より詳しく中央公園を知りたい方へ。
中央公園の特徴
京急横須賀中央駅から徒歩で行ける公園。浦賀水道を一望できる。
公園の広さは約3.8ヘクタール。旧軍用地を国から譲渡され、横須賀市が文化会館建設事業の一環として設置した。
園内には桜、梅、カンツバキなど四季折々の花木が植えられている。
以前は米ヶ浜演習砲台として陸軍が使用しており、そのころは「砲台山」とも呼ばれていた。
中央公園の歴史
縄文時代
周辺から深田貝塚(中期後葉)が見つかっているため、中央公園のあたりにも集落があったと思われる。
米ヶ浜演習砲台設置のために地面を掘り返してしまったため、詳細は不明。
明治時代
明治23年(1890年)
米ヶ浜演習砲台として4月に起工。
明治24年(1891年)
11月に竣工。
高砲台と低砲台があり、高砲台には28センチ榴弾砲6門、低砲台には28センチカノン砲2門が据えられた。
明治32年(1899年)
正規の演習砲台が落成したたため、教育訓練用砲台の指定を解除された。
明治37年(1904年)
日露戦争での旅順要塞攻略のため、28センチ榴弾砲6門が撤去、移送された。
大正時代
大正12年(1923年)
関東大震災により被害を受ける。
低砲台は廃止、高砲台は改修されて28センチ榴弾砲4門の演習砲台となった。
昭和時代
昭和39年(1964年)
1月1日、広報よこすか第169号にて長野正義市長が砲台山を中央公園とする「総合文化センター構想」を発表。
中央公園として整備が開始される。
昭和42年(1967年)
昭和44年(1969年)
3月に戦没者慰霊碑が竣工。4月11日に除幕式が行われた。
明治27年の日清戦争から昭和20年の第二次世界大戦終結までの市内出身戦没者約4700柱の霊を慰めるために建てられた。
慰霊碑は船の舳先をかたどったデザインとなっている。
昭和45年(1970年)
4月1日開園。開園当時は北口入口正面に2メートルの人工滝と長さ32メートルの池があった。
昭和58年(1983年)
11月、市政75周年を記念した文化事業の一環として岩野泡鳴の文学碑が設置された。
平成時代
平成3年(1991年)
7月、平和のモニュメント着工。
平成4年(1992年)
「核兵器廃絶、平和都市宣言」を記念して建てられた、平和のモニュメント「ヘイワオーキクナーレ」が竣工。
ステンレス製で高さ20メートル。10月24日には完成記念式典が行われた。
平成7年(1995年)
10月18日、B.W.デッカー少将の胸像が設置され完工式が行われた。
平成16年(2004年)
11月5日、島田修二の歌碑が建てられた。島田修二は横須賀出身の歌人。
平成16年1月に中央公園に来て歌碑の詩を詠み、同年9月12日に亡くなった。
令和時代
令和2年(2020年)
老朽化のため「平和のモニュメント」を撤去。
令和3年(2021年)
4月1日、リニューアルオープン。
名称を「中央公園」から「平和中央公園」に変更*1。
4月19日、新設の平和モニュメントを初披露。
直径10メートル、高さ2メートルの円形デザインで、中心部にある円柱型の構造物から天空に向けて光の柱を放つ仕掛けが施されている。
毎月1日と終戦記念日などの特別な日に上空照射を行う予定。
11月17日、第32回全国「みどりの愛護」のつどい植樹式が行われた。
令和4年(2022年)
その他
軍用地の名残
米ヶ浜演習砲台は第二次世界大戦の終戦とともに取り壊されていったが、当時の名残が今でも公園内に残っている。
以下の写真は埋め立てられた掩蔽壕(シェルター)
平和中央公園にリニューアルされた後は弾薬庫の中を確認できるようになっている。
参考文献
- 横須賀市HP:中央公園
- 横須賀市風物百選 中央公園
- 三浦半島の史跡を訪ねて 編:横須賀郷土史研究会
- 新横須賀市史 別編 軍事 編:横須賀市
- 新横須賀市史 別編 年表 編:横須賀市
- 古老が語る ふるさとの歴史 中央編 編:横須賀市市長室広報課
- 横須賀市自然・人文博物館特別展示「中央公園ものがたり」
- タウンニュース 横須賀版 No.719 発行:株式会社タウンニュース社
- 第32回全国「みどりの愛護」のつどい植樹式