遠距離恋愛/ep01

Last-modified: 2013-07-23 (火) 21:48:46
ep01
「あは、そりゃ離婚でしょ。」
 

電子メガネをかけていると、まるで本当に、女1がここにいるような気がする。
現実には、ここに女1はいない。女1の姿はメガネ内に表示されている。その姿を見ることができるのは、俺ひとりだ。
女1「あれ? 画面が切り替わらないよ?」
女1が案内図に顔を近づけて言った。
## 大型ショッピングモール。案内図 (デジタルサイネージ) の上部にはカメラが埋め込まれている。カメラは付近の客の性別・年齢を識別し、最適な案内図に切り替える。例えば、若い男女を認識したら、軽食処やアミューズメント施設を表示する。
## 現在、案内図のカメラは男1だけを認識したので、若い男性向けの店だけを表示している。
俺「そりゃ、このカメラは女1が見えてないんだから、しょーがない。声で操作するよ。」
俺は案内図のカメラに向かって、話しかける。
俺「表示を変えてくれ。俺くらいの年齢の、カッp……男女2~3人のグループに、おすすめの店は?」
案内図の表示が変わる。
女1が俺のほうを見てニヤニヤしている。
女1「カッ…? なんて言いかけたの?」
俺「かっ…勘違いしないでよね別にアンタのこと以下略」
女1「なにそれ、平成文学?」
女1が笑う。
## 傍から見ると、男1が独り言を言っているように見える。しかし電子メガネや携帯電話があるので、奇異に思われることはない。一人の通行人が迷惑そうに「音量下げろよ…」とつぶやいて通り過ぎる。

 

俺は記憶をたどる。女1と知り合った…と言える…のは、3年前。
つまり 2068年。

 

俺が中学2年のときだ。
## 2068年 4月下旬。横浜市。丘陵地の住宅地。桜の花はほとんど散った。花びらが路上で渦を巻く。晴れた平日の朝。
## スポーツタイプの自転車を駆る、学生服の少年が男1。流線型のヘルメットをかぶり、電子メガネをかけている。
## 自転車のフレームが二重になっているように見えるが、そのうち一本はバッテリ。発進時と上り坂で、かすかにモータの音が鳴る。
## 男1は車道の左端に設置された自転車レーンを走行している。レーンには進行方向を示す矢印があるので、逆走する自転車は皆無。
## 自転車の右は車道で、電気バス・電気自動車が通り過ぎる。電気自動車はあまりに静かなので、事故防止のため、わざと走行音を出す装置を搭載している。それでも十分に静かだ。走行音はカスタマイズ可能で、往年の名車のエンジン音や、電車や蒸気機関車の音、馬の足音などを選べる。
## たまにバイオ燃料のハイブリッド車が通り、中華料理のような匂いの排ガスを残していく。
## 中学校前の交差点。男1の自転車は、横断する生徒たちを待つために停車する。そのとき男1が電子メガネを操作すると…
先生「こーら男1、走りながらメガネを操作するな!」
俺「走ってません! ちゃんと止まってから操作してます!」
## 超少子・超高齢社会。小中学校も統廃合が進んだ。数が減った中学校に、広い地域から生徒が通学する。このため、2km以遠の生徒に限って、自転車通学が許可されている。
## 男1は中学校の駐輪場に自転車を止め、ヘルメットを脱ぎ、自転車の電源を切る。

 

## 男1が教室に入り、数名に挨拶し、席に座る。
## クラスの男女比はほぼ1:1。チェスボードのように男女が交互に並んでいる。
(俺は、いつだったか、なぜ男女をチェス盤のように並べるのか、誰かに聞いた気がする…ま、そのうち思い出すだろう)
## 女1の席は男1の隣。
女1は席につくなり、俺に話しかけた。
女1「ねーねー聞いてよ! さっき、こんなに大きいカエルがいたんだよ!」
女1は両手を使って、直径20cmくらいの大きさを表現する。

 

これが、俺が思い出せるかぎり最も昔の、女1の台詞。

 

俺「そんなに? 本当かよ。俺が見たことあるのは、せいぜいこれくらいのアマガエルだな。」
俺は指を使って 5cmくらいの大きさを表す。
女1「やー、たぶんあれはアマガエルじゃないね。茶色くて、なんかごつごつしてた。」
俺「え、触ったの?」
女1「いやいや、触ってないよ、皮膚の見た目がごつごつしてたの。」
俺「うん、触らないほうがいいかもね。毒があるカエルもいるし。」
女1「えー、ほんと?」
俺「や、聞いた話だけど、外国のカエルでね、強力な神経毒を持つやつがいて、原住民はその毒を弓矢に塗って、狩りに使ってるとか。」
女1「うわ怖い。でもさっき見たのは、色も地味だったし、そんなに…」

 

女1は、よくしゃべる奴だ。女子グループでしゃべってることが多い。
しかし、それ以外のちょっとした隙間時間には、隣に座る俺に話しかけてくる。たとえば朝の着席前後、休み時間の始まりと終わり。

 

