室町時代のできごと

Last-modified: 2010-08-09 (月) 23:45:45

室町時代年表
この日本の歴史ウィキでの室町時代は1333年の鎌倉幕府滅亡から1467年の応仁の乱まで、であろうと推察します。

室町時代の始まるまで

詳しくは鎌倉時代のできごと

鎌倉時代も末期となると、悪党と呼ばれる武士の集団が荘園を襲い、年貢を奪ったりしていた。
時の天皇である後醍醐天皇倒幕?を目指すものの、1324年に露見してしまい、後醍醐天皇は「知らぬ事」と言い処分を免れたものの、土岐頼兼?多治見国長?らの武将は討伐され、日野資朝?日野俊基?らは「自分らが企てた事だ」と言うも、幕府は、資朝に関しては死刑にすると言いながらも隠岐に流し、俊基らについては放免した。(正中の変?

1331年には、足利貞氏?が没し、家督を足利高氏が相続した。
1333年、高氏は後醍醐天皇より尊治の一字を賜り、尊氏と改名する。

1333年---持明院統・正慶2年---大覚寺統・元弘3年---

鎌倉幕府滅亡。

1334年---建武元年---

護良親王、京へ護送される。

1335年---建武2年---

3月 鎌倉宝戎寺、建立祈願。
   後醍醐天皇が発願し、足利尊氏が実行する。
7月 北条時行が挙兵する。
   足利方を破り、鎌倉へ。
  
11月 新田義貞が、朝廷の命により尊良親王を奉じて東国へ向かう。
12月13日 足利尊氏は、箱根を越えて伊豆国府を攻め、新田義貞勢を破る。
   19日 朝廷新田義貞に帰洛を命じる。

1336年----------------------------------

1月11日 足利尊氏が京に入る。

       北畠顕家が兵をおこして鎌倉を襲い、尊氏軍を急追し、
       近江坂本で新田義貞勢と合流する。
   
1月30日 足利尊氏は丹波に脱出。

2月12日 足利尊氏が九州へ逃れる。
      途中、光厳上皇?院宣?を入手する。

2月20日 足利尊氏が長門赤間関に到着する。

2月25日 少弐貞経?は子息である頼尚を尊氏を迎えに送る。

2月29日 少弐貞経?菊池武敏?に攻められ自害する。

3月2日 多々良浜の戦い?
     足利尊氏は多々良浜で菊池武敏?を破り、太宰府に陣を構える。

4月3日 足利尊氏が九州を出発する。

5月10日 足利尊氏は海路、足利直義は陸路を進む。

5月25日 湊川の戦い?
      後醍醐方の楠木正成が一族と共に自刃。
      新田義貞は丹波に敗走。

5月27日 後醍醐天皇が京から比叡山に移る。

6月14日 足利尊氏が、光厳上皇?豊仁親王?と共に京に戻る。

8月15日 豊仁親王?が即位し、光明天皇?となる。

10月10日 後醍醐天皇が、足利尊氏との間に和睦が成立し、京へ戻る。
       新田義貞が越前金崎城に向かう。

11月2日 後醍醐天皇光明天皇?に神器を授ける。(この神器は偽物だった。)

11月7日 足利尊氏建武式目を定める。

12月21日 後醍醐天皇神器?を持って、密かに京を脱出。
       吉野に御幸する。

       南北朝の分裂が決定的となる。

1337年----------------------------------

3月 高師泰?率いる足利尊氏勢の攻撃に金崎城落城
   尊良親王?新田義顕?(義貞長子)が自刃。
   恒良親王?は京に護送される。
   新田義貞は杣山城へ逃げる。

8月 後醍醐勢の北畠顕家が、利根川で足利方の上杉憲顕?細川和氏?を破る。

12月23日 北畠顕家が鎌倉攻略。

1338年----------------------------------

5月 2日 北畠顕家高師直勢と和泉で戦い、討死。

      新田義貞、越前藤島で斯波高経?斯波家兼?勢により、討死。

8月11日 足利尊氏、北朝から征夷大将軍に任ぜられる。(室町幕府

1339年----------------------------------

8月16日 後醍醐天皇崩御。後村上天皇?即位。

1340年----------------------------------

5月 高師冬?が常陸駒城を落とす。

1341年----------------------------------

6月 北畠親房?高師冬?を破る。

1342年----------------------------------

5月 南朝の征夷大将軍である懐良親王が、薩摩に到着する。
6月 懐良親王勢が足利方の島津貞久を破る。

1343年----------------------------------

11月 関・大宝の両城が落ち、北畠親房は吉野に敗走する。

1344年----------------------------------

3月 足利尊氏・直義兄弟が高野山に参詣する。

1347年----------------------------------

  楠木正成の子・正行が、紀伊・河内などで活動を始める。

9月17日 細川顕氏が、河内藤時にて楠木正行と戦い、敗れる。
11月26日 細川顕氏が、摂津住吉にて楠木正行と戦い、敗れる。
12月 九州にて懐良親王の動きが活発化する。

1348年----------------------------------

1月5日 楠木正行が、河内四条畷で高師直勢に敗れ、敗死する。(四条畷の戦い?

