歴史

Last-modified: 2017-08-13 (日) 10:49:11

箱庭民族主義者の闘い

やど箱3
ある戦争があった、民族主義者の青年の放った一発の弾丸は圧政と民族の敵の象徴に打撃を与えることはできなかったが、それは大きな大きな動乱の引き金となった。それは遠い未来の話。
フォロノワ帝国宰相メルコフが失脚すると同時に嘗ての反動政治に不満と革命の意識を持った職業的革命家は王政打倒と自由の扇動を行った。しかし同時にこの革命を恐れた中層会級は保守化し惜しくもモーリスが書した階級と階級の対立が生まれかけた頃、フォロノワ帝国諸邦として抑えられてきた少数民族がメルコフ失脚とともにフォロノワ帝国の敵対国の支援の下民族独立を掲げた闘争を始めた。今民族主義者の闘いが始まったのだ。

報道

年代記

ヤーディシアシリーズでは最も古い時系列に位置づけられているシーズンである。

ゲーム開始当初、四重帝国によるヴォスメール会議ならびにノイエ・ヴァレニエ王国?によるヤーディシア連邦会議の二つの会議が開かれ、これらを中心に世界秩序が形成されるかに思われたが、前者は四重帝国による過度な宗主権主張、後者はヤーディシア連邦の地位を巡る議論の結果としてのノイエ・ヴァレニエ王国?の影響力低下と同国の崩壊によってどちらも失敗し、陣営形成の試みは結局は大陸北西部の北西ブロックブランデー王国リーゼンバウム侯国ルーンラント公国)、南東部の皇帝派(四重帝国カラシュ・セヴェリン)、南ヤード海両岸のゼーロルク宣言ブロックナシュール朝南ヤーディア人国)の三つの陣営に収束した。
皇帝派と他の二ブロックの間で戦われた大戦帝国内戦)は、当初カラシュ・セヴェリンの強力な戦力によって皇帝派が優勢だったが、次第に継戦能力の差で反皇帝派が押し返していき、ナシュール朝が本格介入を始めたことで皇帝派の戦線は崩壊した。

一方建国が遅かったためどの勢力にも参加せずにいた立憲王政アーカルソン=リペルニアは、大戦の趨勢を伺いながら劣勢の側から大陸の所領を(一度目リーゼンバウム侯国から、二度目カラシュ・セヴェリンから)購入し、その周辺の無主地に展開することでその国土を拡張していた。
そしてその勢力と中立性から大戦の講和の機運が高まると仲介の役割を求められ、マールリンゲン講和会議を主導した。
講和会議の展開ははかばかしくなく、その最中にも散発的に戦端が再開されることはあったものの、最終的に四重帝国瓦解、無主地への拡大と外交的主導権の維持の路線を保ち続けた立憲王政アーカルソン=リペルニアは一度の陣営参加も参戦も経験しないまま勝者となって覇権国家の地位に上り詰めた。

