許儀

Last-modified: 2021-02-28 (日) 19:32:47

概要

許(きょ)(Xŭ)
儀(ぎ)(Yí)
所属勢力
生没年
?~263年
出身地
最終経歴
牟郷侯

略歴

  • 許褚の子で父の死後に牟郷侯を継いだ。
  • 263年の蜀侵攻の際に鍾会の軍に属して進軍の為の橋の架橋を命じられたが鍾会の馬が足を取られた為に鍾会は落馬、激怒した鍾会は許儀を処刑した。
  • 魏の功臣である許褚の子という事で助命すべきと意見する諸将は多かったが、鍾会は聞き入れずに処刑を決行した。
  • 子に許綜がおり遺領を相続している。

年表

正史と演義の差異

  • 演義でも橋整備の不手際で鍾会に処刑されるのは同じ。その直前には鍾会軍の先鋒として蜀の盧遜が守る南鄭関を攻撃するも盧遜の連弩に苦戦して撤退する。

親交のあった人物

姓名の意味・解説

史家・後世の評価

豆知識