この年、後村上天皇、紀州賀名生に避ける。
また、幕府は島津貞久に薩摩の南朝方誅罰を命じる。

1349年----------------------------------

4月 足利直義の提案により、足利直冬が長門探題に任ぜられ、この月に京都を出発する。

6月7日 足利直義と高師直の不和。
     足利尊氏と足利直義が会議し、
     高師直は執事職を辞職させられる。

8月14日 高師直がクーデターを起こし、足利尊氏邸を包囲する。後に和解する。
      足利直義は出家し、上杉重能・畠山直宗は越前に流される。

8月下旬~9月上旬? 足利直冬が不穏な態度を見せていた事から、尊氏が直冬追討令を下す。

9月 足利直冬が鞆津にて高師直勢により襲撃を受け、九州へ逃れる。

12月 高師直の指示により、上杉重能・畠山直宗は殺される。

1350年----------------------------------

6月 高師泰が九州に向け出兵する。
   これに乗じて、直義は京都を脱出し南朝に降る。

10月 足利直義・直冬が、少弐・大友などを味方につけて大宰府にて挙兵。
    足利尊氏は、高師直と共に大軍を率いて京を出発。

11月 足利直義が高師直・高師泰の討滅名目で御教書を出す。

12月 足利直義が後村上天皇から論旨を与えられる。

    高師冬が上杉憲顕に追われ、甲斐へ逃げ込む。
    足利尊氏は、そのため京へ兵を返す。

1351年----------------------------------

1月4日 直義方の桃井直常が、近江の坂本へ討ち入る。

1月15日 足利義詮は京を放棄。
     一方、桃井直常は京に兵を入れる。

1月16日 足利尊氏・義詮が四条河原にて桃井直常と激突する。
     尊氏・義詮は播磨へ敗走。

1月17日 高師冬が上杉勢に追い詰められて自害する。

2月17日 足利尊氏勢が兵庫打出浜にて敗れる。

2月21日 足利尊氏が申し出た和議が成立。

2月26日 高師直と高師泰が出家、足利尊氏一行と京に向かう。
     途中、上杉・畠山の兵により、高師直・高師泰は殺される。

7月19日 足利直義が政務を辞退する。
     足利義詮がその職を代掌する。

8月1日 足利直義が京を脱出。

11月4日 足利尊氏が、足利直義追討軍を率いて東国へ向かう。

11月15日 足利直義が鎌倉へ入る。

1352年----------------------------------

1月2日 足利直義が相模早河尻で敗れ降伏する。
2月10日 足利義詮が北畠顕能と楠木正儀に追われ近江に遁走する。
2月26日 足利直義が死去。
3月 足利義詮が京に戻る。

