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天城

Last-modified: 2017-06-25 (日) 15:48:16
No.202
雲龍型航空母艦、天城と申します。提督、どうぞよろしくお願い致します。天城、精進致します。天城(あまぎ)雲龍型 2番艦 正規空母
艦船ステータス(初期値/最大値)
耐久48火力0 / 25
装甲26 / 51雷装0
回避33 / 59対空27 / 72
搭載51対潜0
速力高速索敵38 / 74
射程13 / 59
最大消費量
燃料50弾薬45
艦載装備
1825mm三連装機銃
2412.7cm連装高角砲
3未装備
6未装備
改造チャート
天城天城改(Lv50+改装設計図)
図鑑説明
雲龍型航空母艦、その二番艦、天城です。戦時急造計画であるマル急計画により、建造されました。
空母機動部隊として運用されることは叶いませんでしたが、呉空襲時の対空戦で奮闘しました。

※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。

CV:堀江由衣、イラストレーター:くーろくろ (クリックするとセリフ一覧が開きます)

ゲームにおいて Edit

  • 2015年2月6日のアップデートで新規に実装。同日から始まった冬イベント:期間限定海域【迎撃!トラック泊地強襲】のE5クリア報酬。
  • 扱いは基本的に雲龍と同一。燃費も性能も大差ない。
  • およそ戦闘に向かない格好と、艦載機を一切積んでいないのは雲龍同様史実に基づいたものか。
    • 改装によって、艦載機と共に本来の空母としての姿を取り戻す事ができる。
  • 同時に実装された香取ほどあからさまではないが、こちらも艦娘バナーについている艦種とレアリティを示すアイコンをよく見ると「工(工作艦)」の文字の上に「航(航空母艦)」を重ねたように見える。
    • 香取ほどあからさまじゃなかったせいか香取の方は2015年2月23日のアップデートで修正されたのにこっちは修正されてない。何故だ。
  • 中破イラストは、地面(?)にぶっ倒れているというなかなか斬新なもの。
    • _(:3」∠)_ 。公式四コマ第88話でもしっかりネタにされてしまった。
    • 実装当初は、「改造前の中破イラスト」と「改造後の中破イラスト」は全く同じポーズで衣装だけが異なっていた。
      その後2015/07/31のアップデートで、天城改の中破姿は全く違うイラストに差し替わった。
  • アップデート2016/01/01未明で、期間限定グラフィック「新春の晴れ着mode」が実装された。
    他の期間限定グラと同様、変更は立ち絵のみで、カードイラストはそのまま。
    • 初期天城とあまりのシルエットの違いに困惑する提督もおられるが、クラシックな和装の着付けは期間限定グラの方が正解とされている。帯も含めてまっすぐに近いラインを描くのが標準的な着付け(あのメリハリボディなので、恐らく帯の下にタオルでもごっそりつめ込んで補正しているのだろう)。
      初期天城の着付けの理由については、下記のくーろくろ絵師の説明を参照のこと。
限定イラスト:新春の晴れ着mode
  • 2016年10月05日のアップデートでなか卯コラボ限定グラフィックとして【買い出しmode】が実装された。
    • 紅葉の柄の秋らしい着物に。中破時に露わになる背中がとても艶やか。
限定イラスト:なか卯コラボVer.

