀吉は浪人の格好をし、偶然出会ったフリをして、「尾張の信長は大物らしい。ワシは信長に仕えようと思うが、そなたも一緒にどうじゃ?」と誘ったのです
が、半兵衛はその浪人が秀吉であることを見破っていてました
バレたら仕方ないと、「おぬしの才能をこのままにしておくのは惜しい」とスカウトするが2度断られました
3度目の秀吉のお願いに、とうとう半兵衛は「では、信長ではなく秀吉殿に仕えましょう」とOKしました
これが「木下藤吉郎三顧の礼(さんこ)」というエピソードです
以後、竹中半兵衛は秀吉の軍師として大活躍していきます
●半兵衛 息子を叱る
ある夜、半兵衛がまだ幼い息子・重門に戦の何たるかを話していました
すると息子が席を立とうとしました
「どこへいく?この話しは国の大事な話しであるぞ」という半兵衛
息子は「だって、厠(トイレ)にいきたいんだモン」
すると半兵衛「今は大事は話しである!オシッコしたければここで垂れ流せ!」
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