箱庭動乱史

やど箱1
ヤード歴1500年

古代ヤード帝国崩壊による暗黒の中世が終わりを告げ,遠洋も航海可能な頑丈な帆船が作られるように
 なると人々は珍しいものを求め海へと飛び出した。偉大な航海王パウル・フォン・ローリーの功績により
 未開の南方大陸が発見され,各国はそこに植民地を競い合うように建設した。そこから生まれる富は大陸
 各国を大いに潤した。
 一方でとある国の学者がヤード帝国以前の旧文明の都市国家の政治体制を研究し「民主主義」「共和制
 政治」の可能性について論じるが神聖不可侵の国王が統治する祖国に敵視された。彼は処刑され,論文は
 各国でも禁書となった。しかしその論文はひそかに大陸中に浸透し絶対君主制を苦々しく思っていたイン
 テリ層に光をもたらした。
 新大陸の植民地の建設が進むようになると農作物を輸出することで経済を成り立たせたり,大陸の陸路の
 中継地となって関税を徴収していた国々は困窮した。交通が迂回され,安い農作物が大量に出回ると経済は
 成り立たなくなりそこの君主達は民の締め付けをより強化した。民衆はかつてないほどの苦痛を味わった。
 だが同時に楽園を夢見た。他人の運命を己のわがままで縛る理不尽な君主が一掃され自分の運命を自分で切り
 開ける平等で平和な世界を。
 ついに民が立ち上がった。革命の勃発である。革命は本来結合するはずのないインテリ層と労働者,更に
 反国王派の兵士を集結させたことにより弱い者いじめ程度しか能力がなかった国王とその取り巻きの諸侯の
 軍勢は退けられた。革命の軍勢が首都の王宮を包囲し国王を退位させた。王宮広場で革命指導者がヤード
 大陸初の近代的な共和国の誕生を華々しく宣言した。絶対君主制が世界に滅亡のラッパが吹くまで続くと
 信じ切っていた人々に大きな衝撃が走った。それがきっかけとなり各地でも似たような革命が起こった。
 君主達も革命の炎が拡散されるのを防止するのに奔走した。
 革命の指導者はついに自らも王座に就き、その盤石な体制をひいたと思われた。だが
 広大な帝国の綻びは民族独立の力によって致命的となった。
 各属領の反乱によってその広大な大帝国は崩壊した。その後各国の諸侯はこれ以上の変革を望まんとし
 神聖なる同盟を締結した。
 一方で科学的社会主義の始祖たるモーリスの後継者と自負したヤード人のベリヤは著書の中でこう書いた
 「高度に発展した鉄道、資本はその範囲を国内のみならず国外へと
 拡大し投下し、故にその権益を争う資本主義国は互いにけん制しあい資本主義の最終形態たる
 帝国主義へと変貌するだろう」
 ありとあらゆる矛盾が爆発しかねないこのヤーディシカ大陸西部で
 今、民族の自由と独立を勝ち取るか、列強諸国の庇護を得るか、大陸外からの介入者となるか。
                    世界は今,問われている。

報道

年代記

ヤーディシアシリーズの幕開けである。
初期には各自離島や近接地の併合に取り込み、アスティリヤ共和国チクラシュタル・メクフォステリフォン・フォロノワ連邦およびシャール地溝帯(チーシャ)が制海権の取り決めを交わすなど、各国手探りで経営戦略を立てていった。
しかし、次第に自由主義を掲げるチーシャと暗黒中世国家カラシュ・セヴェリンとの間で対立が深まり、やがて激しい戦争に発展した。

数か国が機能停止していく中で、チーシャ=カラシュ戦争は末期にナレス帝国をカラシュ陣営として巻き込みながらやど箱終了まで続き、最終的に併合を続けつつカラシュ領南部を奪ったチーシャが戦乱を制した。

この戦争中、独自に医療活動に従事した聖ヨファン騎士団領功績も光った

箱庭新冷戦史

やど箱2
共産圏の盟主が死んだ。ファシズムとの戦いによって一時的な資本主義圏の共闘をも許した現実主義者が死んだのだ、市場の株価は暴落し、市民は彼の死を嘆いた、だがしかし次にあらわれた指導者はその神格された指導者の実態を暴き、更には自らの地位を断固たるものにするため行き過ぎた民主化措置を行った。だがしかしそこに待っていたのは多極化という新たな時代だった。

年代記

地図を用いず純粋な陣営戦が繰り広げられるシステムに移行した箱である。
「共産圏の盟主」の死と民主化の行き詰まりにより、ヤーディシアは再び分裂時代を迎えた。
資本主義諸国(沈陽帝国ランケン共和国)、共産主義諸国(エタリア社会主義共和国テュルギス人民共和国瑞穂社会民主共和国)、非同盟諸国(ジーゼン・ヴェルディ協同共和国リーフシッタ・マラージ国バーヴィア共和国)の3陣営に分かれ、覇権をめぐり争う・・・はずだった。

しかし開幕早々にチーシャ大同帝国が共産秩序以前の覇権の復活を宣言全世界を敵に回してファシズム陣営を設立する事態が発生した。沈陽によるチーシャへの食糧援助など、各国の緊張緩和の努力もむなしく、チーシャは共産圏の盟主エタリアに宣戦布告。資本主義圏が沈黙する中、非同盟圏はチーシャに宣戦しながらも便乗する形で共産圏へ攻撃を加えた。

しかし、戦前から築かれてきた共産圏の圧倒的優位は揺らがず、エタリア社会主義共和国が栄冠を手にした。

褐色大陸における白人のデモクラシー

やど箱4
ヤーディシアにおける西部一帯の民主主義は一部の腐敗を残しつつも人類の永遠の財産となった。
その民主主義の恩恵を受けんとするプラガヴィア大陸民の前に立ちはだかったのは支配者ら、
つまり白人たちによるのみの民主主義であった。