小ネタ Edit

  • 雲龍型航空母艦の2番艦。
    姉の雲龍、そして雲龍喪失後は妹の葛城とともに、栄光ある一航戦最後の主力空母を務めた。
    しかし彼女らが就役した頃(1944年9月)は、飛ばす飛行機にも搭乗員にも事欠く有様で、既に一航戦の栄光は過去の話であった。*1
    • 実は、1941年に議会承認を受けた戦時予算案の「マル急計画」では雲龍一隻のみで姉妹艦建造の予定は無かった。
      しかし、海軍はミッドウェー海戦で機動部隊を喪失したため、失われた空母を直ちに補う必要に迫られた。
      そこですでに議定済だった定期的な軍備予算計画の「マル五計画」を急遽変更、「改マル五計画」と訂正して姉妹艦15隻を急造する予算を得ることになる。
      この改マル五計画の予算で生み出された雲龍型の戦時急造版の初号艦が、この天城である。
      • 三菱重工長崎造船所にて1942年10月1日起工、1943年10月15日進水、1944年8月10日竣工。
        起工から竣工までわずか1年10箇月という急造艦であった。
      • 戦時急造のためか、雲龍とは各部寸法はほぼ同じものの少し異なった艦影になっている。
        例えばスポンソン(艦舷に生えている銃砲を載せる膨らみ)が円形に作られていた部分を角ばった形状に変更して防波板の曲げを省略する、
        マストを甲板ではなく一段上にある旗甲板から生やし建造を楽にする…など、細かなところが変更されている。
      • また機関については、同時期に建造が中止あるいは艦種変更で機関が余剰となった改鈴谷型(伊吹型)二隻の機関を流用している。これにより、アレも重巡クラスらしい。
      • 空母信濃ほどではないにせよ、突貫工事のせいか不具合が多かったという。
        特に電気系統は材料が粗悪なためか絶縁不良が多発し、新造艦なのにあちらこちら絶縁テープで応急修理されている有様だったという。
    • 日華事変に始まり真珠湾で世界にその名を轟かせた日本海軍機動部隊だったが、ミッドウェーを転機に、相次ぐ激戦で多数の航空機と貴重な搭乗員を失うことで凋落の一途を辿り、マリアナ沖海戦を経て事実上壊滅状態となっていた。
  • このため生前の彼女は僚艦の葛城と組んで、機動部隊再建に向けた搭乗員錬成のため、第航空隊を載せて瀬戸内海で練習航海に明け暮れる日々を送った。
    しかし悪化する一方の戦局にあって機動部隊が復活することはなく、1945年2月10日には燃料不足を理由に、大和他一部の艦を除き、連合艦隊の艦艇を全廃することになり任務を解かれ、葛城龍鳳とともに呉基地に係留。
    同年4月20日には、遂に一航戦そのものが解隊されてしまった。
    • これにより六〇一空も基地航空隊に改編された。
    • 呉三ツ子島に係留されてからは、艦と岸の間に網を張り飛行甲板上を樹葉で覆う擬装を施し、島の一部のように見せかけていたが…しばらくして、米軍機からこんなビラがまかれた。
      「艦上の植木が枯れてきてますよ。そろそろ取り替えてはいかがでしょう」
      • 改になる前の着物の柄は、この話が由来であると推測される。
      • ちなみに同じビラは近くに停泊していた利根にも撒かれており、彼女の乗員たちは地団駄踏んで悔しがったという。が、動かす油もない当時の情勢ではどうにもできなかった。
      • この擬装に関して戦後海軍報道班員の一人は「この擬装は誤算ではないのではなかろうか、呉周辺の防空砲台と協力して来襲機を一機でも多く撃墜することを考えるべきではなかったのか、スクラムを組んだ防戦が効果的であっただろう」とコメントしている。
      • ただし同じことは米軍もやっている(重巡ペンサコラ)。
  • 一航戦解隊後は対空砲台として引き続き呉基地に停泊していたが、終戦直前の1945年7月28日、呉軍港空襲で米軍機の攻撃を受け浸水。
    人員不足で応急修理もままならず、やむなく総員が退艦したのち、その巨体はガラガラと錨鎖を引きずりながら横転、着底してしまった。
    艦を失った乗員たちは対岸の渡子国民学校を仮兵舎として起居することとなった。
    横転してなおマストに掲げられたままだった大軍艦旗も8月に降ろされ、全乗員が見守る中、ラッパ譜『君が代』の吹奏とともに校庭で奉焼された。
    倒れ込んだままの巨体はそのまま終戦を迎え、11月30日に除籍。1947年7月31日に浮揚作業が終わり呉港に曳船、同年末に解体完了。
    • 撃沈前の1945年5月22日の三子島周辺
    • 終戦後の1947年3月17日の同地点
      • この時点では浮揚作業中で、三子島の南で着底・横転している姿が確認できる。
      • 北東に居た葛城は、復員任務を完了し、日立造船桜島工場で解体作業中である。
      • 音戸町坪井にて大破・着底している伊勢、さらに北東の呉警固屋で着底している青葉の姿もある。
    • 呉軍港空襲は3月から始まっており、その頃からのダメコンの不備により、至近弾で生じていた多数の小破穴から浸水、横転したと言われている。
      • 中破絵で寝そべる体勢になっているのはこの史実に基づいての表現か。
