竹田城

Last-modified: 2014-09-10 (水) 14:47:45

城情報

竹田城は嘉吉年間(1431~1443年)に、但馬の守護大名の山名持豊(山名宗全)が有力家臣の一人である太田垣に築かせた日本を代表する山城です。当初、竹田城は砦(小規模な要塞)に近く、現在のような壮大な石積みの城郭になったのは、慶長5年(1600年)の廃城時に近い時代と考えられています。
廃城から約400年を経ていますが、石垣がほぼ当時の状態で残っており、現存する山城として日本屈指の規模となります。
竹田城の石垣は、近江国(滋賀県)坂本を中心に発達した穴太流石積み技法(穴太積・あのうづみ)と言われる織田信長の安土城と同じ技術が使われています。
天守台を中央に、南千畳、北千畳、花屋敷が放射状に配され、その姿は、虎が臥せているようにも見えることから、別名「虎臥城」(とらふすじょう・こがじょう)とも呼ばれています。

また、竹田城は標高354mの古城山(虎臥山)の上にあり、冬の早朝には雲海に包まれた幻想的な風景を眺めることが出来ます。このため「天空の城」、「日本のマチュピチュ」とも言われています。黒澤明監督の影武者や、角川映画の天と地との映画のロケ地になったことでも知られています。

所在地兵庫県朝来市
現存状態石垣など
城郭構造山城

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