火炎瓶、ライフル、ダイナマイト、大陸の褐色の民はあらゆる、持てえる暴力で白人の
民主主義を自らのために得ようとした。

そして民主主義を勝ち取った白人の栄誉から数年、彼ら褐色大陸の民が得た民主主義とは。

報道

年代記

舞台をヤーディシア大陸圏からプラガヴィア大陸へ移し、世界に広がる戦禍が映し出されたシーズンである。と同時独立勢力や列強の保護国、植民地がひしめきあい小国も乱立する混戦模様となった。序盤は戦闘が発生せず各々が国力を蓄えていたが、国土の急速拡大に成功した南部の大国アゼマットラント・ラーメンのサフラーヴィ朝ヤフハルディヴェーシュコユンルとホーゼルフマーダ(サフラヴィー朝)と、これを追って経済的発展を成し遂げ国教・猫教の布教に乗り出したブバスティ首長国(ブバスティ)が猫保護について論争するなど、不穏な空気は確実に醸成されていた。

カナン戦争と南西の陣営構築

サフラヴィー朝はザウーク社会主義共和国(ザウーク)は大陸南部の統合に向けてガズヴェッッツヤーン条約を締結し、激しいプラガヴィア人差別を繰り広げていた入植国・カナン王国(カナン)へ内政干渉的な要求を通告した。サフラヴィー朝とカナンの両者は目も当てられぬほど不毛な応酬を繰り広げたのち、サフラヴィー朝・ザウーク連合軍はカナンに宣戦布告した。人口最下位で停滞していたカナンと連合軍の国力の差は歴然としておりカナンの滅亡は必至とみられていたが、終盤にブバスティの金銭的援助を受けた恩を仇で返したことを除けば完全に孤立していたはずのカナンは猛烈なゲリラ戦を展開、24期にわたった戦争はプラガヴィア首長国連合(首長国連合)の仲介でアルハーシュ条約を締結し終結、カナンは人種問題の解決を約束しつつも寸土の割譲も免れるという前代未聞の防衛線勝利を遂げた。またこの条約でガズヴェッッツヤーン条約が失効、代わりにサフラヴィー朝・ザウーク・カナンの相互不可侵同盟アルハーシュ条約機構が成立した。

猫戦争

ここで一旦北部に目を向けよう。狂信的に猫教布教を進めていたブバスティは、大河を挟んだ西岸の自治北域ヴァルシャウ(ヴァルシャウ)に不可侵同盟の打診と合わせ事実上の猫教国教化を要求。ヴァルシャウがこれを信教の自由の一部として位置付ける見解を示すと、ブバスティは直ちに宣戦布告、「聖戦」を宣言した。国力で劣るヴァルシャウは一時後退を余儀なくされるが、先にヴェイヴァラーン会談でサフラヴィー朝の協力を取り付け外交に活路を見出していたことから世界各国へ援助を求める声明を発した。これにサフラヴィー朝、トゥムハ人民民主共和国(トゥムハ)、ザウークが次々と賛意を示したことによりブバスティは講和締結に追い込まれ、ヴァルシャウは旧領を回復した。

大河にかかる炎橋

再びカナン戦争勃発期まで時を遡り、西部に着目したい。ヤーディシアの本国から援助を受けて最強の軍事力を備え、カナンに勝るとも劣らない苛烈な植民地統治を敷いていたルーンラント公国プラガヴィア大陸植民地領(ルーンラント)は戦争中のサフラヴィー朝の宗主国チーシャ連邦(RP上のみ登場)を恫喝、これを通してサフラヴィー朝から巨額の示談金をせしめた。また王政サンマルコ(パルマン)と不可侵同盟を結び地盤を固めたルーンラントは、国家機能が停止していたブリュエキフゥア川沿岸地域およびトゥンレグ族自治地域連合(沿ブリュエキフゥア)を攻撃、勝利した。さらに旧ルーンラント植民地のヴァルシャウの独立を承認して後顧の憂いを絶ったのち、国内の不満を解消すべくパルマンと共に、ジャンドゥーヤ自治政府攻撃で挽回を図っていたサフラヴィー朝へ宣戦布告した。ここにザウークカナントゥムハが対ルーンラント側として参戦、大河を挟んだ東岸陣営と西岸陣営の正面衝突の様相を呈した。ルーンラントを支持するヴァルシャウの工作によりトゥムハが脱落、矢面に立たされ劣勢になったサフラヴィー朝はルーンラント攻撃の拠点を放棄し単独講和に追い込まれた。