      • この姿はしばしば「連合艦隊の最後」の象徴として本に載せられていた。カラー写真カラー映像も残されている(00:20-02:15)。
  • 解体された際に艦体の一部を当時の運輸省鉄道総局*2が函館港の浮き桟橋にすべく引き取っている。
    • 当時低質な戦時標準船や戦中に酷使された他航路からの転属船で運行され、船舶の故障が頻発していた青函連絡船の修理・整備用のプラットフォームとして期待されていたのだ。*3
      かくして天城の艦体の一部は全長140mほどに短縮化された形で呉を出発して1948年8月19日に函館港まで曳航され、青函連絡船の有川貨物桟橋に係留。五稜郭工場工機部の人員を載せて実際に連絡船修理を請け負った。
    • が、この浮き桟橋は使い勝手が悪く、さらに程なくして地元の中堅造船所である函館船渠*4が機能を回復し、連絡船の修理がそちらで行われるようになったため、使い勝手の悪い浮き桟橋は翌年の1949年8月に機能廃止。
      運輸省から大蔵省に移管された浮き桟橋はあまりにも巨大で民間転用も難しく、結局スクラップ業者に売却され、建築用の鉄筋材に姿を変えたという。
      放置セリフやクリスマス専用ボイスで函館について言及しているのはこのためであろう。*5
      • 1948年8月27日撮影の米軍空撮写真に有川貨物桟橋の南東に四角い船のような物が写っており、多分これが天城の艦体を転用した浮き桟橋である。
        この写真は国土地理院のアーカイブで閲覧できる*6ので、興味があるならぜひ見てみると良いかもしれない。
      • なお一緒に駆逐艦を回航し函館港の防波堤に使用する案もあったようだが、こちらは実現しなかったようである。
  • 「天城」という艦名は日本の艦艇としては三代目。
    • 初代「天城」は海軍黎明期に横須賀造船所(後の横須賀海軍工廠)にて竣工した木造汽帆走スループ艦。
      壬午事変や日清戦争に従軍し、日露戦争中に軍艦籍を外れ、1908年に廃艦。鳥羽商船学校に寄宿舎として売却されたのだが、老朽化により1916年に解体された*7
    • 二代「天城」は天城型巡洋戦艦のネームシップとして建造されたが、ワシントン海軍軍縮条約により姉妹艦赤城とともに航空母艦に改造されることになった。
      …が、関東大震災により大破し、進水することなく解体。もともと廃棄予定だった加賀が彼女の代わりに空母に改造されることになった。
      • ちなみに、解体後の二代「天城」の鋼材の一部は横須賀工廠内で浮き桟橋を作る際に転用され*8、戦後、横須賀工廠が米軍利用施設となってからも「10-11号バース」という名前で2007年まで使用されていた。
        その後は民間に払い下げられ、約100年経った現在もジャパン マリンユナイテッド(JMU)横浜事業所磯子工場で使用されており、googlemapでその姿を確認できる
        奇しくも、現在同所では新生護衛艦「かが」の建造が進められている。
      • また、天城搭載用に用意されていたボイラーは「間宮」の心臓部へと流用されている。
      • なお、天城型巡洋戦艦は3・4番艦「高雄」「愛宕*9も建造中であったが、軍縮条約により建造中止となった。
        高雄は元々の予定艦名は「愛鷹(あしたか)」で、天城型は全て「あ」で始まる山名になる予定であった*10
    • そのほか、海上保安庁の巡視船にはてるま型巡視船「あまぎ(PL67)」がいる。
      2010年3月11日に第三管区下田海上保安部所属として就役したが、2013年12月20日を以って第十管区奄美海上保安部に配属替えとなった。なお、配属替えに伴う船名変更はなかった。*11 *12
    • 天城という艦名は伊豆半島の「天城山」に因む。
      「天城山」という単独の山はなく、伊豆半島最高峰の万三郎岳などからなる連山の総称である。
      なお、「天城」と聞いて多くの人が連想する演歌の「天城越え」は天城連山を越える天城峠のことで、川端康成の『伊豆の踊子』の舞台にもなっている。
      • 空母の艦名の命名基準は、雲龍までは「空を飛ぶ瑞祥の動物」であったが、ネタ切れになったためか昭和18年6月に艦船の命名基準が改訂され、元は一等巡洋艦の命名基準だった山岳名が追加された。*13
      • 因みに瑞祥動物は最近になって海上自衛隊の潜水艦名の命名基準に追加された。これに則ってそうりゅう型潜水艦が命名されているが、現在就役中の7隻のうち、空母に使われていたのは一番艦の「そうりゅう(蒼龍)」と二番艦の「うんりゅう(雲龍)」だけである。つまり瑞祥動物でもあと5つは最低でも確保出来たハズ
    • 余談だが、鹿児島県徳之島には天城岳があり、これを中心とした山塊は横から見ると女の人の寝た姿に見えることから寝姿山とも言われるそうな。ただし仰向けである
    • 市川崑監督の金田一耕助映画「獄門島」(1977年)のオープニングに、焼け野原となった広島に続いて呉港で擱座した「天城」の実写映像がインサートされている。終戦直後の瀬戸内・復員・金属供出といった問題が事件に絡むこの作品ならではのセレクトらしい。