1353年----------------------------------

6月 足利直冬・山名時氏らの攻勢により、足利義詮は京を奪われ、自身は美濃へ敗走する。
7月 足利義詮、京に戻る
9月21日 足利尊氏、京に到着

1354年----------------------------------

4月17日 北畠親房が亡くなる。

12月 足利直冬が南朝方大将として、京都奪還を目指す。
    足利尊氏が後光厳天皇を奉じて、近江武佐寺へ逃れる。

1355年----------------------------------

1月 足利直冬が桃井直常・斯波氏頼・山名時氏と京に入る。

2月足利尊氏・義詮が南朝勢を破る
   続く洛中の激戦でも勝利を得る。
   後光厳天皇が京に戻る。

1357年----------------------------------

2月 光厳・崇光上皇、直仁親王、南朝から帰京する。

1358年----------------------------------

4月 足利尊氏が背中にできた腫れ物が原因で病床につき、30日に亡くなる。

8月23日 足利義満が生まれる。

12月28日 足利義詮が征夷大将軍に任ぜられる。

1359年----------------------------------

7月 九州の南朝方・菊池武光が、少弐頼尚を攻撃する。

8月 筑後川の合戦?が起こる

11月 畠山国清が足利基氏の御名代として上洛する。

12月 足利義詮が大軍を率いて京を出発する。

1360年----------------------------------

4月 畠山勢が、紀州竜門山の四条隆俊を破る。

5月 細川清氏が南朝方・楠木正儀の赤坂城を陥落させる。

7月 畠山国清・細川清氏・土岐頼康・佐々木道誉が、政敵である仁木義長?の討滅を計画する。

1361年----------------------------------

9月23日 細川清氏が若狭に逃げ落ちる。

10月 細川清氏が南朝に降る。

11月 畠山国清が足利基氏に背き伊豆へ去る。

12月 南朝方、四条隆俊を大将として、楠木正儀、細川清氏、京に迫る。
    足利義詮、天皇を奉じ近江へ難を避ける。

12月26日 南朝方が京を引き上げる。

12月26日 足利義詮が京へ戻る。

1362年----------------------------------

1月 細川清氏、四国阿波へ落ちる
    山名時氏、足利直冬、備中、備前で幕府側を押す
    足利義詮、軍勢を派遣、鎮圧に努める

2月 後光厳天皇、京へ還幸。

7月 細川清氏が従兄の細川頼之と戦い、討死。

9月 足利基氏が畠山国清を箱根合戦で破る。
    畠山国清が足利基氏に降る。

1363年----------------------------------

9月 山名時氏が幕府に降伏する。
    足利直冬が遁走する。

1364年----------------------------------

7月10日 光厳天皇、崩御。

1366年----------------------------------

7月 斯波高経と佐々木道誉が対立する。

8月8日 斯波高経が病死。

1367年----------------------------------

4月26日 足利基氏が病死。

9月 足利義詮が病に伏せる。

12月 足利義詮が病死。
    足利義満が後を継ぐ。
    細川頼之が執事となる。

1368年----------------------------------

3月 後村上天皇崩御。長慶天皇が即位。

4月15日 足利義満が元服する。

12月30日 足利義満、征夷大将軍に任命される

1369年----------------------------------

1月 楠木正儀、足利義満に降る

2月 三井寺、叡山対南禅寺争いの対策上、細川頼之と土岐頼康の間に不和が生じる

1370年----------------------------------

12月 土岐頼康、離京、美濃へ去る

1378年----------------------------------

3月 足利義満、室町新邸へ移従

1379年----------------------------------

この年、興福寺と抗争が起こる。

2月 洛中騒動
   細川頼之が失脚する。

この時期、足利氏満が謀反を決意する。

3月8日 上杉憲春が謀反を思いとどまる手紙を書き切腹し、
     結果、氏満は謀反を思いとどまる。

4月14日 細川頼之に下国の命が下る。

4月16日 細川頼之が讃岐へ戻る。

4月28日 斯波義将が管領に任ぜられる。

1382年----------------------------------

4月 後小松天皇が即位する。後円融上皇は院政。

1385年----------------------------------

3月 足利義満が禅殺宝幢寺を建てる。

1386年----------------------------------

足利義持、誕生。

1391年----------------------------------

この年、細川頼之、養子頼元と共に上洛する。

4月 斯波義将に代わって、細川頼元が管領に任ぜられる。

1392年----------------------------------

3月2日 細川頼之が病死する。

8月 足利義満が相国寺を建てる。

10月2日 南朝の後亀山天皇が帰洛。嵯峨大覚寺に入る。

10月5日 神器の帰座。

1393年----------------------------------

4月 細川頼元が管領を辞任し、斯波義将に代わる。

1394年----------------------------------

6月13日 足利義教が誕生する。

8月 長慶法皇が崩御する。

9月24日 相国寺が炎上する。

11月より相国寺を再建開始。

12月17日 足利義満が征夷大将軍を辞する。
足利義持が後を継ぐ。

12月25日 足利義満が太政大臣に任ぜられる。

1395年----------------------------------

6月20日 足利義満が出家。
      後小松天皇の制止をも振り切る。

1397年----------------------------------

6月20日 足利義満 北山第(金閣)工事着手。

8月5日 足利義満が明へ遣明使を派遣する。

1407年----------------------------------

7月24日 足利義量が誕生する。

1408年----------------------------------

5月6日 足利義満が病死。

1411年

後小松天皇が崩御する。

1412年

8月 持明院統?称光天皇?が即位。

1416年

10月 上杉禅秀の乱? 勃発。

1417年

1月10日 上杉禅秀が一族と従者と共に、鎌倉にて自殺。
      足利持氏が関東公方の座に戻る。

1419年

6月 応永の外寇 勃発。

7月20日 足利義持が日明絶交の国書を出す。

1423年

3月18日 足利義持が将軍職を足利義量に譲り、自身は出家する。

1425年

2月27日 足利義量が病死する。

1428年

1月8日 足利義持が病に臥せる。

1月18日 足利義持が病死する。
      くじ引きが行われる。
      青蓮院義円が6代目将軍に決定する。
3月12日 青蓮院義円が還俗して名を義宣と改める。

1429年

3月9日 足利義宣が元服。

3月15日 足利義宣が征夷大将軍に任ぜられ、名を義教と改める。

9月 永享と年号が改元されるが、足利持氏は翌年の8月まで旧年号を用いる。
    さらに持氏は、幕府が行っていた鎌倉五山住持任命を勝手に行い、幕府方の大掾氏及び山入氏の討伐を始める。

1430年

1431年

1432年

1433年

1434年

1435年

1436年

1438年

1439年

1440年

1441年

1442年

1443年

1445年

1446年

1449年

1450年

1453年

1455年

1458年

1459年

1461年

1462年

1463年

1464年

1465年

1466年

祐筆

一番手・・・鱒