女1「それって電子メガネだよね? 光学メガネじゃなくて。」
女1は、俺がかけているメガネを指して言う。
俺「ん、俺、色盲だから。セキリョク・シキカクショーガイ。」
赤緑色覚障害。
女1「ああ、聞いたことある。クラスにひとりくらいの割合でいるんだよね。なんだっけ?」
俺「赤と緑の区別がつかない。というか、小さいころは、「アカ」と「ミドリ」は、ひとつの色をふたつの言葉で呼んでるんだと思ってた。」
女1「ふーん…じゃあ、ピーマンとパプリカの見分けがつかないとか?」
俺「そ。ピーマンのうち、大きめのやつをパプリカって言うんだと思ってた。それから、緑茶と紅茶が同じ色に見える。」
女1「えー、それはちょっと不便だね。」
俺「だから、このメガネなわけ。」
女1「ん? どういうこと?」
俺「たとえば…」

 

俺は電子教科書をカバンから取り出す。
## 電子教科書は、パンフレットのような形。弾力のある樹脂シートが2枚、ヒンジで接合された構造。シートの表面はタッチパネル、裏側は太陽電池。つまり、2枚を見開きにすると2画面のタッチパネルが上を向く。あまり性能を追求しないのであれば、ナノ印刷やナノ鋳型といった技術によって、安価に量産できる。
## 公立の学校では、多くの場合、小学生までは紙の教科書を使い、中学生から電子教科書を使う。
俺は画面を操作して、美術の教科書を開き、色相環のページを表示した。
俺「俺の裸眼だと、このへんと、このへんが、ほぼ同じ色に見える。」
女1「ええっ、そうなんだ。」
俺「でもメガネをかけると、こっちがアカで、こっちはミドリ、と「見分ける」ことができる。」
女1「どういうこと?」
俺「アカには目印が表示されてるんだ。メガネの画面では。」
俺はメガネを外し、内側を女1に向ける。
女1「あー、本当だ。赤のところに模様がオーバレイされてる。」

 

女1「そーかそーか、べつに大人の真似してメガネかけてるわけじゃないんだね。」
俺「ん。そりゃ他にもいろいろソフト入れてるけどね、地図とか自転車の距離計とか。でも、なくなったら困るソフトをひとつ挙げろといえば、この色覚補助だな。」
女1「でも不思議だなー、男1くんって、他の人とは「違う世界」を見てるわけでしょ? すごく中2ごころをくすぐる設定だよね。」
俺「設定ゆーな。俺は小学生のときからメガネで、苦労してんだよ。」

 

他にも、こんな話をしたような気がする。

 

俺「よ。」
女1「あー、おはよ。そーいえばさー、男1くんって、小学校のとき同じクラスだったよね、3~4年のとき。」
俺「そか。…ん…ごめん、俺は女1さんのこと、覚えてねーや。」
それは間違いない。この女1のように、よくしゃべり、よく笑い、そして外見が俺好みである女子は、見たことがない。…あの6年生のときの女子は、こいつとは別の人間だ。
女1「えー、覚えてないの? まーね、ムリもないけど。その頃ちょうど、パパが…お父さんが大変だったから、私もあんまり元気なかったし。」
俺「んー? 小学校のときねえ、どんなだっけ?」
俺は曖昧に言った。
たしか俺はその頃、工作した模型自動車を体育館で競争させるのに忙しくて、休み時間は教室にいないことが多かった。それもあって、女1と同じクラスだったという記憶がない。
女1「小3のときパパが変になってさ。まあ、ママに合わせるために我慢を続けて、不満を溜めすぎたらしくて。それで結局、小4のとき離婚したんだよね。」
俺「じゃ、女1さんは、お母さんと一緒に暮らしてるの?」
女1「そう。お父さんは今、あちこち旅しながら、たまに遠隔操作で仕事してるみたい。」
## 女性が柔軟な労働条件をとれるようになった。男女の収入格差もほぼ解消された。家事はロボット技術によって大幅に省力化された。少子化対策として、子育て支援サービスも充実している。
## 母子家庭になっても、母の収入だけで、子供は不自由なく生活できる。経済的な理由・育児上の理由で離婚をためらう、ということがなくなった。
## その結果、離婚は増えた。
俺「色盲と、親の離婚。どっちが多いんかね。」
女1「あは、そりゃ離婚でしょ。」
女1は、まったく不快な表情を見せず、小動物のような声で笑った。

 

## 夕方。
## 徒歩で帰る女1。その横を追い抜き、自転車で帰る男1。
## 中学校から男1の家までは下り坂。回生ブレーキをかけると、バッテリが少し充電される。ハンドル表面に巻かれた画面で、電池残量の目盛がひとつ増えた。

 

別の日。

 

