キャラクターデータ
七尾城(ななおじょう) CV:加隈亜衣 イラストレーター:● | ||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
レアリティ | 武器 | 属性 | ||||||
☆☆☆☆ | ||||||||
地域 | ||||||||
北陸・東海 【能登】 | ||||||||
築城時間 | ||||||||
●00:00:00 | ||||||||
図鑑説明 | ||||||||
名門畠山(はたけやま)によって 築かれた城、七尾城である。 名前の由来は石動山(せきどうさん)の 「七つの尾根」から来ているのだ。 日本五大山城にも数えられるこの雄姿、 とくと目に焼き付けるがよい! | ||||||||
キャラアイコン | キャラドット | |||||||
ユニットデータ
ステータス
巨大化 | 初期配置 | 1回 | 2回 | 3回 | 4回 | ||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
耐久 | ◯◯() | ◯◯() | ◯◯() | ◯◯() | ◯◯() | ||||||||||
攻撃 | ◯◯() | ◯◯() | ◯◯() | ◯◯() | ◯◯() | ||||||||||
防御 | ◯◯() | ◯◯() | ◯◯() | ◯◯() | ◯◯() | ||||||||||
範囲 | ◯◯() | ◯◯() | ◯◯() | ◯◯() | ◯◯() | ||||||||||
回復 | ◯◯() | ◯◯() | ◯◯() | ◯◯() | ◯◯() | ||||||||||
配置気 | 6() | ◯◯() | ◯◯() | ◯◯() | ◯◯(-) |
- ()内はLvMAX時の値
- 配置気の()内は巨大化時に消費する気の量
- 表示されているのは特技によるステータス上昇も含む値
特技
攻撃/攻撃範囲強化・弐 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
自身の攻撃が15% 攻撃範囲が15上昇 |
計略
【計略なし】 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
- | |||||||
使用まで | -秒 | 消費気 | - |
七尾城について
概要
小ネタ
- 上杉謙信も攻めあぐねた名城として知られる七尾城。
- 謙信は堅固な七尾城を攻略するには水を断つしかないと考え、水源を封鎖ないし破壊した。しばらくして、もはや城中に水はないだろうと思って様子をみると三の丸あたりに滝が見えたのである。「こんなに水が豊富であればもはや攻めきれない」と判断し、退却を決意しようとした。が、滝に鳥が群がっていた。そこで謙信は「水のかわりに、白米を流していたのだ。鳥が群がっているのは白米だからだ」とこの作戦を見破り、七尾城を陥落させた。
- 実は、これは白米城伝説と呼ばれるもの。この手のエピソードはあちこちの城にある。各自、探してみると面白いかもしれない。
- また、某有名戦国シミュレーションゲームの第三作目(『戦国群雄伝』)でも登場したが、その時はしょっぱい小城だった。そのため、次作の公式攻略本で畠山義綱に「『群雄伝』は余りにもわしを馬鹿にしている。軍神といわれた謙信さえも落しあぐねたのだぞ」と述べさせている。
- 謙信は堅固な七尾城を攻略するには水を断つしかないと考え、水源を封鎖ないし破壊した。しばらくして、もはや城中に水はないだろうと思って様子をみると三の丸あたりに滝が見えたのである。「こんなに水が豊富であればもはや攻めきれない」と判断し、退却を決意しようとした。が、滝に鳥が群がっていた。そこで謙信は「水のかわりに、白米を流していたのだ。鳥が群がっているのは白米だからだ」とこの作戦を見破り、七尾城を陥落させた。
- やたらと温泉について言及しているが、これは七尾湾にある温泉郷、特に和倉温泉を指すと思われる。
- 何故かと言うと、和倉温泉を整備したのが城主であった畠山氏および前田氏だからである。
- 十五世紀頃まで七尾湾の温泉は海中から湧き出しており、そのため引き潮でなければ利用できなかった。(和倉はこの「涌く浦」に由来する)