ルーンラント・リーゼンバウム戦争

さて、東岸中部にも長く懸案が横たわっていた。首長国連合が東岸へ入植、これを足がかりにトゥムハの所有する核兵器の撤去を要求、トゥムハは条件として首長国連合の入植地の割譲を要求し、緊張が高まったのである。一触即発の両国関係は、しかし、シーズン最後の大戦争により同盟関係に移行することになる。
かねてよりアトリオン・プラガヴィア貿易会社との会談でルーンラントへの警戒感を示していたのが首長国連合、そしてその背後につくリーゼンバウム侯国(RP上のみ登場)であった。両国の停戦圧力に対しルーンラントはこれを拒絶、双方はプラガヴィアからヤーディシアにまたがる壮絶な絶滅戦争に突入した。
最終的にこのプラガヴィアにおける戦役は、ルーンラントを圧倒したザウークが戦略的要地を奪取して東側陣営から西側陣営へのアクセスを奪う華麗な戦略勝利を決めたことによりひとまずの終結を見た。

核戦争の狼煙

この混沌を極めた大陸で覇者の地位をつかんだのは、ルーンラント公国プラガヴィア大陸植民地領だった。しかしヤーディシアにおけるルーンラント公国とリーゼンバウム侯国の悲惨な総力戦は終わることなく、決着は次シーズンに 持ち越されることとなった。

第二次全面戦争の烽火

やど箱5
核・科学・生物兵器を用いた全面戦争から役20年ヤーディシア大陸の平和と繁栄を祈って設立された大陸共同体はその自らの天命を全うしようとしていた。ルーンラント公国植民地領問題によって開戦されたヤーディシア大陸全面核戦争は勝者なき終末を迎え、大陸は荒み、文明の崩壊すらささやかれた。しかし古代より脈絡と繋がる英知と勇気は民衆を奮い立たせ大陸共同体による二十年間の平和を約束した。
しかし大陸共同体は為政者の遊具となり、そして瓦礫と化し崩れ去った。民衆が夢見た平和は約束された大地は、無残にも消え去り、そして今薄暗い空にあがるのはかつてこの大陸を死の大陸へと変貌させた全面核戦争の烽火だった。

報道

年代記

前史RP

プラガヴィア大陸における軋轢から勃発したルーンラント=リーゼンバウム戦争は、ヤーディシア大陸の本国同士による壮絶な核戦争へと発展した。休戦が成立したとき、ルーンラント公国リーゼンバウム侯国の両国は疲弊の極みにあり、国境地帯からは人影が消えた。その他の地域でも、ルーンラントに便乗侵攻したチーシャ第二連邦が核実験場と化し消滅するなど、戦争がヤーディシア世界に与えた被害は凄まじいものであった。

ルーンラント=リーゼンバウム戦争の終結

恐るべき大戦を経験したにもかかわらず、ルーンラント公国リーゼンバウム侯国の互いにかける怨念は冷めることがなかった。休戦が終了するとともにルーンラントは対リーゼンバウム絶滅戦争の再開を宣言、戦端が再び開かれたが、両国の戦いぶりは往時の超大国の激突からは程遠いものであった。
ルーンラントは立憲王政アーカルソン=リペルニアへの都市割譲で軍資金調達を進めるなどしたが、ついに南ヤード人共和国(南ヤード)が介入、停戦を求めたことで、戦争の終結と両国の外交関係の永久断絶を盛り込んだルガスィ条約が締結された。この後、両国は敵対関係をも完全に放棄し、国内向きには勝利を宣言しつつ各々の視線を別の方向へ向けるようになった。

北方の趨勢

ヤーディシア大陸北部の諸国は改めて関係の再編を進めていった。
アーカルソンはルーンラントと組んで北ヤード海の制海権を共有し、北ヤード海から西ヤード海にまたがる広大な海洋王国を建設した。
大戦から解放されたルーンラントは、しかし、戦姫ヴァルキリーの如く戦火から逃れることは出来なかった。折しも国内で大震災が発生し、その復興を進める中で、隣国の労働者評議会連合復興支援や不可侵条約と引き換えに領土の大幅割譲を要求してきたのである。これを拒否された労働者評議会連合は「予防的措置」と称してルーンラントに宣戦布告した。これに対して、ルーンラントはシェメシュ探査開発院(シェメシュ)とラジヴィウ協定を結んで武器や資金の融通を取り付け、また以前から伝統的領土をめぐってスーツヴァル会談で交渉を続けてきた北方の旧アルマース公国北方ラグーナ山脈とラウト山岳地方および沿ドニエストフ川両岸アルコル並びにノヴィオストク自由市による連合大公国(アントーノフ)に対しては係争地を放棄する引き換えにアントーノフの援助と参戦をとりつけ、これにシェメシュも続いた
一方で南ヤードは同盟関係にある労働者評議会連合への支援を表明したが非軍事的な面に留まり、三国の生物兵器使用を辞さない反撃でついに労働者評議会連合は壊滅し、その滅亡とともに国土は分割された

