概要
BT-5は、非常に特殊な戦車だ。
装甲はほとんどなく、重量も11.6トンと軽く、400馬力(改修後:442馬力)という優秀なエンジンを積んでいる。
それに優れたクリスティ式サスペンションと合わさり、戦車の中でレースカーのように動き回れるだろう。
砲は、良好な貫通力と早いリロード時間を有する45mm20-Kキャノンだ。
このBT-5がソ連(USSR)陸軍で最初に乗る戦車となるだろう。
有効な戦術だが、まず敵の出方を見てチャンスが訪れるまで待とう。
多くの敵を見通せるポイントへ移動し、遠くから狙撃する。絶好のポイントへ移動する際には、BT-5の足の速さが役に立つだろう。
近距離戦では、勝ち目のある相手を選び、その機動力に物を言わせた戦術が効果的だ。
車体の小ささと機動力を活かして、敵の懐へと潜り込み、良好な貫通力を活かして側面攻撃を行えば、相手がT-34であろうとも撃破できるだろう。
ただし何度も言うが、BT-5には装甲などあって無いような物である事を忘れてはいけない。
格上の戦車が相手である場合、正面から戦えばまず確実に撃ち負ける。
下記の長所では、傾斜部分でたまに跳弾を誘えると記述してあるが、それこそ”たまに”なので期待をするのは愚かというもの。
基本は砲弾を受けない立ち回りをする必要がある。
対空砲や強力な機関銃持ち(米国戦車など)が相手の場合は、さらに注意する必要がある。特に対空砲は、遠くからでもBT-5の装甲を軽々と撃ち抜いてくるだろう。
出来る限り、対空砲を相手にするのは避けるようにしたい。
長所と短所
長所
- 良好な貫通力
- 良好な火力
- トップクラスの速さを誇る
- 速力を活かした先回りができる
- 正面装甲はとても薄いが、たまに急な傾斜によって跳弾が起こる
- 時には偵察、拠点制圧、気晴らしとして、高ランクの戦場でも使用される
短所
- 装甲がまったくない
- II号戦車や対空車両などの機関砲にとても弱い
- 正面に食らうとワンパンされる(乗員が全滅する確率が高い)
詳細
武装
- 1× 45mm 20-K キャノン 86発/門
- 1× 7.62mm DT 機関銃 1890発/門
主砲
- 1× 45mm 20-K キャノン
弾薬搭載量:86発
仰角:25°
俯角:-8°
装填時間:3.77秒
砲塔旋回時間:10.8°/秒(開発時点)、15.0゜/秒(改造時)
砲弾
基本情報
砲弾 | 貫徹力(mm)@90° | 砲弾の種類 | 初速/秒 | 重量 (kg) | 信管 遅延 (m) | 信管 感度 (mm) | 水平30° での正規化 | 跳弾 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
10m | 100m | 500m | 1000m | 1500m | 2000m | 0% | 50% | 100% | |||||||
BR-240 | 62 | 59 | 45 | 35 | 29 | 26 | APHEBC | 760 | 1.4 | 1.2 | 15 | +4° | 42° | 27° | 19° |
BR-240SP | 73 | 68 | 51 | 35 | 25 | 17 | AP | 757 | 1.4 | N/A | N/A | -1° | 43° | 30° | 15° |
炸薬
砲弾 | 爆薬タイプ | 炸薬量 | TNT換算 | 砲弾コスト | |
---|---|---|---|---|---|
BR-240 | A-LX-2 | 19 g | 32.3 g | N/A | |
BR-240SP | なし | N/A | N/A | 3 SL |
弾薬庫
満載 | 一つ目の ラック | 二つ目の ラック | 三つめの ラック | 四つ目の ラック | 五つ目の ラック | 六つ目の ラック | おススメ | 見た目の 違い |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
86 | 72<+14> | 57<+29> | 43<+43> | 29<+057> | 15<+71> | 1<+85> | なし | なし |
副武装
- 武装
1× 7.62mm DT 機関銃 (同軸)
- 銃弾情報