この艦娘についてのコメント Edit

過去ログ

最新の15件を表示しています。 コメントページを参照

  • 2017夏イベ E-2で出たよ -- 2017-08-12 (土) 08:40:01
  • e-3丙 ボスマスゲージ消費時に一発で来ました。雲龍型コンプやったぜ -- 2017-08-12 (土) 12:38:21
  • 全く意識せずにE-3攻略してたらポロっと泥。今は設計図の余裕がないからちょっと待っててな。 -- 2017-08-13 (日) 00:29:39
  • ノーマークだったから出てきて驚いた。掘りを頑張っている方々にもドロップしますように。 -- 2017-08-13 (日) 12:52:27
  • E-3戦力ボスでドロップするのはいいんだ。2隻も要らない…ってか、君は15冬で当鎮守府に着任してるんだ…。 こういう時は本気でトレード機能が欲しいよ。 -- 2017-08-13 (日) 21:40:39
  • 天霧堀ですでに4人泥・・・三連装集中配備用の餌を持ってきてくれると喜ぶべきか・・・? -- 2017-08-14 (月) 01:06:37
    • 改装しようにも設計図要求するからなぁ -- 2017-08-14 (月) 15:56:03 New
    • うちも天霧捜索中にきた。あと一文字足りないけど初配備でうれしい -- 2017-08-17 (木) 22:45:59 New
      • なるほど!。一瞬意味が分らなかった・・・深い。 -- 2017-08-19 (土) 00:58:27 New!
  • 春イベ泥失敗してE-3で何も知らないで泥したから驚いたぞ・・・ -- 2017-08-14 (月) 19:36:46 New
  • 春イベで300Sくらいして漸うお迎えした所に、夏イベE3攻略中にドロップ・・・これも物欲センサーってやつの仕業なんだ -- 2017-08-16 (水) 19:42:22 New
  • E-3周回でいきなりきて驚いたわ まあ空母は多いほどいいけどさ  -- 2017-08-16 (水) 21:00:48 New
  • E-3輸送でようやく出た・・・・・・2年前からの悲願がようやく達成された・・・・・・ -- 2017-08-16 (水) 21:58:44 New
  • E-3のゲージ削りで出たけど牧場にしたほうがいいかな? -- 2017-08-17 (木) 11:28:44 New
  • グラ変わるから改と両立したいし、来てくれないかなー -- 2017-08-17 (木) 23:03:01 New
  • 着物は可愛いんだけど、着るならやっぱ胸は潰さないと太って見えるなー -- 2017-08-18 (金) 12:34:25 New!
  • 天城さん出てきてくださいませ〜 -- 2017-08-18 (金) 18:24:00 New!
  • やったぜ! E3甲輸送1周目で、念願だった2隻目の天城ドロップ。 ・・・通信速度低下中で、ホロ背景のみ(笑)だったけどな! -- 2017-08-18 (金) 22:39:46 New!
お名前: URL B I U SIZE Black Maroon Green Olive Navy Purple Teal Gray Silver Red Lime Yellow Blue Fuchsia Aqua White




