黄崇

Last-modified: 2021-04-03 (土) 20:26:59

概要

黄(こう)
崇(すう)
所属勢力
生没年
?~263年
出身地
最終経歴
尚書郎

略歴

  • 蜀の光禄勲・黄権の子。
  • 夷陵の戦いの敗戦で黄権がやむなく魏に降った際、群臣の中には黄崇ら黄権の家族を処罰すべきとの声もあったが、劉備は黄権が降ったのは自分の責任であるとの事で罰しなかった。
  • 蜀においては尚書郎となるが、263年の魏の侵攻において鄧艾率いる魏軍部隊が険阻な山道を越えて益州盆地に侵入しようとした際に諸葛瞻に対して盆地に侵入する前に要所を抑えて迎え撃つべきだと進言するも聞き入れられなかった。
  • 諸葛瞻に従い綿竹で鄧艾の部隊と戦うも戦死した。

年表

正史と演義の差異

親交のあった人物

姓名の意味・解説

史家・後世の評価

豆知識