組み合わせ AI/AP-I/AP-I/T 弾名 AI(着発焼夷弾(調整済) AP-I(徹甲焼夷弾) T(曳光弾) 貫徹力(mm) 角度 10m 100m 500m 1000m 1500m 90° 10 9 7 4 2 60° 8 7 6 3 2 30° 4 4 3 2 2
乗員
- 車長/砲手
- 装填手
- 操縦手
合計:3人
装甲
装甲 | 正面 | 側面 | 背面 | 天板 |
---|---|---|---|---|
車体 | 13 mm(62゜)正面傾斜部分 20mm(18゜)操縦窓 30mm(62゜)下部傾斜部分 40mm(13゜)装甲接合部分 | 15 mm | 13 mm(0-59゜) | 10 mm |
砲塔 | 20 mm(11-43゜)防盾 15mm 砲塔正面 | 15 mm | 15 mm | 10 mm |
メモ:
- 車体上部のドライバーハッチは、20mmの厚さがあるが傾斜していない。
エンジンと機動性
重さ:11.6トン
最高速度:59 km/毎時
開発時点
- エンジン出力:396 hp-1650 rpm
- 出力/重量:34.14 hp/t
- 最大斜面:40゜
改造時
- エンジン出力:487 hp-1650 rpm
- 出力/重量:41.98 hp/t
- 最大斜面:43゜
モジュール
修理キットや消火器などの重要な部品は、初期戦車という事もあり既に改修されている。
砲弾は初期弾で問題ない。理由は炸薬量。AP弾では炸薬がないので内部への破壊力が乏しい。
格上を相手にして貫通力不足を感じるのならば、AP弾の開発を進めればいいが、このランク帯(BR帯)では貫通力不足を感じる事はまずないだろう。
好きなよう(適当)に開発を進めても支障はないはずである。
史実
開発
BT、またの名をBystrokhodny Tankは、T-34の先駆けとなった戦車だ。
「快速戦車」と呼ばれた本車両は、ソ連から期待された戦車であった。
BTシリーズの原点といえば、アメリカのエンジニア「ジョン・ウォルター・クリスティー」の存在がある。
彼のクリスティ式と呼ばれる特殊な駆動機能は、大型転輪の一つ一つが独立して動く事により、装輪111.4km/h・装軌68.5km/hと驚異的な速度性能を発揮した。だが当時アメリカは、軍内部で開発された物以外は受け入れず、クリスティ式もまたアメリカに受け入られる事はなかった。
とはいえ、クリスティ自身も発明家にありがちな尊大で気まぐれな性格をしていたため、それも受け入れられなかった要因の一つであろう。
しかし、そんなクリスティ式に目を付けた国がある。ソ連とイギリス(ポーランドも目を付けていたが、購入には至っていない)である。
当時ソ連は、急速な工業化を進めていた。支援不足を補うために、欧米諸国の優れた技術ならば何でも取り入れたのである。
1928年10月。ソ連軍は新たな戦車ドクトリンに基づき高速戦車に関する技術を欲していた。
ソ連軍はアメリカのカニンガムT1軽戦車(32km/h)を購入するために、赤軍兵器本部機械化自動車化局のハレプスキー局長を極秘裏に渡米させた。
だがアメリカに渡ったハレプスキーは、クリスティ式の存在を知る事になる。
その速度に魅了された彼は、T1軽戦車への興味を失い、クリスティ式の技術を入手すべくクリスティとの粘り強い交渉を行った。
結果、M1940とM1930の二両を購入する事に成功した。
ちなみに、同時期に英国もクリスティ式戦車の購入を望んでいたが、アメリカの妨害に幾度もあい「農業トラクター」と偽装した上でようやく購入に成功している。さて、開発はハリコフの戦車工場で行われた。輸入した二両で試験し、各部の改良改善を施し最初の量産型となるBT-2を開発。
BT-2を元にさらなる開発を推し進め、1935年までにBT-5が生産された。
BT-5が初めて実戦に参加したのは、1937年のスペイン内戦である。
設計
クリスティの設計は、当時信頼性が低かった履帯の摩耗を軽減する「コンバーチブル戦車」に基づいていた。
履帯を外した状態でも走行が可能で、前輪を回転させる事によってチェーン駆動のまま道を高速移動できたのである。
だが履帯を外すのに約30分も時間がかかってしまうという難点があった。
その上、ソ連の道路には舗装道路が少なかったために、この変換機能が実際役に立つ事はなかった。
また複雑な機構や重量の増加が伴う事もあり、この変換機能は後のソ連の戦車設計から消える事になる。
BT-2からBT-5への変更点は、砲塔の大型化と当時強力な45mm 20-K砲である。
