綏靖天皇

Last-modified: 2014-01-01 (水) 14:11:45

人物

すいぜいてんのうと読む
綏靖天皇は、日本の二代天皇。
日本書紀では、神淳名川耳尊(かむぬなかわみみのみこと)と書かれ、古事記では
神沼河耳命(かぬむなかわみみのみこと)と書かれている。
欠史八代の一人で、即位後の事績が記紀に書かれていない為、実在しない説が有力

事績

神武天皇42年に立太子。皇太子となった。神武天皇が崩御したあと、綏靖の兄であるタギシミミが、弟達を殺そうとしたが、綏靖は母の歌からこれを察知した。(ウソっぽいとこもあるが気にしない)綏靖は兄の神八井耳命と共にタギシミミを討った。また、神八井耳命が恐怖により矢が打てず、かわりに綏靖がタギシミミに矢を放った。そして綏靖は即位したが、即位後の事績は全く書かれていない。また、南北朝時代に編まれた神道によれば、綏靖には人食いの趣味が・・・と書かれているが、綏靖自信の実在さえ疑わしいというのもあって後世の造作の可能性が高い。

家族

神武天皇とヒメタタライスズヒメから産まれた三男で皇后は五十鈴依媛命。
子供は安寧天皇。

皇居・陵

皇居は葛城高丘宮。 陵は桃花鳥田岡上陵に治定されている。

祐筆

一番手・・・足利義栄