瑞穣皇国

Last-modified: 2017-06-07 (水) 00:04:05
国名瑞穣皇国
国旗koukoku.png
国歌我が君
首都皇京
元首今上国皇
政体立憲君主制
通貨皇圓

概要

 東ヤーディシア地域極東の弧状島にある立憲君主国家。

歴史

初代国皇である輝照帝が現在の皇塀地域一帯を平定し豪族の連合国家を建国したのが起こりである。大陸の
文化・社会制度の取り入れ政策が進むと中央集権的国家整備が進められる。税制度も整備されるが重い負担
から農民が逃げ出すことが増えたため開墾した土地を私有化と免税が認められる。貴族や豪族がこれを利用
し私有地にすることで力をつけていった。

中央では皇位継承をめぐる対立や抗争が起こるようになり,また地方でも力をつけた豪族による土地をめぐ
る紛争が多くなる。のちの武士となる人々がこれらを鎮圧・防衛のための軍人として形成され始める。
国皇家に娘を嫁がせて外戚として権力を握った「桜田氏」が4つの分家で対立するようになるとその私兵と
して活躍した「松氏」が「桜田氏」にとって代わり権力を獲得し幕府(松幕府)が作られる。
 幕府の統制・紛争調停により平和が保たれるも大陸からの侵略や幕府そのものの腐敗によりしだいに機能
不全に陥ると再び紛争が活発化し戦国状態となる。
 1世紀以上にわたる戦国状態ののち交易都市である江安を押さえ財力を持った今松氏が軍事力を持ち各地を
平定し幕府(今松幕府)が作られる。

大寒波による氷河期が訪れると長期の飢饉が起こり,税負担の軽減を訴える一揆や食料をめぐる紛争が各地で
起こるようになる。皇室が保有していた宝物にあった記念碑石が打開策になることが判明すると当時の関白
藤田博視はこれを利用し国皇の権威を回復させるとともに国皇を盟主とする諸侯連合を結成した。その後
最後の鎮征大将軍今松喜樹が政権を返上し国皇親政による皇国政府を樹立された。

政治

 国皇を国家元首とする立憲君主制。憲法では国皇が統治権を総攬することになっており、行政は宰相を長と
する内閣が輔弼し衆民から選挙で選ばれた議員からなる衆民院と皇族・華族から構成される華族院の2院制で
ある皇国議会が立法権を協賛する。

内政

 

外交

民族

瑞穣民族

ほとんどの皇国国民を構成する民族。

地理

 皇国本土である瑞穣州(島)は島を横断して走る龍背山脈から見て東部の平野を「皇塀」と呼び,南西部を
「島口」,西部を「皇背」,北西部を「道奥」にと呼んでいる。

皇京 (№56)

 皇国の首都。遷都時の国皇から明照京とも呼ばれる。皇塀地域のほぼ中心にあり西ヤーディシア風の都市
整備がなされている。

江安 (№55)

 皇国随一の経済都市。波が穏やかな入り江であることからこの名がつけられた。中世から交易港として
栄え今松氏もここを押さえたことにより幕府創設のきっかけとなった。

山向 (№54)

 皇背地域最大都市にして首府。大陸半島部から見て皇国の玄関である。

州門 (№53)

 島口地域の最大都市にして首府。近隣の島国や大陸との交易で繁栄している。

無戸 (№57)

 道奥地域の最大都市にして首府。だれも住んだ形跡がなかったことからこの名前が付いた。

翠島 (№30)

 皇国の大陸における拠点である。元々はリーゼンバウム侯国の租借地であり彼らの交易港として建設された。

軍事

最高指揮官は大元帥たる国皇であるが指揮権は宰相が代行し軍務大臣が統轄する。
軍務省の下部に陸軍省と海軍省が存在し軍政をつかさどる。また軍令をつかさどる機関として陸海軍の
統帥部が合同して運営する大本営が存在する。

人物

今上国皇
現在在位する国皇。名は安仁。先帝の甥にあたる。20代だが実年齢より老けて見える。
凛子内親王
先帝の第1皇女。今上のいとこにあたる。
澪子内親王
先帝の弟宮である秋津宮第1皇女。今上の姉にあたる。海軍軍人であらせられる。
藤井博司
皇国宰相であり衆民院第1党である自由公民党総裁。任侠の頭目に見える。