無線通信設備も導入され、戦車間で簡単に意思疎通が取れるようになった。
BT-5はBT-2よりも重量が増えたものの、装甲はそこまで変化はない。
エンジンはBTシリーズ通して、米国の航空機用水冷発動機をもとにしたリバティーエンジン、V型12気筒M-5を搭載している。
英国の巡航戦車も同様である。
リバティエンジンは、400馬力というパワーを発揮し、この馬力の大きさがクリスティ式戦車の驚異的な速度を実現させていた。
日産・スカイラインGT-Rの初期モデルが480馬力だという事を考えれば、1930年代当時としてはオーバーパワー染みた馬力である事が伺える。
BT-5のバリエーションとしては、火炎放射機を搭載した試作車両や水陸両用へと換装した試作車両。
76.2mm連隊砲(榴弾砲)に換装した近接支援型のBT-5Aなどがあるが、いずれも量産には至っていない。
また、砲塔上部に430mm対戦車ロケットを二つ搭載したRBT-5も試作されているが、これもまた量産はされていない。
それから徐々に改修や改善を重ね1935年には、BT-7を開発・量産。
1932年から1941年までに1,884台ものBT-5が生産されている。
戦闘方法
BT戦車は快速戦車という意味である。BTが登場した当時、世界で評価された戦車の中の一つとして挙げられた。
特徴的なその速度と45mm砲の威力は、他国からしたら驚異的であったのは間違いない。
しかし設計の欠点としては、やはりその薄い装甲とガソリンエンジンである。BT-5は即席の火炎瓶にもやられてしまう程に燃えやすかったと言われている。
と、WT公式Wikiには書かれているが実際には違う。
旧日本軍の戦記には、その殆どが火砲による撃破であると記述されており、火砲で行動不能にした後に、止めとして火炎瓶を車内に投げ込んだのである。
その後に戦場に広がる光景は、無数に燃えるBT-5の姿。これを見た赤軍兵士が、「BT-5は火炎瓶で燃えるのだ」と勘違いしたのだろう。
そんなBT-5が最も活躍した戦闘は、ノモンハン事件で戦場となったハルヒン・ゴルだろう。
ソ連元帥ゲオルギー・ジューコフの戦術とBT-5とBT-7の性能差によって、ソ連側は勝利を勝ち取ったのである。
火炎瓶で燃える戦車が多く見られたが、性能で劣る日本戦車を圧倒した。
スペイン内戦中でもBT-5Sが共和党勢力と共に戦った。ドイツとイタリアの薄い装甲と機関銃が主砲の戦車を圧倒したのである。
1939年のドイツ・ポーランド侵攻の際には、BT-5もBT-7やT-26と共に参加。冬戦争にも投入されたが、あまり活躍はできなかった。
そして、続く独ソ戦の開戦の際も、三号戦車や四号戦車を相手取って祖国防衛のために参加している。
BT-5最後の戦線参加は、1945年8月の対日戦線である。BT-7Sも参加し現代戦車と共に戦った。
とはいえ、その時の日本軍は組織的な行動を殆ど行わなかったため、その快速性を活かして活躍している。
後継
BT戦車は、ソ連の英雄的戦車T-34の開発に最も大きな影響を与えた戦車であると言えるだろう。
1937年に新しい技術開発チームが結成され、ハリコフの戦車工場で開発が始まった。
赤軍装甲戦車局は、BT戦車よりも厚い装甲と45mmまたは76mm砲が搭載できる新型快速戦車の開発を指示。
それに従ってA-32が試作され、T-34と呼ばれ正式採用される事になる。
またBT戦車は、架橋戦車などの支援車両やロケットランチャー、火炎放射器などの多くの兵器の基礎を作る事に役立っている。
それ以外にも間接的ではあるが、1936年9月にソ連の秋期演習を見学したウェーベル将軍とマーテル大佐は、クリスティー式戦車BTに強い感銘を受けた。その結果、イギリスでもクリスティー戦車の導入が図られることとなる。
逆にソ連側はマチルダIIの装甲に目をつけ、BT軽戦車よりも強力な装甲を持つ戦車の開発意欲を掻き立てられた。
ゲーム内説明
BT-5軽戦車は、BT-2を改造する計画の結果、誕生しました。最初の車両は、1933年の軍事行進が初登場となる。
それまでのBTとの主な違いは、強化された武器と大型化された砲塔である。
45mm20-K砲と7.62mmDT機関銃が導入された。大きな変化ではないが、戦車の品質向上も行われている。
その後、230輌もの強化された砲塔を持つBT-5が生産された。
その他(編集用メモ)
フル改修・乗員スキルの影響なしで計測
視認性 76%
報酬 10%