北ヤーディシアを彩った群雄から、今期の覇者は生まれなかった。
まったく時を同じくして、南方に文字通りの「魔」が、静かに、しかし確実に触手を伸ばしていたのである。

「汚染地帯」

南ヤーディシア海沿岸は概して平穏であった。かつて地中海を席巻したナシュール朝やチーシャといった大国は寝物語となり、そこにはただただ先の核戦争による汚染地帯が広がっていた。
そんな中で勢力を拡大したのが、チーシャの系譜をひくシラエスク地溝帯ザリアルカエ共和国およびチクラスタル旧市街調査区域分遣総督府とメクロステリエルホルンローエラ南岸危険管理地帯(ザルカリアエ)だった。北方のシェメシュとの間に不可侵条約を結んだ後「汚染地帯の除染」「完全放置除染計画(国家コメント)」を称して事実上の領土を拡大、ついには南ヤードを恐喝し領土の侵食、さらにはルーンラント・労働者評議会連合戦争の混乱に乗じて更なる領土割譲を目論み、南ヤードに生物兵器を撃ち込んで「除染」と称する侵略を開始した。労働者評議会の援助を期待するべくもなかった南ヤードは要求を呑み、結果的にザリアルカエは一回の小競り合いを経験しただけで最大版図を築き、今期の覇者となった。

最後の楽園

やど箱6
数年間にも及ぶ二度目の核大戦が隣接するヤーディシアを荒廃させた一方で、「最後の楽園」と呼ばれる非放射能汚染地域改カピス海沿岸地域は一種の人類の避難地と化した。かつて人類の頂点として立っていたヤーディシア人に対する報復的、優越的立場を誇示した彼らは楽園の支配者と見えた。しかし人類の頂点に一度でも立ち上がった彼らの恐怖の兵器はこの地に持ち込まれ、亜人と呼ばれる非人類に渡り、隣接する「死」の大陸同様「均等」という「国際的秩序」が保たれていたこの地においても、「最後の楽園」が「死の大地」へと変貌しようとしていた。

年代記

やど箱5の少し後、核戦争の戦火にいまだ晒されていない最後の楽園、カピス海周辺地域を舞台としたシーズンである。
シーズン説明に違わず、ヤーディシア諸国の技術を取り入れて多くの国が核兵器を配備したうえ、アーウェスタン・パードシャー国エメルリア共和国は宇宙の軍事化にも着手した。しかし、このシーズンにおいて国家間の戦争は一度も発生せず、核戦争どころか小競り合いすらも起こることはなかった。
一応ルール上は立憲王政アーカルソン=リペルニアからの技術移転によって近代化を成功させ勢力を拡大したアーウェスタン・パードシャー国が勝者となったが、それ以上に大きいのは現地民やヤーディシアからの避難民などが入り混じるなかでも混乱が起こらず寛容が保たれたという事実であり、結局このシーズンを通じて楽園の楽園たる所以が誇示される結果になった。

極寒の東ヤーディシア戦記

やど箱7
数百年とも及ぶ大寒波は全ての文明を退化させた。王朝は興亡を繰り広げ、少数民族は限られた土地を巡り互いに服従と支配の歴史を記した。しかし一人の天才的学者によって発見された記念碑石はこの少ない居住地を格段に広げた。数多くの少数民族ひしめき合う東ヤーディシアにとってこの発見によって得た成果こそ技術力の抜本的進化だった。居住地が広がることによって彼らは解放され都市を築き、互いに切磋琢磨し民族は都市国家を作り出した。しかし記念碑石は彼ら少数民族に都市を築かせるという恩恵と共に殺し合いの道具の拡大的進歩をすら成し遂げさせた。

極寒歴485年。記念碑石の発見から50年東ヤーディシア諸民族にとって大寒波の再来ともいうべき危機である戦乱が迫っていた。

報道

年代記

管理人が今期を持って管理人業を終了するということで、やど箱最後のシーズンである。