- この海中温泉の周りに石を積んで囲ったのが畠山氏であるとされる。
- その後前田氏によって湯島として整備され、和倉と改名。温泉地が完成する。
- 今でこそ加賀屋をはじめとする高級温泉街としての色濃い和倉温泉だが、江戸時代には普通の温泉街として賑わっていたそうな。
- 和倉は七尾湾の南側にあり、七尾城はさらにその南に位置していた。天正年間に廃城となった七尾城だが、その後も晴れた日には山から七尾湾を、そして温泉を眺めていたのかもしれない。
- 何故かと言うと、和倉温泉を整備したのが城主であった畠山氏および前田氏だからである。
アクセス
- JR七尾線七尾駅から市内巡回バス「まりん号」東回りで約13分「城史資料館前」下車、本丸まで徒歩約60分。
- 七尾畠山氏の初代当主で能登国守護の畠山満慶が正長年間(1428年~1429年)頃、石動山系の北端の標高300mほどの尾根上に築いたと考えられている。
- 当初は典型的な中世式城郭であり、規模も砦程度で、政庁もここには置かれなかった。
- 後に大小の尾根に沿って砦を配置し、大規模な山城となっていった。
- 中世式城郭であったが、畠山義続・畠山義綱の頃に能登では戦乱が続いたために増築され、縄張りもさらに巨大化。山麓にも城下町が形成され、山頂にそびえる七尾城の威容は「天宮」とまで称されたほどだった。
- そのため、1577年に能登国に侵攻した上杉謙信に包囲された時も一年にわたって持ちこたえた。
- 上述のように1577年、上杉謙信の侵攻を受けて落城する。
- 畠山家の実権を握っていた長続連は徹底抗戦のため、半ば強制的に領民を七尾城に収容した。最大で兵士・領民あわせて15000人が籠城したという。
- だが、大人数が長期間、籠城していたため、衛生状態が悪化し、城内には疫病が蔓延した。そのせいで、幼君・畠山春王丸(享年5歳。年齢には諸説あり)も死去。さらに親織田派で抗戦派の長続連と親謙信派の遊佐続光との対立も激化。遂に遊佐続光らが城門を開放し、長続連の一族100余名を殺害。遂に堅城・七尾城は陥落する。
- どんなに堅い城でも、味方の結束がなされていなければもろいという教訓かもしれない。
- 謙信の死後、上杉氏が衰退すると織田氏の支配下に置かれた。城代として菅屋長頼が入って政務にあたった後に前田利家が入る。が、その頃には既に山城の時代ではなく、利家は治世・経済上の利便性の高い小丸山に拠点を移す(小丸山城)。しばらくは利家の次男・利政が七尾城主となっていたが、1589年に廃城となった。
- 廃城になった後は幸運にも開発の影響や災害の被害を受けることがなく、当時の遺構が数多く残されている。そのため、山城の歴史上重要な遺跡として、1934年に、国の史跡に指定されている。
- 彼女の言う「日本五大山城」は他に春日山城、月山富田城、観音寺城、小谷城というメンバーなのだが、1992年に決まっており、彼女が活躍した時代等に呼ばれていたわけではない。
- 2006年、日本100名城(34番)に選定された。
もっと詳しく知りたいという人は→Wiki 七尾城
七尾城色々
- 入手時
File not found: "七尾城入手時SS.jpg" at page "七尾城:RE"[添付] - お嬢姿
セリフ | |
入手 | ● |
ログイン | ● |
本城/クリック | ● |
● | |
● | |
変身 | ● |
帰還 | ● |
編成 | ● |
● | |
所領確認 | ● |
出陣 | ● |
● | |
部隊選択 | ● |
合戦 | ● |
● | |
スキル | ● |
● | |
論功行賞 | ● |
● | |
全壊 | ● |
敗北 | ● |
● | |
後詰 | ● |
装備 | ● |
増築 | ● |
築城 | ● |
築城完了 | ● |
修繕 | ● |
探索 | ● |
探索終了 | ● |
道具 | ● |
商人 | ● |
しんがり任命 | ● |
しんがり失敗 | ● |
捕虜 | ● |
解放 | ● |
別離(反転) | |
放置 | ● |
※旧御城プロジェクトから引用
コメント
- 画像、データ追加、史実等は以前のページから移植 -- 2016-04-09 (土) 00:10:35