概要
- 姓
- 夏侯(かこう)(Xia hou)
- 名
- 覇(は)(Ba)
- 字
- 仲権(ちゅうけん)(Zhongquan)
- 諡
- ?
- 所属勢力
- 魏⇒蜀漢……延煕十二年(蜀漢暦)より蜀漢の将となる
- 生没年
- 191?~257?((後漢)初平2(魏)甘露2<←合ってるのか!?>)
- 出身地
- ?
- 最終経歴
- ?
略歴
- 父は夏侯淵(字:妙才)
- 父の夏侯淵を定軍山の戦い(対蜀漢)で失ったため、常に(蜀漢に対して)復讐の機会を狙っていた
- 嘉平元年(249年)に司馬懿が曹爽を誅殺、夏侯玄が朝廷に召集に呼ばれる、仲の悪い郭淮が夏侯玄に代わって征西将軍の後任になるなどの一連の事態が起こり、自らの身に危険が及ぶのではないかと恐れ蜀漢に逃亡
- 延煕十二年(蜀漢の暦)に蜀漢に降る
年表
西暦 | 出来事 |
219 | 父である夏侯淵を定軍山の戦いで失う。 |
220~226 | 偏将軍となる。 |
230 | 曹真 が子午谷を通って漢中への侵攻を試みた際先鋒として興勢を包囲。 |
240~248 | 征蜀将軍となり征西将軍夏侯玄の配下につく。 |
244 | 曹爽の蜀征伐で先鋒を勤め、この戦いの要地となった興勢を包囲。 |
247 | 羌族が反乱を起こした際諸軍を率いて羌族と戦う。 |
雍州にて、郭淮と共に姜維と闘う。 | |
249 | 司馬懿がクーデターを起す。曹爽が誅殺される。夏侯覇は蜀に亡命。 |
255 | 衛将軍姜維らと共に北伐に行く。 |
正史と演義の差異
- 夏侯覇が姜維の参謀になるというのは、演義におけるフィクションだそうです
親交のあった人物
姓名の意味・解説
史家・後世の評価
豆知識
- 車騎将軍となった夏侯覇は張嶷に「あなたとは今まで遠い関係でしたが、昔から知っていた人であるかのごとくあなたを慕っております。この心をお察しくだされ。」と友好を求めた。これに対して張嶷は「私はあなたをまだ知らぬ。あなたも私をまだ知らない。願わくば3年後に同じ言葉をかけてくだされ。」と答え、有識者から賞賛された。
- 夏侯覇の数奇な運命は、元をただせば戦場で逃げ遅れた敵の家族の美少女を 拉致して手篭めにして結婚してしまった張飛がすべての元凶?
没年に関する推測
256年に姜維は段谷にてトウ艾と交戦しているが、夏侯覇が共に戦ったという記述は無い。255年には共に北伐に参加しているので、256年の時点で逝去していたか、病の床にあったのではないかと考えられる。
死に方に関しても戦死したとの記述はなく、不明である。
書物
- 『長江落日賦』 【著】田中 芳樹 出版社 : 徳間書店
- 「白日、斜めなり」
- 魏の司馬懿のクーデターにより、蜀(蜀漢)へ亡命することになった夏侯覇の亡命後の日々を描いた短編
コメント、突っ込みなど(要署名)
- 正史も演技もさっぱりですヽ(`Д´)ノHELP orz(powered by 元榛)
- ……亡命先に呉という選択肢は無かったんだろうか…。(何も仇敵に降らなくても…。)(みなと)
- どっかで蜀に行く途中遭難したって見たんですけど 地図が読めんかっt(略 (爆丸)