No.103 | ||||
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日向・改(ひゅうが) | 伊勢型 2号舰 航空战舰 | |||
舰船属性 | ||||
耐久 | 77 | 火力 | 63 | |
装甲 | 75 | 雷装 | 0 | |
回避 | 40(36) | 对空 | 45 | |
搭载 | 44 | 对潜 | 0 | |
速力 | 低速 | 索敌 | 22 | |
射程 | 長 | 运 | 30 | |
舰载 | 装备 | |||
11 | 35.6cm連装砲 | |||
11 | 瑞雲 | |||
11 | 未装备 | |||
11 | 未装备 | |||
改造表 | ||||
日向 → 日向改(Lv10) | ||||
航空運用能力を付与された航空战舰、日向だ。 レイテでも奮戦したぞ。 戦略物資輸送作戦「北号作戦」も思い出深いな。 ああ、そうだ、海自のDDH「ひゅうが」に名は受け継がれている。 |
※舰船属性は改造直後Lv10のもの カッコ内の数値は図鑑に表示されているもの
台词(cv:大坪由佳) | |
入手/登录 | やっと時代が私に追いついたのか…… |
母港/详细阅览 | あ…君…まだ居たんだ。 |
単なる战舰の時代は終わったな | |
第一護衛隊群って…なんだ… | |
编成 | 四航戦、出撃するぞ! |
出击 | 航空战舰日向、推参! |
四航戦、出撃するぞ! | |
选择远征时 | …まあ、そうなるな。 |
发现道具 | …まあ、そうなるな。 |
开战 | 航空战舰の真の力、思い知れ! |
航空战开始时 | まあ…後部甲板は楯ではないのだが… |
夜战开始 | 面倒だな。ここで殲滅させてもらう。 |
攻击 | そうだ、艦載機を放って突撃。これだ… |
航空战舰の真の力、思い知れ! | |
まあ…後部甲板は楯ではないのだが… | |
小破 | っ!やるじゃないか… |
当ててくるな…。ちっ! | |
中破 | |
爆衣画面 | あぁ…この格好は、伊勢には見せたくないな… |
胜利MVP | そうか…やはりこれからは航空火力艦の時代だな…。最上の奴も頑張っているか? |
回港 | 艦隊が帰ってきた。全艦健在だといいな。 |
补给 | まさかの航空战舰の時代か? |
改装/改修/改造 | まさかの航空战舰の時代か? |
…まぁ、そうなるな。 | |
やっと時代が、私に追いついたのか… | |
入渠(小破以下) | 修理しても、SH60K(ロクマル)は積めないぞ。 |
入渠(中破以上) | VLS?いや、そんな武装は知らんぞ。 |
建造完毕 | 我が艦隊に新顔だ。迎えに行こう。 |
显示战绩 | 君に連絡だよ。…いや、私ではない。 |
击沉(反白) | 大破着底するのは 呉軍港内と決めていたんだがな…… まぁいい |
报时 | |
放置时 |
小捏他
- 航空战舰姉妹(妹)。が、例によって艦載機の配備遅延などで航空战舰としては運用してもらえなかった。
- が、その飛行甲板に山のように对空火砲を増設。さすがに大和には劣るが、攻撃側としては回れ右したくなるような对空火線を誇った。
- 一時解隊後再編成された四航戦(第四航空戦隊)の旗艦を拝命し、改装後初の実戦としてレイテ沖海戦に参加。
姉ともども艦長が素人同然だったが、松田司令官謹製の爆撃回避マニュアルと航空改装で増強された对空火力ががっちりかみ合い、ほぼ無傷と言っていい状態でエンガノ岬沖海戦を生き延びる。
しかし一連の海戦において帝国海軍は大敗したものの、日向と伊勢は作戦を完遂して無事帰還した。
- 海戦後一旦内地に戻った日向は伊勢と共に射出機を取った後、再び東南アジアへと進出。途中で軽巡大淀や重巡足柄、複数の驱逐舰と合流し共に各地を転々と輸送任務に従事した。
停泊中は四航戦と足柄・大淀が敵役となって驱逐舰の訓練相手をしていたと言う。*1公式4コマで伊勢型姉妹が教官役をしているのはこれが由来かもしれない。- ちなみにアメリカ軍は四航戦をフィリピン戦線の懸念材料としており、この大移動は残存勢力の集合と捉え、
「いつ攻めてくるか分からない」と北号作戦まで執拗に追いかけ続けることになる。(特に攻撃を許した礼号作戦後はさらに彼女らの動向にピリピリしていた)
しかし偵察機を飛ばして彼女らを見つけても、偵察機の存在に気づかれていて逃げられもぬけの殻だった、というのを何度も繰り返す羽目になる。
特にエンガノ岬沖海戦で取り逃がして以来四航戦に執心していたアメリカ海軍第三艦隊指揮官のハルゼーはそのたびに歯噛みしていたとか。
まさか輸送作戦に従事していたとは夢にも思っていなかったのである。
- ちなみにアメリカ軍は四航戦をフィリピン戦線の懸念材料としており、この大移動は残存勢力の集合と捉え、
