里見義頼

Last-modified: 2009-10-26 (月) 10:57:42

生まれ

1543年生まれ
1587年没

どんな人?

安房の戦国大名

おいたち

 

安房の戦国大名里見義弘の子として生まれる

ある日、父親の里見義弘が「自分が死んだら安房は義頼にあげ、上総を嫡男の梅王丸に与える」と言ったんだけど、この相続をめっちゃ不満に思った義頼と父親との関係はだんだん険悪になっていく

 

●1577年・・・34歳

父親の里見義弘と争っていた北条家との間で和睦が成立すると、義頼は北条氏政の娘・鶴姫と結婚

 

●1578年・・・35歳
父親が死去。そのため梅王丸と家督争いが始まる
義頼は北条氏政の応援を受けて勝利する。
梅王丸は出家し、里見家の領地を全てゲットした

 

●1579年・・・36歳
鶴姫が2年の結婚生活で死んでしまったため、今度は北条氏政の妹・菊姫と結婚

 

●1581年・・・38歳
反抗的な家臣である正木憲時?を殺害し、完璧に里見家を支配

 

この間、正室の菊姫が死去。すると北条氏政との争いが始まる
ここで義頼は豊臣秀吉を頼ることに
以後、豊臣秀吉に対してナイスな外交手腕を発揮したため、里見家は存続することになる

 

●1587年・・・45歳
安房の岡本城で病死

逸話

●小田原城攻めでは遅れたのに豊臣秀吉に許されている

関連のある人々

里見義弘・・・父
豊臣秀吉
北条氏政

祐筆の人物批評

祐筆

●一番手・・・ハガクレ