より詳しく鷹取山公園を知りたい方へ。
鷹取山公園の特徴
標高139m。明治時代に石切りを行ったため山肌の岩が露出している。
その形が群馬県の妙義山に似ていることから「湘南妙義」の異名を持つ。
鷹取山公園の歴史
江戸時代
慶応3年(1867年)
幕府直轄の天領として、江川太郎左衛門が代官となり支配。
一般人の立ち入りは禁止されていた。
明治時代
明治4年(1871年)
廃藩置県により、高橋清光氏が払い下げを受ける。
このころから昭和初期までにかけて、石切りが行われた。
昭和時代
昭和35年(1960年)
逗子市在住の実業家山口満氏が、西武鉄道堤社長の了解を得て磨崖仏の彫刻を発注。
7月に仁科会の彫刻家である藤島茂氏により彫刻が開始された。
昭和36年(1961年)
その他
磨崖仏(弥勒菩薩座像)
高さ8メートル、幅4.5メートルの磨崖仏。
敦煌莫高窟第275窟にある交脚弥勒菩薩像を模して造られたとされる。
当時鷹取山を買収した西武の堤康次郎氏は鷹取山一帯を世界的な石造のメッカにする計画を立てていた。この弥勒菩薩像はその第二作目であった。
第一作目は釈迦座像だったとのことだが、現在は破壊されており見ることはできない。
第三作として不動明王を彫る計画を昭和36年6月9日付の神奈川新聞で語っていたが、おそらく頓挫したと思われる。
鷹取石
鷹取山から切り出された石の名称。
横須賀市内のいたるところで見られる第三紀層凝灰岩で、水に弱く、火に強い。
やわらかで加工しやすいため家屋の基礎や塀、護岸、石段などに使われた。
この石は第三海堡の基礎石としても使われている。
参考文献
- ここはヨコスカ:鷹取山公園
- 横須賀風物百選 鷹取山と磨崖仏
- 湘南妙義 鷹取山に就いて 著:生方直方
- 磨崖仏紀行 著:邊見泰子
- 追浜の歴史探訪 著:青木猛