- 45年2月には戦略物資輸送作戦「北号作戦」に艦隊旗艦として参加。格納庫に戦略物資を満載して僚艦ともども無傷で帰還した。
全滅覚悟の作戦だったが、それでも全艦無事に帰投した彼女らを見て海軍上層部が狂喜乱舞したらしい。
護衛戦闘機や哨戒機の支援なき過酷な任務だったが、伊勢姉妹と随伴艦の持ち帰った物資は総計しても中型輸送船1隻ぶんにも満たなかった。
しかも帰ってきた頃には燃料不足で出撃もままならず、呉港外(情島沖)で浮砲台となった。
- 以上のように、戦中は改装中を除いて第二戦隊・第四航空戦隊の旗艦を務めていたが、彼女が旗艦を務めた戦隊・艦隊・作戦とも、日向の指揮下の艦艇には一隻も損失がないという幸運な記録を持つ。
- 战舰時代の事故連発が嘘のようである。航空战舰となってからは「無事之名艦」とでもいうべき活躍だった。
战舰時代の暗い言動とうって変わって、航空战舰で吹っ切れたような艦これでの彼女の変化は、この辺りを意識したものなのかもしれない。 - 海軍内でも彼女の強運は有名だったようで、北号作戦の時も「日向、伊勢、大淀は運が強いからきっと大丈夫だ」という意見も出てたほど。
- 彼女たちが被弾したのは、北号作戦後に第四航空戦隊が解体された後である。
燃料不足のために第一予備艦(いわゆる浮き砲台扱い)となり、動けなくなってはさすがの日向もどうしようもなかった。
- 战舰時代の事故連発が嘘のようである。航空战舰となってからは「無事之名艦」とでもいうべき活躍だった。
- 連合艦隊主力艦でも数少ない生き残りだった榛名や姉ともども呉鎮守府近海に停泊していたが、3月19日と7月24日の2度行われた呉軍港空襲で大破。
艦長以下計204名が戦死し、重軽傷者は600余名に及んだ。
多数の至近弾が弾薬誘爆を起こし、浸水で7月26日に着底したが、残存クルーが無事だった機銃と12cm对空噴進砲で終戦まで戦い続けた。
航空写真を見ると甲板の半分近くが水面下だが、それでも迎撃を行ったクルーの根性には頭が下がる。- 戦後、アメリカ軍が着底した日向を調査した貴重な映像がカラーで残っている(04:30-09:30)。
船首は吹き飛び、艦橋もボロボロのままで佇む姿は、いかにこの空襲が激しいものだったかを伝えている。
- 戦後、アメリカ軍が着底した日向を調査した貴重な映像がカラーで残っている(04:30-09:30)。
- 戦後に復興資材として引き揚げられ解体処分されたが、この時の逸話がまた凄まじい。
- 解体するために引き取ったスクラップ業者が、作業のために日向を浮揚させたところ、これに目をつけた鉄泥棒が艦内に侵入。
泥棒が金でできたバルブを叩き壊すと、浸水してまた着底してしまった。生涯2度も着底した軍艦など探してもそうはいない。 - これを裁く裁判で、浮揚したとはいえ航行能力のない船は、刑法260条(建造物等損壊の罪)でいうところの「艦船」になるのか?という議論がわき、
結局「艦船」ではなく「建造物」として裁かれたという。 - その後生涯2度目のサルベージを受けて、昭和22年7月に解体が完了した。
- 呉海軍墓地にある「軍艦日向慰霊碑」とは別に、そのことを記念する「伊勢日向浮揚解撤記念碑」が、広島県呉市音戸町にある。
- 解体するために引き取ったスクラップ業者が、作業のために日向を浮揚させたところ、これに目をつけた鉄泥棒が艦内に侵入。
- 唯一残された航海灯と軍艦旗が大和ミュージアムに所蔵されている。
- 時は進んで平成の世、横浜で1隻の護衛艦が進水した。
- 護衛艦として初めての全通甲板を持ち、自衛艦として初めて統合司令部機能を備え、災害派遣でも活躍できるよう医療体制も完備し、
また初めて女性自衛官が乗り込むことを前提に設計された船でもあり、まさに革新的な新世代護衛艦の1号舰だった。 - その記念すべき最新鋭護衛艦にDDH-181「ひゅうが」と名付けられた。海上自衛隊として初めての旧国名採用であった。
- 「ひゅうが」の多目的室の一角に、ひゅうがと、その背後で守護神のように見守る战舰日向の絵が展示されている。贈呈者はかつての敵手であったアメリカの企業である。
- 護衛艦として初めての全通甲板を持ち、自衛艦として初めて統合司令部機能を備え、災害派遣でも活躍できるよう医療体制も完備し、
- だいいちごえいたいぐんって・・・なんだ・・・
- あなたの子孫「ひゅうが」が旗艦を務める海上自衛隊第1護衛隊群のことです、海軍で言えば第1艦隊旗艦、つまり連合艦隊旗艦のような立ち位置なんですよ。
- 当然ながら1護群やVLSは知らないのに、ロクマル(SH-60)は何故かご存知なんですね、航空機に関しては抜かりがない、さすがは航空战舰です。
- 貴女の子孫ひゅうがは、竣工直後で参加が間に合わなかった「いせ」の分まで、航空運用力を最大に活かして東日本大震災の救援活動に奮闘しました。