17/04/20 サービス開始より実装
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能力開花 | |
限界突破 | |
技・刀装装備時 | |
贈り物 | |
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贈り物(お手入れ前) | |
お返し | |
手入れ(不要) | |
手入れ(不機嫌) | せんを放ったらかしといて、今更なによ! |
手入れ(疲労) | |
手入れ前 | お手入れお願いしま~す! |
手入れ前(親愛レベル26~) | |
手入れ前(親愛レベル40~) | |
手入れ後 | |
手入れ後(親愛レベル26~) | |
手入れ後(親愛レベル40~) | |
愛刀設定 | |
編成 | |
出撃(1番目) | |
任務開始 | |
任務達成 | |
ダッシュ | |
奥義 | |
交代準備完了 | |
交代 | |
刃こぼれ | |
コンティニュー | |
任務失敗 | |
レベルアップ | じゃじゃーん、強くなっちゃいましたー |
親愛レベルアップ | たくさん仲良くしようね |
親愛レベルアップ(親愛レベル21~) | |
親愛レベルアップ(親愛レベル35~) | |
プレイヤーレベルアップ | |
依頼開始 | はりきって、依頼いってみよう |
依頼帰還 | 待たせちゃってごめんね |
依頼結果大成功 | 大主のために、いっぱい頑張ってきたよ |
依頼結果成功 | |
依頼結果失敗 | |
依頼申出 | ちょこっと行きたい依頼があるんだよね |
┣(任せる) | さすが大主!じゃあ、行って来るね! |
┗(任せない) |
能力開花
壱
名前 | 必要アイテム1 | 必要アイテム2 | 効果 | 備考 |
---|---|---|---|---|
リーダー効果の強化 | 雪の勾玉×20 | 銅鏡×20 | リーダー効果の効果量が上がる | |
奥義の強化 | 月の勾玉×10 | 銅鏡×20 | 奥義の効果が僅かに上昇する | |
得意技の強化 | 雪の勾玉×20 | 神鏡×10 | 得意技の効果が僅かに上昇する | |
攻撃力の強化 | 礼の欠片×20 | 雪の勾玉×20 | 攻撃力が40増加する | |
攻撃力の強化 | 礼の欠片×20 | 雪の勾玉×20 | 攻撃力が40増加する | |
防御力の強化 | 仁の欠片×20 | 雪の勾玉×20 | 防御力が13増加する | |
体力の強化 | 信の欠片×20 | 雪の勾玉×20 | 体力が37増加する | |
交代後の得意技クールタイム | 義の欠片×20 | 銅鏡×20 | 交代後、得意技クールタイムが少し回復 | |
交代攻撃開放 | 仁の欠片×20 | 銅鏡×20 | 交代アイコンが光ってから交代すると、敵を吹き飛ばす | |
全開花ボーナス |
弐(開放条件:限界突破1回)
名前 | 必要アイテム1 | 必要アイテム2 | 効果 | 備考 |
---|---|---|---|---|
全開花ボーナス |
参(開放条件:限界突破2回)
名前 | 必要アイテム1 | 必要アイテム2 | 効果 | 備考 |
---|---|---|---|---|
全開花ボーナス |
雑感
※千人切について
江戸時代の幕府役人で、刀剣の試し切りや罪人の処刑などを執り行う「御様御用(おためしごよう)」を務めた山田浅右衛門一族に代々伝えられた刀。
打った刀工等は不明の、いわゆる無銘の刀であったが数多くの罪人の首を斬ったこと、特に斬首においては試刀術というカテゴリが生まれるほどに技術水準と刀の切れ味が求められたことからからかなりの業物であったのではないかと推測される。
(斬首では首の頸椎の間を狙って斬り、さらに首の皮一枚を残すのが最上手とされた)
実際にこの刀が千人の首を斬ったかどうかは不明だが、一つの記録としては山田浅右衛門の師匠であり、同役を務めた山野永久なる人物はその生涯において実に六千人以上の首を斬っていることから、千人切も相当数の首を斬っていると思われる。
特に山田浅右衛門一族は九代まで死刑執行役を努めているので、恐らく斬った首は千人どころではない数だろう。