## 小学校の6年間、英語の授業がある。
## 中学校からは、数学・理科の授業も英語で行われる。
数学の授業で、幾何の問題をやったときだった。
## 生徒は電子教科書に答えを入力している。入力にはタッチペンを使う。ペン先をしまったノック式ボールペンでもいい。
先生「... Five, four, three, two, one, TIME-UP! Got the answer? じゃあ女1さん、 please share your answer.」(5, 4, 3, 2, 1, 時間切れ! 答えは出た? じゃあ女1さん、あなたの解答を見せて)
女1「Not yet... halfway there...」(まだ、できてません)
## 教師の電子メガネから、生徒の回答状況を見ることができる。だから、この先生は、女1が答えを出せていないことを知っている。
先生「I know. No problem. You're very close to the goal. C'mon, stand up! Go, get'em!」(わかってます。大丈夫。だいたいあってる。さあ立って! がんばれ!)
先生に促され、女1が黒板の前まで行く。
## 電子教科書の時代だが、黒板は昔のままだ。
## 教師用端末が教卓に置かれている。端末のプロジェクタを使って、黒板に問題が投影されている。正方形と、その頂点を通る線分がいくつか表示されている。図形の上には「Prove AP = BP + DQ」(AP = BP + DQ を証明せよ) とある。
女1がチョークで答えを書いていく。
女1「Let a point E on the line BC such that the length of the line segment BE is equal to that of DQ...」(直線BC上に点Eをとる。ただし線分BEの長さは線分DQの長さに等しいとする...)

 

女1の手は、証明の途中で止まった。
先生は眼を動かして電子メガネ内の表示を見てから言う。
先生「Next, 男1さん, continue.」(次、男1さん、続けて。)
俺「え、俺? まだ英語で書けてないっす。」
俺は、答えはわかったものの、証明の形には完成していなかった。
先生「No problem. C'mon, move, move, move!」(大丈夫。さあ行け行け行け!)
そんなわけで、俺も黒板の前に立った。

 

黒板の前で、俺と女1は小声で話す。
俺「アングルBAQは、アングルDQAと同じ。」
女1「どうして?」
俺「ABCDはスクェアだろ、だからABとCDがパラレルで、DQAとBAQの位置関係は…なんて言うんだっけ?」
女1「Alternate-interior angles.」(錯角)
俺「DQAイコールBAQ, BAQイコールEAP」
女1「あっ、わかった!」

 

女1が続きを黒板に書く。
女1「The line segments AB and DQ are parallel because ABCD is a square and the point Q is on the edge CD.」(ABCDは正方形で、点Qは辺CD上にあるので、線分ABとDQは平行である)
女1が物凄いスピードでチョークを動かす。俺は驚いて言う。
俺「よく証明を英語で、そんなにすらすら書けるな…」
女1の耳には届いていないようだ。
女1「∠BAQ and ∠DQA are alternate-interior angles to each other with respect to parallel lines AB and CD, thus ∠BAQ=∠DQA.」(∠BAQと∠DQAは、平行な直線AB・CDに関して錯覚であるので、∠BAQ=∠DQA)
静かな教室の中に、機関銃のようなチョークの音だけが響く。
やがて証明の締めくくりに入った。
女1「Therefore, AP = EB + BP = BP + DQ. Q.E.D.」(したがって AP = EB + BP = BP + DQ。証明終わり。)
女1は、ひとつ息をはいて黒板全体を眺めてから、みんなのほうを振り返った。

 

先生が満足げな表情で立ち上がった。
先生「Great proof! Everyone, give them a big round of applause for their teamwork!」(良い証明だ! みんな、彼らのチームワークへ、盛大な拍手を!)
いつものように先生が拍手すると、教室から控えめな拍手が起こった。
俺が女1のほうを見ると、女1も気づいてこっちを向いた。
俺はビシッと親指を立てる。すると女1も満面の笑顔になって、親指を立てて返事した。

 

俺は思う。
多くの女子は、アイドル歌手、俳優、楽器奏者などに憧れる。ステージの上で注目を浴びるのが好きなようだ。
すると、この先生の授業スタイルは、女子向けなのか。
どうかな。わからん。

 

そうだ、思い出した。チェス盤の理由。
男A「せんせー、どうして男女の席が、こうナナメに交互になってるんですか?」
私語で騒がしいホームルームの時間。
担任は、一瞬の間をおいて、答えた。
担任「聞きたいか? いいだろう…理由はふたつ! 1つ目は…」
担任は、男Aだけでなく、クラス全体を見て言った。
担任「おまえらのおしゃべりを減らすためだ! 男どうし、女どうしが並んでたら、授業中に私語ばっかりするだろうが!」
生徒たちの私語の音量は、ほんの少しだけ小さくなった。
担任「2つ目の理由は…少子化対策だ! この並びなら、ほとんどの場合、前後左右が女子に、じゃない、異性になるだろ? だから否応なしに異性としゃべることが増える! そうして異性への苦手意識をなくしていけってこった!」
なぜか担任は怒りモードに入った。
担任「オレの時代なんて、男の縦一列、女の縦一列、みたいに並んでたんだぞ! それに比べりゃ、おまえらイージーモードすぎんだろ! くそっ、爆発しろ爆発しろ爆発しろ!」

 

その頃は、女1がいなくなるなんて、思いもしなかった。