*1 マリアナ沖海戦直前の予定では、雲龍と天城で第五航空戦隊を編制し第六〇五航空隊を配備する手はずになっていたのだが、マリアナ沖で空母機動部隊が壊滅したため、五航戦新編は中止。雲龍型は一航戦編入に変更となった。
*2 戦前の鉄道省の後身で、後の国鉄やJRの前身。
*3 青函連絡船の本来の主役である車両渡船(船体内に貨車を積んで運行する船)は終戦1か月前に行われた函館空襲により壊滅状態となっていて、終戦直後は被災復旧の車両渡船(しかも戦時標準船)や戦時急造で質が悪い戦時標準型車両渡船、休止した外地航路からの転属客船など、状態の良くない船舶の寄せ集め状態だった。
*4 現在の「函館どつく」。
*5 日本の「首」がぐらつく青函航路がこれではまずいと青函トンネル計画は実は戦前から浮いては消えていた。だが最初に具体的な話が出たのは1939年の話でありとても間に合うわけはなかった。その後戦後復興を急ぐため話は消えていたが朝鮮戦争の最中に南北双方が日本海にバラ撒いた機雷が津軽海峡に流入、津軽海峡の一部は日本の領海ではない航海のため日本は文句も言えず問題化し、青函トンネル構想は再び浮上するのである。1961年(昭和36)にようやく正式着工、途中国鉄の収益悪化により北海道新幹線も凍結され、トンネル計画自体を潰そうとする動きもあったが(トンネル完成に都合が悪い左派勢力であったことは言うまでもない)、中曽根内閣は国鉄の粛清を進める一方で在来線暫定供用の計画で強気に推進し、足掛け27年、実に物価換算で大和3隻分の予算を食いつぶして青函トンネルは完成した。特に貨物輸送において青函トンネルが重要な地位を占めているのは言うまでもないが、完成したときには国鉄そのものが消えていたのはご愛嬌。
*6 国土地理院地図・空中写真閲覧サービス 整理番号USA-M1152-48。
*7 この軍艦寄宿舎、他の商船学校生にかなり羨ましがられたらしい。
*8 「天城の船体をそのまま流用」と解説されることがあるが誤り。船底と二重底を水密区画で切り出して、高さ約2m、面積10m×15m程度の水に浮く鋼鉄の箱を4つ作り、再利用している。http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C08051377100
*9 これらの艦名は高雄型重巡洋艦に使われた。
*10 天城・赤城、愛鷹・愛宕と艦名の字面が対になるように選定されたのだが、「愛鷹山は富士山の前衛なので、主力艦の名としてはふさわしくない」という理由で、愛宕と京都の名山つながりで高雄に変更された。
*11 海上保安庁では巡視船の船名には配属地に因んだ名称を付与しており、転属に際しては船名の変更が行われるのが通例である。「あまぎ」の先代命名船の場合も「PL-128あまぎ」→「PL-128よなくに」「PL-121げんかい」→「PL-121あまぎ」と船名変更・襲名が行われており、「PL-67あまぎ」のように配属が変わっても船名が変更されないのは極めて異例。
*12 「PS-04きりしま」も、串木野海上保安部→宮崎海上保安部→日向海上保安署と配属替えに伴う船名変更がなかったが、これは串木野海上保安部に所属していたときに対処したある事件の功績によるものである。
*13 この時の改訂では空母に旧国名も追加され、大和型戦艦から空母に改造された信濃はこの基準にそって命名されたとされている。……が、実際にはそれ以前の段階で名前は内定していたので、言い訳に過ぎず、実際には加賀と大差ない。より正確に言えば、加古の事情に近い。同様に山岳名も鳥海が最後ではなく、伊吹が内定している。というか、陸海軍揃って兵力の不充分を昭和陛下に隠していたので、陛下に上奏するとそれがバレてしまうので内定していた名前を使い倒すことにしたのだ。「これ米内、重巡1隻無いではないか」。……ちなみに、空母につける瑞祥動物も、実はまだ10程候補が残っていたりする……。