また動乱の幕末期にはかなりのビッグネームの志士達や罪人の首も斬っており、一番の有名所では安政の大獄での吉田松陰等が挙げられる。
最後の山田浅右衛門となった九代目・吉亮を処刑前に撮影した写真が現存しており、言い伝え通りならば彼が腰に差しているのが千人切となる。
※山田浅右衛門とは
千人切の所有者の山田浅右衛門とは江戸時代の役人で前述の通り刀の試し斬りや罪人の処刑を行っていた一族で、その屋号のようなものであり、当時は「首斬り浅右衛門」などと畏敬の念を持って呼ばれていた(五代目からは浅右衛門ではなく朝右衛門と改名)
また山田浅右衛門一族は斬首に求められる技量の高さから七代までは全て養子縁組による実力主義の一族でもあった
初代・貞武は試し斬り専門の試刀術の達人、山野永久の弟子で、彼の死後にその技量を認められて当時の幕府における刀剣管理部門の腰物奉行支配下の「御様御用」の幕臣となる
だが彼は「役職は幕臣、身分は浪人」という驚くべき選択をとるがこれが後々まで一族を支える基礎となった、まさに「名より実を取る」ことを選んだ
当時の幕臣は(表向きだが)副業を禁止されていたのだが、身分が浪人の彼はその副業を堂々とやれたのである
山田浅右衛門の副業については色々とある※以下若干のグロ表現あり
当時の罪人の処刑では、首を斬ったあとの遺体は基本的に処刑人へ「下げ渡し」となった
このため山田浅右衛門一族は遺体を様々な用途に利用していた
まず遺体を盛り土の上に縄や竹で固定、これに刀を振り下ろしての試し斬りを行っていた、いわゆる据え物斬りである
(山田浅右衛門の試し斬りで一番有名なのは五代目・吉睦が行った「天下五剣」の一つ大典太光世)
試し切りの名人と呼ばれた山田浅右衛門家には各地の大名や幕府重臣などからも依頼があり、その都度依頼料を貰っていたため資金と人脈構築の双方で一族に繁栄をもたらした
後にこれら試し斬りの集大成として、刀剣の評価基準となる「懐宝剣尺」やその改訂版「古今鍛冶備考」を五代目吉睦が出版、現代に至るまでの刀剣の評価の基準を定着させるという偉業を成した
さらに二代目・吉時の代からは遺体を腑分けして、内臓を薬品に加工して販売していた
特に人気だったのが労咳に効くとされた肝臓・胆嚢・胆汁・脳であったそうである・・・
この薬品の売買は相当な収入を山田浅右衛門家にもたらし、六代目・吉昌の時代には当時「覗き竜」と言われた一級品の刀である小竜景光を購入するほどの裕福さであった
この他に人気商品としては女性罪人の「小指」がある
当時の遊郭では遊女が上客などに小指を切って送るという誠意の見せ方があった
「小指を切るくらいアナタをお慕いしているんデ ス ヨ」というかなり重い誠意を見せて客の気を引いたそうだが(現代でやったらドン引きである)、実際に切る者はそうはいなかった(いるにはいたそうである)ので、山田浅右衛門に依頼して小指を売って貰っていた
なお、当時の吉原の遊郭などでは「吉原の遊女の小指はよく生えかわる」なんていうブラックジョークがあったそうな・・・
この他にも試し切りによる刀剣の鑑定や売買の仲介業など幅広く手掛け、とても浪人とは思えない裕福な生活をしていたがそれらの資金を彼らは首を斬った人々のための供養に惜しみなく使用した
現代でも東京池袋の寺には六代目・吉昌の建立した慰霊塔が現存している
山田浅右衛門は七代・吉利の時代に明治維新を迎え、明治時代当初は同じく斬首の執行人を務めたが明治3年、刑法改正により遺体の下げ渡しの禁止により副収入が途絶え、更に明治13年に斬首刑が廃止されたことで「首斬り」と言われた山田浅右衛門一族は幕を閉じる
後年、彼らの知名度とその役職やイメージから多くの作品に影響を及ぼし、有名所では小池一夫氏原作の「子連れ狼」の主人公である拝一刀の元ネタとなったり、同じく「首切り朝」は英訳までされてアメリカで大人気を博すなど現代のサブカルにも多大な影響をもたらしている
コメント
- かわいい -- 2017-05-30 (火) 17:41:34
- 踏み込みが画面3分の1程あるので攻撃を当てやすい -- 2017-06-15 (木) 21:27:42
- ハクメイ……お前、ずいぶん育ったんだな。 -- 2019-01-06 (日) 01:17:47